第二話 実は教官殿じゃなかった件

 たしかに、航空要員を目指して航空学生になることは、パイロットへの最短ルートだ。だけど当然のことながら、航空学生として航空自衛隊に入隊したからと言って、すぐに、憧れのウィングマークを手に入れて空を飛べるわけじゃない。


 航空学生として過ごす二年は、パイロットとしての知識だけではなく、自衛官として必要な、ありとあらゆる知識を、頭の中に詰め込むことから始まる。重たい装備を背負っての長距離の行軍もあるし、射撃などの戦闘訓練もあれば、演習に参加することもあった。変わったところでは、銃の分解清掃、そして組み立て、なんてことを覚えるのもこの時期だ。パイロットだからといって、それ以外のことは何も覚えなくて良いというわけではないのだ。


 そんなわけで、航空要員を目指す航空自衛隊パイロットの卵たちは、航空自衛隊防府北基地第十二飛行教育団で、自衛官としての最初の一歩を踏み出すことになる。


 その中に私、天音あまねちはるも含まれていた。



+++++



「お前だったのか、飛行適性検査でいきなりバレルロールをするという、馬鹿なマネをした人間は」

「お言葉ですが、自分の思うように飛びなさいとおっしゃったのは、その時に一緒に飛んでくださった教官です」


 実のところ、パイロットを志す私達が初めて操縦桿を握るのは、航空学生になるため試験での、三次試験の飛行適正検査の時だ。つまり、パイロットの訓練を始める前。考えてみると、なんだかおかしな話よね。


 その試験は、四泊五日という長丁場の実技試験。その間に事前研修を受け、一日一回教官と一緒にフライトをして、少しの間だけ操縦桿を預かり、旋回や上昇下降等の簡単な動きを繰り返したりする。そして面接を受けたり、医学的な検査を受けたりして、各々おのおのの適性を見極めるというものだった。


 通常は。


 私がその飛行適性検査を受けた時、一回目のフライトで操縦席に座った教官殿は、実に気前の良い御仁ごじんだった。なんと、離陸してしばらくすると、君の飛ぶことに対する思いを込めて、好きにやってみせろと言ってくれたのだ。だからそのお言葉に甘えさせていただいたのだが、どうもそれが、目の前に立っている別の教官殿はお気に召さないらしい。


 だけど、一年以上前のことをいまさらのように蒸し返されても困るわけで、そういうことは教官同士で話し合ってくれれば良いのではないかと思う。


「誰も曲技飛行をして良いとは、言わなかったと思うが?」

「するなともおっしゃいませんでした。もちろん事後も、叱責は受けておりません」


 目の前で、何か言いたげな顔をして口元をピクピクさせているのは、入隊して二年目をむかえた私達航空学生の、学科教育を受け持つ教官殿の一人だ。


 別に、私が突飛なことをしたせいで目をつけられているというわけではなくて、何故か誰にでもこんな感じで、あれこれガミガミと言ってくる。そのせいか、私達の間では密かに、ガミガミさんというあだ名で呼ばれていた。そして本人が私達のことをどう思っているかは別として、意外なことに私達の間では、好感度の高い存在だったするのだ、これでも。


 そして、本日のガミガミさんの御機嫌はすこぶる悪い。こんな日に試験があったら、全員が赤点追試になるのではというぐらい悪い。そしてその原因が、一年以上前の三次試験だというから困ったものだ。


「それにその時の教官からは、いきなりバレルロールをするのはお勧めしないが、君の腕は非常に良いとお褒めの言葉をいただきました」


 それと同時に、私のしたバレルロールに対しての技術的アドバイスもいくつか。お蔭で、二度目の回転は実によろしいと、さらなるお褒めの言葉もいただいたのだけれど、それはさすがに私とその教官殿との秘密なので、端折らせてもらう。


「そういう問題ではない。それはそれ、これはこれ、だ。物事には順序というものがある」

「はい。ですからそれはそれこれはこれということで、お褒めの言葉をいただいたことで良しとはせず、立派な航空自衛隊のパイロットになるべく、日々精進しております」


岩代いわしろ、お前の負けだ。いい加減、学生にあれこれイチャモンをつけるのはよせ。そのうち、男のヒステリーはみっともないって言われちまうぞ」


 笑いを含んだ声がした。のんびりとした足取りでやってきたのは、あの時に一緒に飛んだ教官殿だ。


 適性検査の一回目のフライトの時に見たきりで、今まで一度もここで姿を見かけたことがなかった。だから、てっきり転属にでもなったのだろうと、思っていたのだ。一体どこで何を指導していらっしゃる教官なんだろう。


