第八話 新田原に向けて

 五年のあいだ溜め込んでいた言いたいこと言って、榎本えのもと一尉はスッキリしたかもしれない。私の方はと言えば、そのことについて色々と考えてしまったのと、次の日の長距離飛行のこともあって、なかなか眠れなくてスッキリどころじゃなかった。あの時のキス、私にとっては初めてのキスだったんだけど、きっと一尉はそんなこと思いもしてないんだろうなあ……なんて。お蔭で、今日はちょっと寝不足気味だ。


 まあ、それはそれとして。


 今日の私達の出発時刻は0800。定期便は、朝に離陸したら数箇所の基地を経由して、その日のうちに戻ってくるという、時間に余裕がない行程がほとんど。だけど今回は、私の長距離飛行の訓練を兼ねているので、新田原にゅうたばる基地に直行、そしてどこにも立ち寄ることなく小牧こまきに戻ってくるという、それなりに余裕のある飛行プランになっていた。


 C-130輸送機の基本クルーは機長、副機長、空中輸送員ロードマスター機上整備員フライトエンジニア、そしてナビゲーターの四人。今回はそこに、訓練生の私が副機長として加わり、本来は副機長である山瀬やませ一尉が、機長として操縦桿を握ることになっている。本来の機長である緋村ひむら三佐は、教官として後ろの席で、私達二人を指導することになっていた。


 そして出発一時間半前、緋村三佐と山瀬一尉、ナビゲーターの花山はなやま三佐、そして私の四人で、花山三佐が作成した今回の飛行計画書を元に、基地周辺とそのルート周辺の気象状況の最終チェックしていた。


 そんな中、計画書に目を通した緋村三佐が、さっきからなぜか不満げな声をあげている。


「今回の計画書、やけに念入りに作ってないか、花山?」

「そうですか? いつもと同じように作成しましたが?」


 まるで機長付の執事のような雰囲気をかもし出しつつ、常に完璧な飛行計画書を作成する花山三佐。今日の計画書も特に変わったところはなく、私達にはいつも通り完璧なものにしか見えない。そんな飛行計画書がさらに念入りって、一体どの辺が?と山瀬一尉と二人で首をかしげてしまった。


「訓練中の天音あまねがいるからか? それとも、山瀬が初めて機長として飛ばすからか?」

「ですから気のせいですよ。自分はいつもと同じように作成しました」

「いや、いつもより懇切丁寧こんせつていねいだろ」

「自分は、飛行計画書をいつも懇切丁寧こんせつていねいに作成してますよ。機長のあなたが気づいていないだけで」


 さらりと返事をして、自分用の控えの計画書になにやら書き込む。これも普段から見る光景で、特に変わったことをしているわけじゃない。だけど緋村三佐は、そうかなあと首をかしげながらうなっている。長年一緒に飛んでいると、二人にしかわからないこともあるのかなと思いつつ、私と山瀬一尉は、もう一度飛行計画書に目を通して、最新の気象データと照らし合わせた。


「運が良かったな。台風は遠く離れたフィリピン近海を西寄りに進んでいるから、新田原付近を飛んでも影響はほぼないだろう。今日のフライトは安定したものになりそうだ。そう言えば、何人か乗り合わせるって話だったな。天音にとっては初の生きたお客さんか」


 どうやら、榎本一尉の他にも乗客はいるらしい。


「訓練中の機体に乗りたいだなんて人の気がしれませんよ……」

「そりゃいくら訓練とは言え、よその基地に行くのに、空っぽで飛ぶのはもったいないからな。今日は臨時便扱いだからそんなに重くない、心配しなくてもいいぞ」


 緋村三佐が口を挟んできた。


「候補生が副機長として操縦桿を握っているなんて、知らないんじゃないですかね」

「そんなことあるか。今までだって、訓練生が長距離でよその基地まで飛ばす時には、荷物を積んで運んでいたぞ。それに訓練生とはいえ、身分はれっきとした航空自衛官だろうが」

「そう言えば、今までの訓練生の中で、この段階にたどりつくのは天音が一番早いですね。新記録更新ですよ。緋村三佐も、ようやく教官役が板についてきたのでは?」


 花山三佐が、普段通りの口調でつけ加える。そしてその言葉に、そうかあ?と緋村三佐が嬉しそうにニヤついた。この二人の会話を聞いていると、階級も同じで同い年なのに、ちょっと頼りない御主人様と、超凄腕執事様って感じに見えるてくるのだから不思議だ。


「今日は、山瀬が機長で天音がコーパイだ。俺は後ろで昼寝でもさせてもらうから、よろしく頼むぞ」


 そしてこんなことを言い出す始末。三佐の困ったところは、こんなことを言うと本当に昼寝をしてしまうところだった。これは私の訓練を兼ねた飛行なのに、教官である三佐がお昼寝をしてしまうって一体どういうこと? 私だって、今朝は誰かさんのせいで寝不足気味だからお昼寝がしたいのに。


