第六話 安全運転とは

 次の日の朝、基地のゲートに向かうと、すでに榎本えのもと一尉がゲート前で車をとめて待っていた。詰め所の横で、警務隊の丹下たんげ曹長と、楽しそうに話をしている。上官を待たせては大変と、走って二人のもとに行くと、一尉の前で止まって敬礼をした。


「お待たせしました! おはようございます!」

「そんなに慌てなくても良いんだぞ? 約束の時間までにはもう少しあるんだから」


 私が慌てて走ってきたのを見ていた一尉が、こっちに腕時計をかざしながら笑う。


「待たれているのが見えているのに、呑気に歩いてなんていられないですよ。これも自衛官の習慣ですね。おはようございます、丹下曹長。外出許可証です。確認をお願いします」


 そう言って、曹長に許可証を渡した。


「たしかに確認した。もしかして天音あまねちゃんは、ここに来て実家以外で初めての外出じゃないか? わかっているとは思うが、遅くなるようなら必ず連絡を入れようにな」

「はい。ですがこちらも空自の大先輩ですし、そのへんはわきまえていらっしゃると思います」

「それが一番信用ならないんだよなあ……」


 溜め息まじりに、曹長がつぶやく。


「そうなんですか?」

「陸海空の中でも、空自はなぜかこの手のことに関して一番ゆるいのが伝統だからな。そうでしたよね、榎本一尉?」


 心当たりがあるのか、一尉がニヤッと笑った。


「まあそうかもしれないな。天音、先に車のところに行ってるぞ」


 そう言って、車の方へと歩いていく。


「じゃあ、相手を殴って引き摺ってでも戻ってきます」


 私の宣言に、曹長がよろしいとうなづいた。


「うむ、いい心掛けだ。じゃあ休暇を楽しんでこい」

「はい、行ってきます!」


 一足先に車のところへ戻っていた一尉は、助手席の横に立っていて、私が車の横にたどりつくと、うやうやしくドアをあけてくれた。


「どうぞ、お嬢さん」

「あ、えっと……ありがとうございます」


 そう言って、恐縮しながらシートに腰をおろした。上官である人にドアを開けてもらうなんて、なんだか落ち着かないなと思いながら、シートベルトをしめる。一尉はドアを閉めてから、運転席の方へと回り込んできた。そして運転席に落ち着くと、シートベルトをしながら愉快そうな表情をしながら私を見る。


「俺を殴ってでも戻るだって?」

「地獄耳ですね」

「あれだけ大きな声で言ったら、聞くつもりがなくても聞こえるだろ」


 おかしそうに笑った。


「殴って引き摺ってでも戻ってきますよ。時間厳守なんですから」

「そりゃ大変だ、肝に銘じておく。それと大先輩って、俺はそんなにオッサンじゃないぞ」


 オッサンなんて呼んでないじゃないですかと言っても、納得した顔をしない。どうやら一尉の中では、オッサンと大先輩は同意語のようだ。


「じゃあ、あらためて質問させてもらいますけど、榎本一尉はおいくつなんですか?」

「三十三」

「なるほど。私は二十三歳です。二十三歳の私からしたら、三十三歳の一尉はオジサンとまではいかないまでも、十分に大先輩ですよね?」

「……」

「大先輩ですよねー?」


 念押しするように言って、相手の顔を覗き込む。


「あー、そうかもしれないな……」


 私とは飛行適正検査の時に会っているし、その後におごってもらった時に二十歳になったばかりだと話しているんだから、どれだけ年が離れているかわかっているだろうに。それとも十歳ぐらい離れていても、大先輩じゃないと思っていたのかな?


「そうかもじゃなくてそうなんですよ。それに階級だって、一尉と曹長じゃ天と地ぐらい違うじゃないですか。一尉は間違いなく大先輩です」

「大先輩、ね」

「はい」

「ま、そういうことにしておくか」


 渋々納得したようだ。それから横目で私の方を見る。


「……で、さっきから気になっているんだが、なんでそんなしっかりとシートベルトを握ってるんだ?」


 体の前にあるベルトを握っている私の両手に気がついたのか、エンジンをかけながら首をかしげた。


「え、だって一尉は戦闘機のパイロットじゃないですか」

「それとこれとどういう関係が?」

「だから、ひゃっ」


 いきなり車が急発進して、変な声が出た。


「スクランブル発進なみに、こういう運転をするんじゃないかって、警戒していたわけだな。安心しろ、今は驚かすために急発進したが、地上では安全運転を心掛けているから」

「だったら良いんですけどね! ひっ」


 とんでもなく急発進をして、次の角をタイヤをきしませながら曲がった一尉だったけれど、角を曲がったところですぐにスピードを落として普通の運転に戻った。ううん、普通どころか私よりも安全運転かもしれない。だけど角を曲がったところに警察車両がいなくて良かった、今の運転を見られたら、絶対に職質されて厳重注意で減点案件……下手すれば免停だったかも。


