第三話 ロウソクの火を灯せ

 航学生活が二年目になると、月に一回しかでき来なかった外泊が、二回できるようになる。男の子連中の多くはその日を利用して、外に残してきた彼女とすごしたり、仲良くなった者同士で飲み歩いた入りと、束の間の自由を謳歌していた。


 ちなみに、私と同じ年に航空学生教育群に入隊できた女子は、四名と超少数派。だから、自然と一つのグループにまとまって、その日はいつもの居酒屋で、定例愚痴り大会を開催するようになっていた。ここで逆ハーレムにならないのが悲しいところだよねとは、同じく輸送機パイロット志望の松門まつかどちゃんのお言葉だ。


「風間君達、随分と落ち込んでたよ。なんでよりによって、榎本二尉と飛んだのが自分達じゃなくて、輸送機パイロット志望の天音なんだって」


 松門ちゃんがそう言いながら笑った。


「そんなこと言われても困るよ」


 だって、飛行適正検査で榎本二尉に当たったのは偶然だったし、その時は、二尉がアグレッサーだなんて知らなかったんだから。あの時に、二尉がアグレッサーだってことを知っていて、風間君のことも知っていたら、絶対に変わってあげていたと思う。


「あの感じ、すごく根にもってるよね風間君。これからもあのグチグチが続くのかと思うと超憂鬱……」


 いくら文句を言われても、すぎてしまったことはしかたがないんだから、いい加減に諦めれば良いのにと、ブツブツと言いながらグラスのジンジャーエールを飲み干した。


 ちなみに私は五月が誕生日で、すでに二十歳になっているからお酒を飲んでも問題ない。だけど無事にウィングマークを手にするまでは、一滴も飲むつもりはなかった。ま、私なりの願掛けってやつかな。


「お、なかなかいい飲みっぷりだな」

「!」


 いきなり声をかけられて、最後の一口が変なところに入ってむせた。


 声をかけた人は、私が激しく咳き込み始めたので慌てて背中を叩いてくれる。涙目になりながらその相手を見上げれば、榎本二尉が申し訳なさそうな顔をしながら私の背中を叩いていた。


「えのっ、げほげほっ、い?」


 言葉が言葉じゃない状態な私以外の皆は、上官を前に慌てて居住まいを正す。今はプライベートな時間だけど、二尉が私達よりも偉い人であることには変わりないのだ。


「すまないな、驚かせてしまったみたいで。大丈夫か?」

「げほっ、問題無し、です、げほっごほっ」


 最後の一口が人生最期の一口になるかと思ったけどね!


「榎本、可愛い子がいるからって、いきなりナンパするのはよせ」


 二尉の後ろを、冷やかしながら奥のお座敷席へと向かう二尉と同世代と思しき人達。あの雰囲気からして、間違いなく空自パイロットの皆様方だ。もしかして二尉と同じ、教導隊の人達も含まれているかもしれない。あああ、風間君、風間君はいま何処に? 見るだけで御利益がいっぱいありそうな人達が集団でいるっていうのに、どうしてこういう肝心な時にいないかな!


「うるさい。こちらは前途有望な航空学生のお嬢様方だぞ。お前ら、少しは先輩らしくお行儀よくしろよ」

「なんとまあ。まさかそんな早くからツバつけるとは恐ろしい男だな、お前。まさかそのために、こっちに出てきたのか?」


 何人かが立ち止まって、私達がテーブルを囲んでいるお座敷を愉快そうに覗き込んできた。


「気をつけろよ、お嬢さん。空自のパイロットは手の早いたらしが多いからな。油断していると、この狼にあっという間にロックオンされて食われちゃうぞ?」


 指をさされてムッとした顔をする二尉。


「やかましい、黙れ。出会って早々に、ロックオンした女を嫁にしたのはお前の方だろ、葛城かつらぎ。お前が言うな」

「せっかく励ましてやろうと、貴重な休暇を使ってはるばる北海道から来てやったというのに、なんだその言いぐさは。撃ち落とすぞ」

「それを言うなら俺だって三沢からだぞ。恩知らずなことを言うようなら、全員で交通費を上乗せして請求してやってもいいんだからな?」


 二尉は不穏な目つきで相手をにらんだ。


「お前達、全員そろって定期便で来たくせに何が交通費の請求だ。お前達こそ、次の巡教で撃ち落すぞ」


 この話の内容からして、教導隊の人ではなさそうだ。でも二尉と親しいということは、第一線で活躍するパイロットに違いない。そんなことを考えながら、二尉達のやり取りを眺めていた私達に、その中の一人が笑いながら声をかけてきた。