「一人だけ昼寝なんてずるいです。今日のフライト、ガタガタ揺れれば良いのに」

「なにか言ったか、天音?」

「いいえ。三佐の手をわずらわさないように頑張ります」

「良い心がけだ。山瀬もしっかり頼むぞ。来年からはお前も機長なんだからな」

「了解しました」


 私と山瀬一尉は顔を見合わせ、やれやれと首を振り合った。


 それから飛行計画書を提出して、再度気象データをチェックしてから外に出る。


 滑走路横のエプロンでは、すでに機上整備員の井原いはら一尉が点検を終え、運ぶ予定になっている荷物も、空中輸送員である谷口たにぐち一曹の指示で搬入が終わっていた。後は何人かのお客さんを乗せるばかりだ。事前に報告のあった積み荷に変更がないか確認し終えると、クルー全員で、機体の飛行前点検を始める。緋村三佐は、私達の後ろを黙ったままついてくるだけだった。


「あの、三佐?」


 片方の翼の下で、プロペラの確認を目視していたところで振り返った。


「なんだ?」

「そんなふうに黙り込んでいられると落ち着きません。なにか言うことないんですか? ここをこうしろとか、そこはああしろとか」

「なにも言うことがないから黙ってるんだぞ。教官からなにも言われないってことは、普通は喜ぶべきことじゃないのか?」

「でも落ち着きません」

「そんなこと言われてもなあ」


 俺はどうすりゃいいんだ?と、三佐は後ろに立っていた井原一尉に声をかける。一尉は歌でも歌ってれば良いんじゃないですかね?なんて見当はずれのアドバイスをした。そしてそんな冗談みたいなアドバイスに、なるほどと納得してしまった緋村三佐は、聞いたこともないような歌を、身振り手振りをまじえて歌いだす。


「いや三佐、それはそれで余計に気が散りますが……」


 山瀬一尉が、三佐の踊りながら歌う様子に若干引き気味に言った。


「うるさい。文句は、俺が黙っていたら落ち着かないと言った天音に言え。俺は乗り込むまで歌い続けるからな、お前達は気にせずに飛行前点検を続けろ」

「気にせずにって言われても……」

「すみません、山瀬一尉。余計なことを言いました」

「まったくあの年寄りときたら」

「聞こえてるぞー、山瀬」

「はいはい、失礼いたしました、機長」


 まあこれも、初の長距離飛行に緊張している私と、初めて機長として乗り込む山瀬一尉をリラックスさせるための、三佐なりの思いやりなんだろうと思っておくことにする。そんなわけで私達クルーは、三佐の変な歌を背中で聞きながら点検を終え、コックピットに乗り込んだ。


 あ、そうそう。このマルチで優秀なC-130にも、ちょっとした困った問題がある。それはトイレ事情だ。


 トイレは、貨物室の隅っこに形ばかりの洋式タイプで存在しているのだけれど、間仕切りカーテンしかないという、簡易トイレと言うにはあまりにもあんまりなトイレで、女性隊員にはすこぶる評判が悪いものだった。だからこの輸送機に乗り込む時には、必ず事前にトイレに行くことをおすすめしたい。ちなみに私は、乗り込む一時間ほど前から、必要最低限の物しか口に入れないようにしている。



+++++



 山瀬一尉の操縦で小牧基地を離陸して高度を上げると、紀伊半島を抜け四国上空へと出た。事前の気象情報通り、晴天で見通しもよく気流も安定している。


 だけどその間も通信チャンネルは開けてあって、それぞれの空域を担当している管制とのやり取りを、常に続けていた。今もこの付近を飛んでいる民間機や自衛隊機、米軍機との距離や高度差等の確認の音声が、ひっきりなしに流れてくる。


 自分達だけが飛んでいるなら気楽だけど、日本はなんたって狭い国土だし空に上がってもそれは変わらない。花山三佐が完璧なルート取りをしてくれていても、主だった航路は一般の人達が考えているよりもずっと混雑していた。これまで訓練中に、さまざまな不幸な事故が起きていることを考えると、飛んでいる間は本当に気が抜けないのだ。


「…………」


 まあそれも、コックピット内に限って言えばただ一人を除いて、なんだけど。


 その一人が発している、機内の騒音とは違った音がさっきから断続的に聞こえている。しかも私の真後ろから。


「まったく。信頼されていると言えば聞こえは良いが、こうも派手にイビキをかかれると、本当のところはどうなんだろうって気分になるな」


 前を向いたまま山瀬一尉が苦笑いした。私達の後ろのあるシートでは、緋村三佐がイビキをかきながら、それはそれは気持ちよさそうにお昼寝中だ。あまりにも気持ち良さげに寝ているので、正直言ってかなりムカつく。