「お前が、変に褒めるから学生がつけあがるんだぞ、榎本」

「んん? そりゃあ、俺のモットーが褒めて伸ばすだからだよ。それでこの空士長殿はつけ上がっているのか? あー……?」


 教官殿はなんて名前だったかな?と言いたげな顔をして、私の方に視線を向けた。


「天音です」

「天音空士長、君はつけ上がった挙句に、こっちの岩代教官になにかしたのか?」


 ああそうだったとうなづきながら私に問い掛ける。階級章を見ると二尉。そして胸にウィングマークが光っている。つまり私達にとっては、雲の上の存在である航空自衛隊のパイロットということだ。


「いいえ、何もしておりません」


 そこは誓って本当だ。まだなっていないけれど、残りのパイロット人生を賭けてもいい。私の言葉に同意するように、他の子達も一斉にうなづいた。


「だそうだ。厳しくするのは結構だが、度が過ぎると、OBから生徒が教官からパワハラを受けているとクレームがくるんじゃないのか? 自重しろよ。それにあまりうるさく言うと、生徒達に嫌われるぞ?」

「俺は、人気取りをするために教官をしているわけじゃない」


 岩代教官が不機嫌そうな顔をする。


「そんなこと分かっているさ。だがものには限度ってものがあるだろうが。それに、嫌われるより好かれている方が良いに決まってる」

「余計なお世話だ」


 チッと舌打ちのようなものが聞こえて、ガミガミさんはきびすを返して立ち去った。その後ろ姿を見送った榎本二尉は、軽く溜め息をつく。


「今の態度は褒められたものじゃないが、ヤツにも色々とあるんだ。あまり嫌わないでやってくれ」

「嫌ってなんていません。岩代教官の航空機力学の時間はとても楽しいです。何て言うか教官と私達とで、意見をテニスか卓球みたいに打ち合うような感じで、とても充実した時間です」


 まあお互いに打ち合う速度が速すぎて、たまにボールが見えなくなったり、派手に場外に飛び出していくこともあるけれど。


「そうなのか。それを聞いて安心した。そうか……あいつの学科は楽しいのか、俺も久し振りに学科教育を受けてみるかな」


 そんなことをしたら、益々ガミガミさんがガミガミ言うのでは?と思ったけど、それは口にしなかった。そして、せっかくここで会うことができたのだから、気になっていたことを尋ねてみることにする。


「それよりあの、榎本二尉は、こちらでは何を指導をされておられるのですか? 飛行適性検査の初日にお見掛けして以来、こちらでは一度もお姿を拝見しませんでしたが」


 私の質問に、二尉は少しだけ困った顔をして鼻の横を指でなでた。なにやら私の背後で、同期の男子連中がざわついている気配がしたけど、無視することにする。


「ああ、あの時はたまたまこっちに来ていたから、飛行適性検査を見物させてもらっただけで、実のところ俺はここの教官じゃないんだ」

「……はい?」


 今なんて言った? ここの教官ではない? え……教官ではないってどういうこと?!


「そうでなければ、初めて操縦桿を握った人間に、好きなように飛べとか無責任なことは言わないからな」

「ええ?!」


 と言うことは、私は教官ではない人と一緒に、一回目の飛行をしてしまったということ?!


「大丈夫だ。君の評価票には、適性は大いにありと書いておいたから」


 そういう問題ではないような!


「事実、俺は大いにありだと思っている。女の子なのが実に惜しいよ。技量はさておき、初めて操縦桿を握って、あんなふうにバレルロールをする度胸なんて、普通はないからな。あの度胸は、戦闘機パイロットに持ってこいだと思う」

「それは、誉めていただいたと思って、よろしいのでしょうか?」

「もちろん」


 実際のところ、適性検査で落とされることはほぼないのだから、問題が無いといえば問題がないのだろうけれど……。


「では、今はどちらの基地に所属されているのですか?」 

「んー、今は新田原にゅうたばる基地にいる」


 新田原は宮崎県にある航空自衛隊の基地だ。そんなところから山口県のここに? ちょっと立ち寄りました的に訪問するには、いささか距離がありすぎるような気がする。それともパイロットにとっては、この程度の距離は離れているうちには入らないのだろうか。


