貴方は翼を失くさない

鏡野ゆう

本編

第一話 現在 in EAFB

『ハーイ、坊や達、お待ちかねのミルクのお時間ですよー』


 左後方から接近する機影がレーダーに映り、規律もなにもあったものではない、陽気な声が耳に入ってきた。視界に入ってきたのは、今回の演習に参加している航空自衛隊小牧こまき基地所属の空中給油機KC-767J、声の主は機長の榎本えのもと三佐だ。


『クーガー、全員に並ぶように指示を出しなさい。私はお行儀の悪い子は嫌いなの。ちゃんと並ばないと、給油はさせませんからね』


 陽気な声色のまま指示が出される。呑気な口調ではあったが、有無を言わせない、いかにも指示慣れしている口調。そしてここで大人しく従わなければ、冗談ではなく本当に給油を拒否されることも経験から学んでいた。


『了解、コビー01。各機、編隊を組みなおせ、順次給油を開始する。これも訓練の一環だ、交戦中ではないが気を抜くな』


 自分の指揮下にある飛行隊、つまり空自のパイロット達に指示を出すと、横からワイワイと不満げな通信が割り込んでくる。何故かイチャモンをつけてきたのは、空自のパイロットではなく米国空軍のパイロット達だ。こちらを取り囲むように飛びながら、パイロット達がコックピットの中から手を振りながら騒いでいる。


『俺達はもらえないのかママ!』

『こっちも腹ペコだ!』

『そいつらばっかりずるいぞ!』

『ハラヘッター!』


 模擬空戦中の罵詈雑言ばりぞうごんとは打って変わった呑気な口調で、ワイワイガヤガヤとうるさいことこの上ない。その様子は、まるで映画の「ヤンキー達」を絵に描いたような陽気な彼等ではあったが、自分達よりも遥かに場数を踏み、かつ実戦を経験してきたパイロット達なのだ。


『君達は、後から来るマッチョなベルおじちゃんのところに行きなさい。これは、うちの坊や達のために用意されたミルクなんだから、君達の分はありません』


『待たせたな野郎ども、お待ちかねの飯だ!』


 榎本三佐の言葉を待っていたかのように姿を現したのは、米国空軍の空中給油機KC-135。ベルおじちゃんと呼ばれたのはハワード・グラハム大佐、このKC-135の機長で、今合同演習でのアメリカ空軍側の責任者の一人だ。


 この『ベルおじちゃん』はグラハム・ベルからではなく、士官学校に入学する前に強盗に出くわし、たまたま持っていた目覚まし時計で、相手を滅多打ちにして撃退したことに因んでつけられたタックネームだと言う。そして司令官になった今でも、そのままベル大佐と呼ばれていた。もしかしたら本人も、自分のファミリーネームがグラハムだということを、忘れているのではないかと、もっぱらの噂だった。


『ノォォォォー! 俺はママがいい! ママからミルクを飲ませてほしーーいっ!』

『マッチョなおっさんなんて嫌だぁぁぁぁ』

『ベル大佐なんていやだぁぁぁぁぁ、ママぁぁぁぁぁ、助けてぇぇぇぇ』


『黙れ、小僧ども! 大人しく並んで順番に飲め! ガス欠で落ちて、コヨーテのエサになっても助けてやらんぞ!』


 怒鳴り声が響き渡ると、落胆するブーイングがあちらこちらであがる。どの世界も男達に人気なのは、マッチョな同性よりも優しい異性ということなのだろう。


 しかし、いつまでも騒いでいると、本当にガス欠で落ちるヤツが出そうな状態だったので、彼等の不満は一旦棚上げとなり、それまで敵味方にわかれて星の取り合いをしていた日米の飛行隊が、それぞれに分かれて給油を始めた。