「お嬢さん達、こっちに来ないか? 今日は特別に、お兄さん達がおごってやろう。もちろん、下心はまったく無いから安心してくれて良いぞ。こいつ以外、全員が既婚者か売約済みの男ばかりだから」


 上官に誘われて断るなんて選択肢は無い。皆、嬉しそうにありがとうございます!と誘いを受けることにした。だけど何故か私の肩を掴んだ二尉のお友達は、クルリと私の体を反転させて二尉の方へと押しやった。


「申し訳ないけど、君はこいつの相手をしてやってくれるかな~」

「はい?」


 二尉がギョッとした顔になった。


「おい!」

「お前はこっちで、このお嬢さんと二人で楽しくやれ。ついでにここの飲み代も払ってやれよな。こっちは俺達が出しておくから」

「おい、なんで……」

「それでチャラだろ」


 そう言うと、私に頼むねとニッコリと微笑みかけて、奥のお座敷席へと行ってしまった。そして残されたのは、困惑した顔の二尉と私の二人。


「あの、お店に来てまだそれほど経っていないので、そんなに頼んでいませんから……多分」


 心配するのはそこじゃないと思いつつ、一応はそう伝える。


「お節介な友達だよ、何を考えているのやら。しかたがない、あぶれた者同士、寂しく飲むとするか」

「あ、はい。えっと、ちょっと待ってくださいね、その前にテーブルの上、片づけますから」


 人数分以上のグラスと、ほとんど空になっているお皿が散らばったテーブルを急いで片づけることにした。


「テーブルの端に寄せておけば、そのうち店の人間が片づけてくれるだろ。ああ、お姉さん、ここにビールと唐揚げ、それから枝豆を頼みます。天音君は何か頼むか?」

「えっと、じゃあウーロン茶をお願いします」

「それだけ?」

「はい。今は食べかけのたこ焼きがあるので」

「なるほど。じゃあウーロン茶も一つ」


 通りかかったお姉さんに幾つか注文をすると、お座敷に上がりテーブルの前に座る。そして、飲みかけのグラスや食べかけのお皿を寄せるのを手伝ってくれた。


「ウーロン茶を頼むって、酒は飲まないのか? せっかくの外泊許可が出ているんだろ? あ、まさかまだ二十歳前?」

「いえ。五月が誕生日なのでとっくにお酒は解禁なんですけど、願掛けっていうか、ウィングマークを手にするまでは飲まないって決めてるんです」

「なるほど。その日に祝杯をあげるってわけだ」

「そんなところです」


 お姉さんがビール瓶とグラス、それからウーロン茶を持って来てくれたので、瓶を取ってグラスに注ごうとしたら手で止められた。


「そんなことしなくて良いから。俺は勝手に手酌で飲むから気にしない気にしない。お互いにプライベートな時間なんだからな」

「そうですか? だったら、これ、注文したおつまみが来るまでどうぞ」


 そう言って、たこ焼が乗ったお皿を一尉の前に押し出す。


「ありがとう」

「あのう、本当にお友達の方と一緒じゃなくて良いんですか? 励ますとか励まさないとか、言ってたような気がしましたけど」

「良いも悪いも。あいつ等から締め出しを食らったからなあ……」


 二尉はたこ焼きを一個摘まむと、溜め息まじりに口に放り込んだ。


「えーっと、励ますのは無理かもしれませんけど、話を聞くぐらいなら私でもできると思います」


 戦闘機パイロットの最高峰である部隊に所属しているとなれば、きっと私達航学には想像もつかないようなプレッシャーの中で毎日をすごしているんだろうし、たまには愚痴りたくなる時もあるよね。


