第七話 五年越しの告白

「こうやって見ると、たしかにT-4ってイルカに似てますよね」


 イルカショーが始まるにはまだ早かったので、ショーをするイルカ達のプールの中が見える、下のフロアに行った。そこでイルカ達が泳ぎ回る様子をながめながら、隣のベンチに座った榎本えのもと一尉に話しかける。


「榎本一尉?」

「ん? ああ、そうだな」

「あの、もしかしてつまんないとか?」


 私の問い掛けに、こっちを見て笑うと、泳いでいるイルカ達を指さした。


「いや、そうじゃなくて。こいつらが泳いでいるのを見ながら、これが空だったら、どんな機動をするんだろうなって考えてた」

「それってなんて職業病……」

「そうかもな」


 一尉の話を聞いたうえで、もう一度イルカ達をながめる。私が操縦するC-130は、さすがにイルカって感じはしないな。どちらかといえば、大きな水槽でゆったりと泳いでいるジンベイザメか、大海原を泳いでいるクジラが近いかもしれない。


「そうですねえ……。小回りはききそうですけど、安定して飛ぶには胸ビレが少し小さいような気がします。それと、あんな風に急旋回したら、パイロットが失神しちゃうかも」


 イルカ達が仲良く追いかけっこをして、クルクルと水の中を旋回するのを見ながら指摘した。


「アクロバットが得意なブルーインパルスのパイロットでも、今みたいな急旋回は、無理なんじゃないかなあ」

「たしかにな」

「そういえばイルカって、額のあたりから超音波を出して、地中に隠れている獲物を探すんですよね。その能力は搭載してほしいですね。索敵に役立ちそうですよ。それと、超音波で相手の対空ミサイルを破壊するとか。ああ、でもそれだと、武器に転用できるって言われて、問題視されちゃうかな」

天音あまね、それはもう練習機じゃないぞ」


 一尉があきれたように笑った。


「ああ、そうでした。一昨日おとといの晩に、アメリカ空軍のAC-130の映像を見たので、ついなにか武器になるものを積めないかなって、考えちゃいました」

「ガンシップか。なかなか過激なものが気に入ったようだな」


 ロングセラーともなると、様々なタイプの機体が作られていて、今も世界中の軍隊で現役として活躍しているのだ。


「輸送機として製造されたはずの機体が、色々な用途で使われているんだなって感心してしまいました。それだけ完成した機体なんでしょうね」

「それは言えてる。俺が乗っているイーグルも、新しい戦闘機が続々とロールアウトしているのに、いまだに小さなモデルチェンジを繰り返しながら、現役で飛び続けている。それだけ、性能が安定している機体なんだろうな」


 空自の場合は、それだけの事情でイーグルを使い続けているわけではなかった。様々な制約で、国産の戦闘機の開発ができない日本は、アメリカ製や欧州製の戦闘機を購入するしかない。そして日本はスクランブル発進が多い防空任務の特性上、どうしても適した機体が限られてくる。さらに予算も限られているから、新しい機体ばかりを導入することもできない。だから、今ある機体を大事に使っていくしかないのだ。


「それにしても、さっきから熱心ですよね。どうしてそんなに一生懸命、見ているんですか?」


 水槽からなかなか視線をはずさない一尉の顔を、横からのぞきこむ。


「いや、なにかいいアイディアが浮かぶかと思って」

「なんのアイディア?」

「隊長に黒星をつけるための戦術」

「隊長? 教導隊の隊長ってことですよね」

「ああ」


 飛行教導隊は、全国の基地を巡回して戦闘機パイロット達の指導をしている。じゃあ、指導する立場の一尉や他の教導隊のパイロット達は、どうやって自分達の練度を上げているんだろうと、いまさらながら疑問に思えてきた。


 もちろんシミュレーターもあるし、部隊内で敵味方に分かれて、模擬空戦をすることもあるだろう。今の一尉の言葉からすると、教導隊の隊長が教官の役割を担っているようだけど、空自トップともなれば、それだけで十分とは思えない。