「私の教官なんですけどね。良いんでしょうか、訓練中の訓練生をほったらかして、教官が惰眠だみんをむさぼるだなんて」

惰眠だみんをむさぼるとはまた、不穏な言い回しだな」

「他にどう言えと?」

「まあ確かに惰眠だみんをむさぼっているかな、三佐は」


 ヘッドホンに、管制から付近を通過中の民間機の情報が入ったので、計器を確認してから頭上の窓に目を向けた。ぶ厚いガラス越しに、遥か上空を東へと飛行中の民間のジャンボジェットが見えた。こちらとあちらの高低差は約3500フィート、問題ない高低差だ。


「花山三佐の飛行計画書のお蔭で、安全に飛べてるから良いんですけどね……」


 そしてふとある可能性に思い当って、チラリと山瀬一尉の方に視線を向けた。どうやら一尉も何か思い当ることがあったのか、こっちに視線を向ける。


 まさか私達のことを考えてではなく、この三佐の惰眠だみんのために、完璧以上の飛行計画書を作成したとか? それはちょっと考えすぎたろうか? いや、だって駄目御主人様と超凄腕執事だよ? 御主人様のお昼寝のためだったら、絶対にないとは言い切れないんじゃ?


「だけど、この騒音の中でよくもまあ熟睡できますよね……慣れってすごい」


 本当に感心してしまう。コックピット内は騒音で溢れているし、そのためのヘッドホンも回線は切っていないので、絶えず管制からの通信が入っているはずなのに。


「熟睡しているのは三佐だけじゃないようだ」


 花山三佐が、後ろのカーゴ部分にいる谷口一曹達となにやら言葉を交わしてから笑った。


「天音のお客さんも熟睡中だそうだよ。しかも耳栓なしで」

「さすが戦闘機パイロット、図太い……」


 こっちは初めての長距離飛行で緊張しているっていうのに、榎本一尉ときたら。私の操縦の腕を見せてもらうとかなんとか、言っていませんでしたっけ?


 そうこうしているうちに四国沖を抜け、いよいよ九州だ。ようやく訓練飛行の半分が終わろうとしていた。


「山瀬、ここからは天音にやらせろ。この天候なら、内陸部に回り込んでからのアプローチも、さして難しいことはないだろう。なにごとも経験だからな」


 さっきまでイビキをかいて寝ていた三佐が、いつの間にか目を覚ましていた。大きくのびをしながら、前方を覗き込む。


「了解しました三佐。天音、ユーハブ、操縦を任せる。……ちゃんとこっちでバックアップしているから、肩の力を抜いてな」

「はい。アイハブコントロール、操縦桿あずかります」


 緋村三佐と飛んでいる時も、こうやって途中で交代することがあったけど、今日の着陸する基地は初めての場所だ。すべての基地の離着陸は、シミュレーターで経験しているから頭に入っているとは言え、やはり実機でおこなうとなると緊張する。


『キャメル06、こちら新田原基地管制』


 しばらくすると、ヘッドホンから基地の管制塔からの通信が聞こえてきた。三佐は、私に受け答えをしろと指をさして合図する。つまり今から私が、この輸送機の機長ということだ。


『こちらキャメル06』

『現在位置を知らせてください』

『現在、当機は最終着陸コースに入るまで、あと20マイルの位置を飛行中です』

『レーダーにてそちらの位置を確認しました。そのまま予定コースを維持してください』


 それを聞いて少しホッとする。


 新田原は戦闘機操縦過程を行っている基地。到着時間によっては、あちらの訓練飛行の都合で進入コースの変更を余儀なくされたり、上空で旋回しながら待たされることもあると事前に聞いていた。今までそんな事態に遭遇したことはないけれど、最後の最後でいきなり着陸のやり直しを指示されることもあるから、車輪が滑走路について機体がハンガー前で停止するまでは、本当に気が抜けない。


 そして高度を下げ続け、最終着陸コースに入る直前になってやっと着陸の許可が出た。


『こちら新田原基地管制。キャメル06、ランウェイ10への着陸を許可します』

『了解しました。このままの進路を維持。ランウェイ10への着陸態勢に入ります』

『了解、キャメル06。ようこそ新田原基地へ、お嬢さん』


 最後の笑いを含んだ通信に「ん?」と首をかしげてしまった。お嬢さん?


 本当ならそこで緋村三佐あたりを締め上げるところだけど、あいにくとこちらは着陸シークエンスに入ってしまった。しかたがない、地上に降りてからゆっくりと締め上げることにしよう。




■補足■


※ランウェイ28 … これは滑走路とその方向を示す数字です。詳細はウィキペディアの滑走路の命名法を参照してください。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%91%E8%B5%B0%E8%B7%AF

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る