「じゃあ、せっかくだから聞いてもらおうかな。ついでに励ましてくれると嬉しいんだが」

「航学の私が大先輩を励ましても、あまり効果がないような気もしますけどね」

「そんなことないさ。話を聞いてくれるだけでも嬉しいよ」

「聞くだけならいくらでも!」


 なんでも聞きますよと気合の入った顔で請け負うと、二尉は頼もしいねと笑った。


「まずは、天音君が受験した時に、俺があの場にいた理由から話しておこうか。あの日あそこにいたのは、今まで積み上げてきたキャリアを一旦忘れて、初心に戻りたかったっていう気持ちがあってね。本当にたまたま顔を出したんだ」

「初心に?」

「ああ。俺も航学出身だから。恩師にも会いたかったし」


 そして三次試験の当日、その恩師さんに、卵達の飛行適性検査を見ていくか?と言われて顔を出したところで、パイロットについて熱く語っている私が居合わせたらしかった。そして何となく興味がわいたので、許可をとって私を乗せて飛ぶことに決めたらしい。


「実のところあの日、俺が飛行適正検査で飛んだのは、天音君とだけなんだよ」

「そうなんですか?」


 他にも誰か後ろに乗せて飛んだとばかり思っていた。今の話が風間君に伝わらないことを祈るばかりだ。


「ああ。基地に戻らなきゃいけない時間もあったんでね」

「そうなんだあ、じゃなくて、そうなんですか……」


 目の前にいる人が上官だと思い出して、慌てて言いなおす。


「でも、どうして初心に戻ろうなんて思ったんですか?」

「パイロットになって四年、腕はいいって上官からも言われていたし、自分でもそう思っていた。実際に今の部隊に引っ張ってこられたのも、その腕が認められたわけだしね。だが俺が行くことになったのは、そりゃもう化け物みたいなパイロットしかいない部隊で、その現実を突きつけられて、少しばかり自信喪失気味だったんだ」


 少なくとも自分は優秀なパイロットだと思っていて ―― 事実、優秀だから飛行教導隊に引っ張られたわけだけど ―― 意気揚々と部隊に行ってみたら、そこは自分なんて足元にも及ばない化け物集団の巣窟。榎本二尉は、初っ端から盛大に鼻っ柱をへし折られた気分になってしまったらしい。


 上には上がいるというのは簡単だけど、そういう現実を突きつけられると、わかっていても凹むものだよね。それまで腕が良いって言われていたプライドもあるだろうし。


「これは一度頭をリセットしないと駄目だなと思った。それで、休暇をもらって古巣に戻ってきたというわけだ」

「そうだったんですか。それで……今は大丈夫なんですか?」

「あれから一年、それなりになったと自分では思ってるけど、どうだろうな。いまだに隊長にはどやされるから、まだまだってやつか。だが、トップクラスのさらに一歩先を目指すんだ、そう簡単に認めてもらえるわけがないんだよな」


 現実はなかなか厳しいねと、笑いながらグラスに口をつける。


 そこへお店の人が唐揚げと枝豆を持ってきてくれた。その隙にチラリと奥のお座敷をうかがってみると、随分と盛り上がっているようだ。あの身振り手振りからすると、色っぽい話ではなく絶対に飛ぶことについての話に決まっている。きっと色んな武勇伝を聞かせてもらっているに違いない。後でゆっくり聞かせてもらわなきゃ。


 顔を引っ込めると、二尉がグラスにビールを注いでいるところだった。


「こういう時って、私が二尉の上官ならこう言うんですよね、えっと……くよくよするな、ロウソクの火を灯せ、でしたっけ?」

「よく知ってるね。ああ、そうだ、上官が下の者を激励する時に使うんだ、ロウソクの火を灯せってね。で、今夜は何故か、俺の同期達が口々にロウソクロウソクと言いながら集まってきたというわけだな」


 チラリと見ただけのお友達の様子を思い浮かべて、首をかしげてしまう。


「二尉のお友達の様子からだと、励ますより、二尉がロウソクを持った皆さんに取り囲まれて、丸焼きにされちゃいそうな雰囲気でしたけど。あ、すみません、上官である方々のことなのに失礼なことを言って」


 私の言葉に二尉は笑い出した。


「どうせあいつ等には聞こえやしないんだ、好きに言ってくれてかまわない。たしかに、あいつ等の集中砲火を浴びて火だるまになっていたかもしれないな。今夜は、天音君のお蔭で火だるまを免れて助かった」