「教導隊の隊長ってことは、物凄いお化けパイロットなんでしょうね、きっと。まだ一度も、飛んでいるところを見たことありませんけど」

「普段は気のいい人なんだけどな。空に上がったとたんに人が変わる。まさにコブラだよ」

「指導する立場の人って、その上に誰もいないから切磋琢磨せっさたくまするのが大変そうですよね」

「と、思うだろ?」


 私の言葉に、一尉がニッと笑った。


「え? いないでしょ?」

「上にはな」

「上にはいないってことは下? でもそれじゃあ切磋琢磨せっさたくまの意味がないですよね? 上でも下でもないなら……横?」

「さて、どう思う?」


 首をかしげる私を見ながら、一尉はニヤニヤしている。


「あの、横ってどういう意味?」

仮想敵機アグレッサー部隊は、俺達だけじゃないってことだよ」

「つまり?」

「アメリカ軍にも、いくつかの部隊があることは知ってるだろ?」


 それは聞いたことがある。米国では陸、海、空、海兵隊にそれぞれアグレッサーが存在していて、敵側の戦術トレスだけではなく、鹵獲ろかくした戦闘機や兵器を使って、本格的な演習をするという話だった。


「ってことは?」

「そういうことだ」

「日米合同訓練的なもの、ですか?」

「お互いに、向き合う相手がほぼ同じってこともあって、情報の擦り合わせの意味合いもあるんだがな」


 そこで一旦言葉を切ると、一尉は周囲を見回した。それから誰もいないことを確認して、再び話を続ける。


「実際、俺達が相手にする機体はイーグルじゃない。動きを再現することはできても、実際のところは違う機体を相手にするわけだ。だから、米国が公式非公式に保有している他国の戦闘機が非常に役に立つ。機体性能もだが、視覚による認識というのは意外と大きいんだ。本来なら、俺達がその機体を使って指導するのがベストなんだが、こればかりは色々と事情があるからな」


 たしかに、イーグルを相手にするのと、某国製の戦闘機を相手にするのとではまったく違う。相手の動きをコピーすることはできても、その機体の基本スペックはまったくの別物で、戦闘機パイロットにしか分からない細かい誤差が生じてくるのだという。その誤差を感じてコンマ単位の動きを気に掛けるあたりが、やはり空自のトップ集団なんだなと感じた。


「なるほど。知りませんでした」

「そりゃあ、表向きはあくまでもアメリカと行う通常の合同演習で、大っぴらに言うことじゃないからな。見ればきっと楽しいと思うぞ、普段は見られないような、カラーリングの戦闘機が空を飛び回るんだから」

「へえ。機会があるなら一度は見てみたいです。あ、そろそろ上で、イルカのショーが始まりますよ」


 水槽の上にある電光掲示の時計を見て、立ち上がる。


「ここで見物するわけにはいかないのか」

「なに言ってるんですか。イルカショーの醍醐味は、イルカがプールの中から飛び出して、ジャンプするのを見ることじゃないですか。せっかくなんだから、できるだけ近い場所に座って、空飛ぶイルカを見なきゃ。もしかしたらここで考えるより、もっといい案が浮かぶかも」

「なにか違うと思うぞ?」

「そんなことないです。行きますよ! 今日はデートなんでしょ? だったら、ちゃんと私に付き合ってくださいよね!」


 そう言うと、一尉の腕を引っ張った。



+++++



「久し振りに、休暇を楽しんだって気分になりました。今日はありがとうございます」


 日が落ちて外が暗くなる頃には、私達は、基地近くのこじんまりしたビストロに落ち着いていた。どうやら、私の門限のことを気にしてくれているようで一安心。


 このお店を選んだのは、おいしいことはもちろん、地元の人が利用する家族向けのお店なので、若い隊員達と鉢合わせする心配がないという丹下たんげ曹長情報と、基地まで徒歩で帰ることができて、一尉が宿泊しているホテルにも近いという好条件だったからだ。


 ちなみに、車はレンタカーだったので、ここに来る前に返納済み。なので、一尉も安心してお酒が飲めるというわけ。とは言っても、私は明日も飛行訓練が控えているので、残念ながら飲むわけにはいかないんだけど、要は気持ちの問題ってやつかな。