 さっきまで、ありとあらゆる悪態が飛び交っていた訓練空域も、束の間の休息に入りやっと静かになる。


『さあ、野郎ども、腹がいっぱいになったら、お散歩の時間は終わりだ。どっちの連中も帰る準備をしろ。榎本機長によると、家に辿り着くまでが遠足だって話だからな』


 そんな野太いベル大佐の声がして、嬉しそうな歓声があちらこちらであがった。つまりは本日の演習は終了、帰投しろということだ。


『最後まできちんとお行儀よくしないと、明日からの訓練中日なかびの休暇は取り消しですからね』


 その言葉を合図に空自、米国空軍の戦闘機は、それぞれ編隊を組んで、彼等を待つ基地への帰路へとついた。



+++



 基地に戻ると、演習中の駐機場として割り当てられた場所で、日本からパイロット達と共にアメリカにやってきた整備員達が待機していた。


 その先頭で、腰に手をやり厳つい顔で俺達が降りてくるのを見守っているのは、演習に参加した空自サイドの整備員を統率している榎本一佐。本来ならば、管理職として大人しくしている地位の人間だったが、なぜかいまだに、俺が搭乗しているF-2戦闘機の機付長として、現場に君臨している。


「情けないなやしろ、撃墜判定を受けたんだって?」


 ハンガー前でエンジンの灯を落とし、コックピットから降りたとたんに、一佐からそんな叱責しっせきに近い言葉を浴びせられた。


 一佐は、現在は事情があって整備員としてここにいるが、元は飛行教導群のパイロットで、俺がF-2の操縦過程を学んでいた時に、教官の一人としてついてくれた人物だった。だからおのずと、他の整備員達よりパイロットに対する目が厳しいものとなる。とは言っても、今のそのニヤついた顔からして、ありがたいことに本気で怒っているわけでもなさそうだ。


「三機がかりで絡まれたら、そう簡単には振り切れませんよ。でも、一機はハンマーヘッドで黒星にしてやりました」


 言い訳がましくならないように返事をしながら、やられっぱなしではなかった自分の戦果も相手に示す。その時の相手の悪態を思い出し、思わず口元が意地悪く歪んだが、それは一佐も同様だったようだ。ニヤニヤしながら、こちらの言葉にうなずいた。


「あれは、なかなか素晴らしいタイミングだったな」

「お褒めにあずかり光栄です」

「あーあー、タロウちゃん、黒星なんかつけられちゃって。かわいそうに」


 気分をよくしたところで、そんなことを言いながら、横をすり抜けて行こうとする整備員の言葉に、カチンときてその襟首を鷲掴わしづかみする。


「おい、藤崎ふじさき。なんか文句でもあるのか。こっちは、三機のイーグルに追い回されていたんだからな」

「大ありですよ、私の大切なタロウちゃんに黒星をつけるなんて。同じF-2同士ならともかく、イーグル相手に黒星つけられるとか有り得ない。チャーマーの恥です、恥」


 この藤崎も、俺が飛ばしていたF-2の整備班の一人だった。その腕は確かなのだが、なぜか機体に「タロウ」という名前をつけ、戦闘機をまるで自分のペットかなにかのように可愛がっている、少しばかり変わったメカオタク女だ。そしてどうしたことか、俺はこの変わった女と付き合っている。


「しかも、見ず知らずの空軍男に黒星をつけられるだなんて。社さんにはガッカリですよ。もうちょっと技量が高いと思ってたんですけどね」


 こっちの言い分なんておかまいなし、といった風情でブツブツと文句を言い続け、地上に戻ってきたF-2の整備を始めるために、その場を離れていく。


 その後ろ姿を腹立たし気に見送っていると、さっきまで一緒に飛んでいた羽佐間はざまが笑いながら肩を叩いてきた。


「訓練が終わって、街へ繰り出すのに誘いたいのはわかるが諦めろ。今日は休暇前の点検で、時間がかかるって言っていたから」

「藤崎を誘ったら、それこそ黒星のことで火だるまにされちまう。誰が誘うか、いなくて清々する」


 そう言い放ったが、相棒にはお見通しらくニヤニヤするだけだ。

 

「またまたやせ我慢しちゃって。ま、宿舎に帰ったらゆっくりねぎらってやれよ。今日の整備は訓練中日なかびの点検で、遅くまでかかりそうだから」

「お前はわかってないぞ、羽佐間。この演習期間中の藤崎は、鬼教官より怖いからな。毎晩のようなダメ出しをされるんだぞ? ねぎらわれるべきは俺の方だ」


 ヒソヒソと囁き合っていたつもりだったが、思いのほか俺の整備員殿は地獄耳らしかった。


「なに言ってるんですか! 飲み歩いているヒマはないはずですよ二人とも! こっちはこの演習の他に、新しい機体整備のための勉強が山積みなんです! そっちもでしょ?! 二人とも遊んでないで勉強しなさい! 機種転換課程でライセンスが取れなかったら、指さしてバーカバーカと大笑いしてやりますからね!」