「私はむせて死にそうになりましたけどね」

「それはすまなかった」


 そこからは、私があれやこれやと戦闘機で飛ぶことに対しての質問をして、二尉がそれに答える形で話が盛り上がり、気がつけば二時間ほどが過ぎていた。


「あーあ。今夜のことを知られたら、また風間君達に妬まれちゃうなあ」

「風間君? 天音君の彼氏かい?」

「そんなんじゃありませんよ。航学の同期の男子です。彼はイーグルドライバーを目指していて、飛行適正試験で私が榎本二尉に適正ありと言われたことを知って、大騒ぎなんですよ」

「そうだったのか。だけどまあ、同じ戦闘機乗りになるなら、そのうち顔を合わせる機会があるかもしれないから」


 気落ちしないように言っておいてくれと言われても困るんだ。これ以上は風間君に妬まれたくないので、今夜のことは話すつもりはないんだから。そんなことを考えていると、二尉はそうそうと思い出したように口を開いた。


「実は今回こっちに来たのには、恩師に呼ばれたこともあるんだが、もう一つ理由があってだな」

「もう一つ?」


 私が首をかしげると、二尉は少しだけ恥ずかしそうな顔をして肩をすくめる。


「ああ。一年前に、自分が飛行適性検査で一緒に飛んだ子が、どうしているか知りたくなったんだ」

「それって私のこと、ですか?」

「あの時は、怖いもの知らずの凄い子がいるもんだって感心していたが、岩代みたいにそれを良く思わないヤツもいるわけだし、あの時のことが誰かの耳に入って、困ったことになってやしないかと少し心配だった」


 まあ案の定、岩代の耳に入って嫌味攻撃を受けていたわけだが、と付け加える。


「岩代教官は誰にでも厳しい人ですから。特に私にだけってことはないので大丈夫ですよ。同じ二年生の者同士で結束してやりすごしてます」


 私達だって、黙ってガミガミ言われ続けているわけじゃない。そのお蔭か私達は非常にチームワークが良いと、他の教官からはお褒めの言葉をいただいている。本人には絶対に言えないけど、ガミガミさんのガミガミは、ファンシードリル以上に私達のチームワーク向上に役立っているのだ。


「それを聞いて安心したよ」


 そして日付が変わろうとしている頃に、私達は基地の緊急連絡先になっている宿泊先に戻ることになった。二尉達は、さらに次のお店に向かうようだ。空自のパイロットは宵越しの金は持たない人が多いって聞くけど、この人達もそうなんだろうか? でも結婚している人もいるんだし、それじゃあ奥さん達が困らない?


「今夜は御馳走様でした。色々なお話を聞かせていただいて、とても勉強になりました!」


 私を除いた女子が、一斉に榎本二尉のお友達の皆さんに頭を下げる。それを横目に私も二尉に頭を下げた。


「御馳走様でした。ありがとうございます」

「こちらこそ話せて良かったよ。ああ、そうだ、お互いに離れているから難しいかもしれないが、今夜おごれなかった分の酒は、天音君がウィングマークを手にした時におごらせてくれ」

「ありがとうございます。その日を目指して頑張ります!」


 私達の会話を聞いていた二尉のお友達が、冷やかすようにニヤニヤしながら割り込んできた。


「お、もう次のデートの約束か? しかしウィングマークって何年先の話だよ、気が長いな、榎本。だったらメールアドレスぐらい交換しておけよ? 当然したんだよな?」

「うるさい、外野は黙ってろ。……頑張れよ、天音空士長。次に会う時は飛行幹部候補生だな」

「はい! あ、榎本二尉も頑張ってくださいね、目指せ、頂点のてっぺんで! ロウソクですからねロウソク!」

「お互いにな。そっちも、パイロットになるからには同期の主席を目指せよ」

「頑張ります!」


 榎本二尉達は、私達に頑張れよと言い残して夜の街に消えていった。途中で誰かが「ロウソクってなんなんだ?SMか?」と、とんでもない質問を二尉にしていたのが聞こえてきたのは気のせいだと思いたい。

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