「なんて無茶な曲がり方をするんですか! 今の、絶対にアスファルトにタイヤ痕が残ってますよ!」


 そう言いながら後ろを振り返った。


「あの程度の回避行動は、自分だってするだろうが」

「今の曲がり角に、回避するものなんてなかったじゃないですか! 輸送機を急角度で旋回させるのと、車が急角度で曲がるのとは大違いですよ! しかもスピードを落とさないままコーナーに突っ込むなんて、いくら関係車両しか通らない道路でも無茶すぎ!」


 私の抗議に、一尉は呑気に笑うだけだった。まったく、戦闘機のパイロットって、スピード感覚が普通の人と違うんだろうか?


「それで? こっちでの訓練はどうだ? ハーキュリーズは気に入ったか?」


 しばらくして、やっとシートベルトにしがみつくのをやめる気になった私に、一尉が質問をした。


「今のところ順調ですよ。このままでいけば、問題なくここでの操縦過程は修了できそうです。機体に関しても、今の時代になんでプロペラのままなんだろうって最初は思ってましたけど、すごく気に入ってます。正式に部隊配属でこっちに戻ってくるのが楽しみ」


 ここでC-130輸送機について学習をした時に、そのスペックの安定度とマルチぶりに改めて驚かされ、だてにロングセラーで飛び続けているわけじゃないんだなって、感心したものだ。


「小牧に来るまでは、やっぱりC-1にすれば良かったかなって思ったこともあったんですけど、今では、飛ばすならあの機体以外に考えられません」


 そう言うと一尉が笑った。


「随分と惚れ込んだものだな」

「はい、もうベタ惚れです。ああそうだ。教官のコーパイとして飛んでいる山瀬やませ一尉という方がいらっしゃるんですが、他の機で機長として飛んでいる三佐が退官されるので、後任の機長として異動になるんですよ。なので私は、奈良の幹部学校から戻ったら、そのままコーパイとして教官と一緒に飛ぶことになりそうです」

「そりゃまた願ったりかなったりだな」


 緋村こむら三佐とは、飛行訓練を始めてからずっと一緒に飛んでいるから、相手の操縦のリズムにうまく合わせることに慣れてきていた。だから戻ってきて、引き続き三佐と一緒に飛べることになったら嬉しい。だけど、一つだけ心配なポイントがある。


「ただ、課程中と同じように、ずっと怒鳴られっぱなしだったらどうしようって、今から心配です。教官、うちの伯父と一緒で、怒ると声はともかく顔が鬼瓦みたいになるので、めちゃくちゃ怖いんですよ」

「その点は心配ないさ。ここの過程を終えて奈良から戻ってきたら、もう教え子じゃなく部下の一人だ。そういう指導的言動は、よほどの馬鹿をしない限り出なくなる」

「本当に?」

「ああ」

「それって、経験からの言葉ですか?」

「そんなところだな」


 それを聞いて一安心。これから何年も一緒に飛ぶことになるのに、ずっと怒鳴られっぱなしだなんて、考えただけでも憂鬱ゆううつな展開だものね。


「あ。ところで昨晩は陸路で? それとも空路で?」

「空路に決まってるだろ。陸路をちまちま走ってられるか。新田原にゅうたばるからこっちに戻ってくる、C-130に乗せてもらおうと思っていたんだが、時間が合わなくて民間機を使った。ま、そっちを使っても、宮崎空港から名古屋空港までは一時間ちょっとで着くんだ。しかも、小牧基地は空港の目と鼻の先だしな」

「なんともパイロットらしいお言葉」


 航空自衛隊の輸送機は、日本全国の基地と基地の間を毎日のように飛び回っている。空きがあれば、陸海空の自衛官は誰でも利用が可能だった。だから、休暇で帰省したり出掛けたりする時に、目的地の近くの基地まで飛んでいく輸送機を利用する隊員達が意外と多い。


 小牧基地の場合は、自衛隊と民間機が滑走路を供用しているので、滑走路を挟んでお向かいさん同士だった。だから、出発地が空港に近くてこっちへの直行便があるなら、民間の飛行機で飛んできた方が輸送機よりも乗り心地は良いし、途中で寄り道もしないから断然楽なのだ。その代わりに料金はかかるけど。


「ってことは、宿泊もこちらで?」

「今回は私用で来たからな。この近くに新しいビジネスホテルが建ったって話だったんで、そこに泊まった」

「へえ」


 ハンドルを握っていた一尉が、怪訝けげんな顔をしてこっちをチラリと見る。


「なんだ」

「いえ。空自の戦闘機パイロットには、空港ごとに女がいるとかいないとか、そんな話を聞くものですから」

「港は港でも、港ごとに女がいるって言われているのは海自の連中だろ? 戦闘機パイロットはそこまで頻繁に異動しないからな。まあ俺達みたいに巡回する部隊は別として、他の連中は思ってるほど動かないものだぞ? だからそれを言うなら、輸送機パイロットの方がその可能性は高いんじゃないのか?」