 スパナが飛んできそうな勢いで怒声が飛んできたので、二人そろって首を亀のようにすくめた。


 自分と羽佐間は、この合同演習がF-2に搭乗して参加する最後の訓練となる。次にここで飛ぶ時は、恐らく新しく調達されることが決まったF-35ライトニングになる予定で、この演習後、そのための訓練課程に参加することが決まっていた。


「ほれ見ろ、鬼の地獄耳整備員様はご立腹だ」

「でも感謝しろよ~? 藤崎さんはタロウLOVEなのに、お前のために、整備資格の勉強をし直してくれてるんだろ?」

「別に強制したわけじゃないぞ。俺はあっちのパイロットに志願したが、お前はどうするつもりだって聞いただけだ」


 そう打ち明けたら彼女は「社さんみたいな、エロくておバカなパイロットの相手なんて、私しかできないでしょ!」と言って、自分と同じ部隊への異動希望を提出すると言い出したのだ。そして彼女からその話を聞いた榎本一佐は「藤崎は、あの機体で女性初の機付長になるつもりなのかもしれないな」と笑いながら了承し、異動のために骨を折ってくれた。上官にここまでさせたのだ、無事に課程を修了しなければ、色々な意味で無事ではすまされないだろう。


「藤崎ー、あとで個人授業頼むなー、っておい、工具を投げるな! 真面目に言ってるんだぞ! 何を勘違いしてるんだ!」

「普段からエロいことばかり言ってる、社さんが悪いんですよ! 身から出たサビってやつです!」


 そしてさらにもう一本、スパナが足元に飛んできて思わず飛び上がった。


「最近、あいつはやけにコントロールが良くなってないか?!」

「社、お前、こっちにいる間は身を慎めよな……」


 そう言って羽佐間が、真剣な顔をして肩に手を置いてきた。



+++++



 呑気に騒ぎながら立ち去る社と羽佐間を、藤崎が腹立たし気な溜め息をついて見送っている。そして、頭から湯気が出そうな勢いで、なにやらブツブツと文句を言いながら、自分が投げつけたスパナを拾うために歩いていった。


「まったく時代は変わったもんだな」

「なにがですか?」


 スパナを手に戻ってきた藤崎が、首をかしげる。


「んー? 若いお前達が羨ましいってやつだよ」

「榎本一佐だって、その気になれば、まだまだいけるんじゃないですか?」

「よせよせ、五十を超えたオッサンをたきつけるなよ。すっかり腕もさびついちまったから、いまさらイーグルを飛ばすのはどう考えても無理だ。うっかり乗って飛ばそうもんなら、次の日は寝込んで動けそうにないぞ」

「またまた御謙遜を」


 悲し気に溜め息をつく俺に向かって、藤崎は笑った。そして、少しだけ悔しそうな表情をする。


「ほんと、もったいないですよ、あんな事故さえなかったら今ごろは、伝説の空自エースになっていたかもしれないのに」

「おだててもなにも出ないぞー」

「おだててなんていませんよ、事実を言ったまでです。ま、そのお蔭で今の私がいるわけですけど?」


 機体整備を開始しますと言いながら、藤崎はチェックリストを片手に、社が飛ばしていたF-2の元へと歩いていく。藤崎がF-2の整備を担当するのも、残すところあと少しだ。F-35の調達が正式に決まり、今回の演習後に選抜されたパイロットと整備員達は、本格的なライセンス取得の為にアメリカで研修に入ることになっていた。そして整備員の筆頭があの藤崎だった。


―― 藤崎をうちに引っ張ってきて正解だったな ――


 短期間ではあったが、大学在学中にこちらで航空機関係の実地研修を受けていたことが、今になって役立っているようだ。本人は、人生なにが役立つかわかりませんねと、驚いていたが。