「そんなところからこちらに?」

「ここに世話になった上官がいてね。生徒達の励みになるから、先輩パイロットとして話を聞かせてやってほしいと呼ばれるんだよ」

「なるほど。講師みたいなことをされているのですね」

「そんなところだ。それじゃあ時間もあるから」

「あ、はい。お時間を取らせてしまい申し訳ありませんでした。それと、救援ありがとうございます」


 最後のお礼に関しては、小さな声でささやくように付け加える。


「どうしたしまして」


 榎本二尉は、私のお礼に対して同じように小声で答えると、片目をつぶってみせた。


 こちらに背中を向けて立ち去る二尉の後ろ姿を見送っていると、同期生の子達がわらわらわらと押し寄せてきて私を取り囲んだ。しかも男子ばかりが目をキラキラ、じゃなくてギラギラ?させて。


「おい天音!」


 その先頭にいた風間かざま君が詰め寄ってくる。


「な、なに?」

「お前、飛行適性検査で榎本二尉と飛んだのか?!」

「う、うん」


 グイグイと詰め寄ってくる勢いに、たじろぎながらもうなづく。私と一緒にいた女子は、男子のその勢いにドン引き気味だ。


「一回だけね。一緒に飛んだ人はきっと他にも何人かいたと思うけど。私、てっきりここの教官だと思ってた。あれから一度も姿を見ないから、不思議だなーとは思ってたんだけど」

「ってことは知らないのか?!」


 風間君の言葉に首をかしげた。


「なにが?」

「榎本二尉のことだよ!」

「いま話をしたから、知らない人じゃないでしょ?」

「そうじゃない! そうじゃなくて!! 見て気がつかなかったのか?!」


 何をそんなに興奮しているのか理解できなくて、詰め寄ってくる男子連中から数歩離れた場所に引き下がる。あいた距離を詰めてこようとする彼等に、その場で足踏みをして持っていたテキストで威嚇した。


「もう、皆、近寄り過ぎて暑苦しい!! 意味不明だから、こっちに近寄る前に落ち着いてちゃんと説明して!!」


 少しだけ怖い顔をしてにらむと、風間君達はやっと大人しくなる。まったく、なんでこうも男連中は、そろいもそろって子供みたいにはしゃぐ時があるんだか。


「榎本二尉は、飛行教導隊のパイロットなんだよ!」

「飛行教導隊ってあの飛行教導隊?」

「その飛行教導隊しかないだろ! 二尉が着ていたジャンパーのワッペンを見なかったのか?!」

「見てなかった。ってことは二尉は仮想敵機アグレッサー部隊に所属している人ってこと? ああ、それで新田原基地って言っていたのか。納得した」


 なるほどーとうなづいた私を見て、拍子抜けという顔をしている面々。


「驚いてないな」

「感動しないのか?」

「アグレッサーに適正大いにありって認められたんだぞ?」

「普通もっと感動しないか?」


「でも私、輸送機パイロット志望だし」


 私の答えに詰め寄っていた男子全員が「ああああああ!」と絶望的な声をあげた。


 飛行教導隊。要撃機パイロットの技量向上を目的として、全国の飛行隊の指導を担っている仮想敵機アグレッサー部隊のことだ。所属しているパイロットは二十名程度と、まさに少数精鋭。世界的に見ても技量が高いと言われている航空自衛隊の戦闘機乗り達の中で、さらにその上を行くプロ中のプロ集団である。


 そこに所属しているパイロットに、適正ありと言われることが、風間君達、戦闘機要員志望の人間にとってどんなに大きな意味を持つものなのか、私は今この瞬間まで分かっていなかった。もちろん、飛行教導隊のパイロットに適正ありと言われたからといって、戦闘機パイロットへの道が保障されるわけじゃないのは、風間君達だって分かっている。要は気持ちの問題なのだ。


「この羨ましさと妬ましさをどうしたら良いんだぁぁぁぁ」

「なんで天音がぁぁ!」

「俺達が天音に成り代わりたいぃぃぃ!」


 目の前でのた打ち回っている男子達を眺めながら、どうしたものかと思案する。気持ちは分かるけど、すぎたことはどうしようもないもの。今更ここで飛び跳ねて喜ぶのもわざとらしいし?


「でも、風間君達が私に成り代わったら、戦闘機のパイロットにはなれないんじゃなのかな? 忘れていると思うけど私、女だよ?」


 足元で何故か男子連中の屍が山積みになった瞬間だった。




■補足■


このお話は少し前の話という設定なので『飛行教導群』は以前の名称『飛行教導隊』と呼ばれており所属基地も新田原基地(現在は小松基地)となっています。


※海上自衛隊航空学生(海上要員)……海上自衛隊小月教育航空群小月教育航空隊

※航空自衛隊航空学生(航空要員)……航空自衛隊第12飛行教育団航空学生教育群

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