「え、どうして?」


 意外な切り返しをされ、思わず敬語にするのを忘れて聞き返してしまう。


「だってそうだろ。輸送機はそれこそ毎日のように国内を飛び回っているんだ。空港ごとに女がいてもおかしくないんじゃないか? たとえそれが、ほとんど日帰りばかりだとしてもだ」

「えー……」

「えーってなんでだ、えーって」


 私が不満げな声をあげたので、一尉は顔をしかめた。


「だって、絶対に戦闘機のパイロットの方が、派手に遊んでそうですよ」

「イメージで語るなイメージで。まあそういうヤツもいるってことは否定しない。だが、大抵は嫁さんもらったらすぐに落ち着くからな」

「つまりは奥さんが来るまでは、あっちこっちじゃないですか。あれ? 一尉は独身でしたっけ?」


 もしかして、この三年の間に結婚したとかそういうことはないのかな?


「おい、なんだその目は。悪かったな独身で」

「そうじゃなくて。ってことはやっぱりあっちこっちに」

「だからあっちこっちにいるのは、絶対に輸送機パイロットの方だって言ってるだろ。絶対にそっちの方に決まってる。少なくとも、俺にはそんな女はいないからな」


 断言されてしまった。そして、そんなふうに女にだらしないと思われているなんて心外だなと、ブツブツと言っている。だってしかたがないじゃない、そんな話を聞いたことがあるんだから。


「あらぬ疑いをかけられるぐらいなら、無理を言ってでも、営内の何処かに泊まらせてもらうんだったな。ああ、天音の部屋の隣なんて空いてないのか? 女性隊員で営内に住んでいる人間は少ないんだろ? だったら空き部屋の一つや二つ、ありそうじゃないか」

「空いている空いていないの問題じゃなくて、男の一尉がこっちに一歩踏み込んだとたんに、警務隊が大挙して押し寄せますよ。けちらず、そのままビジネスホテルにお金を払ってください。とりあえず、女はいないで納得しときますから」

「とりあえずとはなんだ、随分と失礼な言い草だな」


 一尉は腹立たし気に溜め息をついた。


「そんなにお金を払うのがイヤなら、大人しく新田原から出なければ良いじゃないですか」

「イヤとは言ってないだろ。だいたい俺がこっちに来るハメになったのは、誰かさんが三年前の約束を忘れたせいじゃないか」

「でも、ここに来る前は美保基地にいたんですよ? あっちだって十分に遠いじゃないですか。基地間の定期便は飛んでますけど、下手したらあっちの方が時間がかかるんじゃないかな? ますます大変じゃ?」


 民間機のルートと定期便のルートを思い浮かべながらそう言うと、横にいるパイロット殿はなぜかムッとした顔をした。


「まったく薄情だよな、天音は。そっちから俺に会いに来る選択肢は無いのか」

「だって、一尉の部隊はしょちゅう全国の基地に巡教に出ているし、部外者の私には、その予定を知りようがないじゃないですか。考えたら連絡先も交換してなかったし」


 信号で止まると、一尉は体をひねって私を見た。


「なにがなんでも会いに行くという気概が感じられないぞ?」

「じゃあ、一尉にはその気概があったんですか?」

「なかったら、わざわざ訓練中の若いヤツから天音がどこでどうしているかなんて聞き出して、小牧まで会いに来ないだろ」


 言われてみればそうなのかな……。


「私、一尉はあの時の約束なんて、すっかり忘れていると思ってましたよ、いたたたたっ、またそうやって人のほっぺたを!!」

「聞けば聞くほどムカついてきたぞ、天音~」

「だってそう思ったんだから、しかたないじゃないですかー」


 信号が青に変わりそうなので、ブツブツと言いながら再び前を向く。イヤな予感がして思わずシートベルトをつかんで「安全運転ですよ!」と言った。私の言葉にここが公道だってことを思い出したのか、息を一つ乱暴に吐くと車を静かに発進させた。


「こっちは、約束を破ったいい加減な男だと思われてやしないかと焦って、ここに来たっていうのにまったく。肝心の天音は、約束をすっかり無かったことにしちまってるんだからな……」

「なかったことにはしてませんよ、お酒の席での話だから、忘れてるんだろうな程度で。もうほっぺつねるのは無しで!」


 こっちに手を伸ばしてきそうな気配に慌ててそう言うと、自分の両手で頬をガードした。




■補足■


このお話は少し前の話という設定なので中部国際空港はまだ開港していません。

小牧空港の現在の名称は県営名古屋空港です。

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