「こちらこそ。俺も色々と勉強になった。意外なところにヒントはあるものだな」

「隊長をぎゃふんと言わせる策が浮かんだのなら、良いんですけどね」

「そこまでは無理かもしれないが、なんとか少しでも長く隊長に食いつけるようにできたら良いな。帰ったら、相棒にいくつか提案してみるつもりだ」


 そう言いながら、楽しそうに笑っているところを見ると、どうやら、なにか策を思いついたようだ。


「そういえば、お友達も同じ部隊に来たとか言ってましたよね?」

「ああ。もともとは小松で俺と一緒に飛んでいたヤツなんだ。隊長は二人同時に引き抜こうとしたらしいんだが、いくらなんでもそれはあんまりだと、所属していた飛行隊から抗議があってあきらめたらしい。で、そいつが去年からこっちに配属になって、今は俺のウィングマンとして一緒に飛んでいる」

「へえ。噂には聞いていましたけど、本当に隊長が直々じきじきに一本釣りをするんですね」

「まあな」


 そこからは、この三年間どんなことをしていたか、お互いに報告し合う時間になった。


 私は、飛行準備過程での耐G訓練の時に、呼吸方法を覚えるのに苦労したこと。それから、習志野ならしのでの落下傘降下準備訓練で、怖すぎると皆で大騒ぎしたことを話す。その時の教官に、降下に慣れる方法を教えてやろうと連れていかれた先が、バンジージャンプの名所だったことを話すと、一尉がおかしそうに笑った。笑いごとじゃないのに!


 榎本一尉は、なんとか一つの壁を越えて、今はあっちこっちの基地を巡回しているということだった。教導する立場ではあるけれど、教えることによって逆に学ぶことも多いって話すのを聞いていると、空自のトップに君臨している部隊の人とは思えない、謙虚さを持っているんだなあって意外に感じた。そんな感想を口にしたら、いったい俺達はどんだけ鼻持ちならないパイロットだと思われているんだ?と笑われたけど。


「だって、空自パイロットのトップに君臨している人達なんですからね。絶対、偉そうな集団だと思ってました」

「まったく酷いな」

「でも、一尉と話して、ちょっとだけイメージが変わりましたよ」

「良いほうに変わっていると良いんだが」

「もちろん良いほうに決まってるじゃないですか。偉そうな人達から、意外と努力家な人達へ、です」

「意外とってのが余計だと思うぞ」

「それはまだ、一尉以外の人と会ってないから。そのへんはまだ保留です」


 一尉は、全員を紹介しなくちゃならないようだなと笑った。


 そして門限の時間が迫ってきたので、お店を出て基地のゲートに向けて二人で歩き始める。


「こんな近くに、あんなおいしいお店があるなんて知らなかったです。教えてもらえて良かった」

「丹下曹長に感謝しないとな。酒はおごれなかったが、なんとか三年越しの約束を果たすことができて、肩の荷がおりたよ」

「そんなに気になってたんですか? 別にかまわなかったのに。だから、そのほっぺたをつねるのはやめてください」


 手をこっちに伸ばして、私の頬をつまむ一尉に抗議する。


「約束は約束だろ。それとだな、それだけのことで、俺がここまで来たと本当に思ってるか?」

「違うんですか?」

「当たり前だろ。俺だってそこまでヒマじゃない」


 そう言いながら、私の腕をとってその場で立ち止まった。そして、何故か私を歩道側に押しやると、一尉は車から私が見えないようにして、車道に背を向けて立つ。


「ロックオンした相手を、そう簡単に逃すわけないだろうが。まあ、された本人はまったく気がつかないまま、呑気な顔して好き勝手に空を飛んでいるみたいだけどな」

「それってもしかして、私のこと?」

「それ以外に誰がいるってんだ」


 私の問い掛けに、不機嫌そうな顔をしながら再びほっぺたをつまんで、ムニムニとしてくる。


「もう、やめてくださいってば。だいたいそんなこと言われたって、わかるわけないじゃないですか。私、今までロックオンなんてされたことないし。それにいつされたのか知らないけど、警戒シグナルだって聞こえませんでしたよ?」


 そう抗議すると、一尉は首をかしげて少しだけ考える素振りを見せた。


「そうか。だったら改めてここで確認する。天音空曹長、君のことをとしてもかまわないか?」


 私を見下ろしている榎本一尉の表情は真剣そのもの。冗談で言っているわけじゃないらしい。


「もしかしてそれって、マイルドな表現で言ってますけど撃墜許可申請キルコールってやつじゃ?」

「まあそうとも言うかな。これだけお互いに離れているんだ、どうやって付き合っていったら良いのか、皆目かいもく見当もつかないが。それで? 俺の腕の中に、おとなしくちてくる気はあるのか?」


 ん?と答えを催促された。


「私にもまったく見当がつきませんよ。だけど飛行機で一時間ちょっとの距離なんて、普段から空にいる私達にとっては、離れている内には入らないんじゃないかなって思います。まあ民間機ではなく定期便を使うと、もうちょっと時間はかかりますけどね」

「つまり?」

「ただ、明日に長距離の訓練飛行が控えているっていうのに、とすだなんて単語は縁起が悪いので気に入らないです。なにか別の言葉を考えてください。それと、いい加減にほっぺたから手を離して」


 問題はそこなのかと、一尉は笑いながら手を離してくれたけど、私にとっては意外と気になるところなのだ。大した事故もなく無事にここまで歩んでこられたのは、お酒絶ちのような、ゲンかつぎみたいなことをしていたからなのかもしれないし。


「そうだな。だったら、俺の女になってくれとしか言いようがないか。おい、顔が真っ赤になったぞ」


 煌々こうこうと歩道を照らしている街灯が恨めしい。


「だって、そんなストレートな言葉が飛び出すとは思ってなかったから」

「すまないな、語彙力ごいりょくがなくて。しかしそういう妙に可愛らしいところは、最初に会った時から全然変わってないな」

「なに言ってるんですか、赤いのはつままれたせいもあるんですから、少しは反省してくださいよ」

「そりゃすまない」


 全然反省している口振りじゃない。


「あの時は、まだ相手は十代のヒヨコだからと踏みとどまったが、これでやっと心置きなく色々とできるってもんだ」

「なにをですか?」

「そうだな、まずはこれから」


 一尉はその質問を無視して体をこちらに屈めてくると、私の唇にビールの味のするキスをしてきた。思わず後ろに引っ繰り返りそうになって、慌てて一尉の上着をつかむ。ここが外で、すぐ横は車がビュンビュン通っていく国道だってことを、うっかり忘れてしまいそうになるキスだった。


「残念だが今夜はここまでだ。続きはそうだな、いつになるんだろうな」

「えっと……いつでしょう……」

「それと、さっきのいつロックオンしたかってやつの答え。三次試験の時に、天音が他の受験生達に空を飛ぶことに対して熱く語っていたのを見た時に、俺は撃ち落された気分だった。つまりこれは、五年越しの告白ってやつだ。俺が気の長い男で良かっただろ?」


 そう言って、一尉は私の手をつかむと歩き出した。


「だが新田原にゅうたばる小牧こまきか」

「民間機で移動していたら、それだけで破産しそうです。輸送機を使って移動できる自衛官で良かったかも」

「お互いに、とんでもないことになったかもな」


 とんでもないと言いつつも、なんだか楽しそうなのは気のせい?


「楽しそうですね、一尉」

「そりゃまあ、言いたいことがやっと言えてすっきりしたからな。ああ、そうだ。天音」


 ゲート横に立っていた警備隊の人に、外出証と身分証を提示してゲートを通り抜けようとした私を、一尉は呼び止めた。


「なんですか?」

「明日、俺もお前が飛ばす輸送機に、乗せてもらうことになっているからな」

「はい?!」

「そっちの輸送機の目的地が新田原だって聞いたから。初っ端から練習機で無茶飛びしていたお嬢さんの腕前が、どこまで上がったのか、この目で見るのが乗るのが楽しみだよ。じゃあな、おやすみ!」


 悪戯いたずらっぽい顔でそう言うと、一尉は私の返事を待たずにこっちに背中を向けて歩き去った。



■補足■


T-4 … 空自で使用される中等練習機です。訓練機としてだけではなく曲技飛行隊(通称ブルーインパルス)でも使用されています。

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