『ボーンズ、久し振りだな』


 懐かしい名前で呼ばれたので振り返る。そこには、米国空軍の制服を着た大男が立っていた。


『おう、久し振りだなショットガン。お前、まだ生きてたのか。けて見えないところを見ると、幽霊じゃないみたいだな』


 そう言い放つと、そいつがニヤリと笑う。


『相変わらず失礼なヤツだな。お陰様でこの通り元気にしているよ』


 ショットガンことトーマス・マクファーソン大佐。現在は米国空軍の第十八アグレッサー飛行隊を束ねる、俺が知るパイロットの中でもトップクラスの男だ。


『お前の飛行隊、今は日本で教導任務中じゃなかったか?』

『偉くなると不自由になるのはどの国でも同じでな。今回はこっちに残って、演習に参加する我が国のパイロット達の、お目付け役というわけだ』

『そして、空自うちの連中に黒星をつけられたヤツのケツを叩くということか』


 俺の言葉に意地悪そうに笑うトーマス。


『そう言えば、さっそくキャプテン・ヤシロにしてやられたヤツがいたな』

『社に聞いたぞ、いくらなんでも三機で追い回すなんて酷くないか?』

『俺の時、お前等は四機で取り囲んだだろうが。忘れてないぞ、エイトマンとお前、それからケットシーとワンホース』

『なんだよ、お前だってあの時は三機連れてただろ。こっちの動きについてこれなかった、ノロマな同僚を持ったことを呪え』


 昔のことを蒸し返しやがって、テメーはジジイかと文句を言ったら、トーマスがゲラゲラと笑った。ひとしきり笑ったあとで、ふと真顔になってこっちを見つめてきた。


『ところでボーンズ、お前、もう空に上がらないのか?』

『俺がどうして、ファイターから降りたか知ってるだろ。それにだな、だいたい五十すぎにもなってイーグルで飛び続けるなんて、普通なら無理に決まってる。なんでもかんでも、お前を基準にして考えるな』


 そうなのだ。こいつは俺と同じ五十すぎのオッサンで、公式には一線を退き司令官の座に納まっているはずなのに、いまだに好き勝手に空を飛んでいやがるのだ。


 戦闘機は旅客機と違い、被弾した時のことを考慮して与圧が完全にされておらず、パイロットの操縦環境は非常に過酷だった。そのせいもあって、現役として飛んでいられる時期が非常に短いのだ。それを考えると、こいつは実に化け物じみたオッサンだった。


『それにだ。今の俺の楽しみは、若いヤツに万全な機体を用意して、空に送り出してやることなんだよ。いまさらこの仕事から離れるつもりは無い。お前が若い連中のケツを叩くのが好きなように、俺もこの仕事が気に入っているんだよ』


『ちょっとショットガン! うちの旦那をまた誘惑しようとしているの?』


 車の急ブレーキの音がして、そんな怒鳴り声が聞こえてきた。その声にトーマスがニヤッと笑う。


『おっと、ロリポップのお出ましだな。ぶっ飛ばされる前に、俺は退散するとしよう』

『その名前はやめておいたほうが良いぞ? 本当にうちの嫁にぶっ飛ばされるから』


 給油機のパイロットであるうちの嫁に、本来、タックネームは無い。この名前は随分と昔にトーマスが勝手につけた名前で、親しい仲間内でしか通じないコールサインだった。


『聞こえたわよ! お望み通りぶっ飛ばしてあげるから、二人してそこに並びなさい』


 そして実のところ、うちの嫁はこの名前をあまり気に入っていない。


「おい、俺もかよ」


 ぶっ飛ばされる中に俺も含まれていると気づき、思わず日本語で呟いた。トーマスの方は、降参しましたとばかりにホールドアップして笑っている。


『久し振りに旧友に会えて喜んでいるんだ、ちょっとぐらい勘弁してくれよ、ロリポップチャン』

『なら、その名前はよしてちょうだい』


 運転席で立ち上がると、両手を腰にやり仁王立ちで俺達をにらむ。最近になって、やけにその偉そうな恰好が様になってきやがったな。これも機長効果ってやつか?


『ロリポップのどこが気に入らないんだ、可愛いのに。ただの榎本三佐メイジャー・エノモトなんて、味気ないだろ?』

『貴方のネーミングセンスは、まったく理解できません』

『お互いの理解を深めるために、今度ゆっくりデートでもしないか?』

『おい、俺の嫁を口説くのはよせ。お前の嫁に言いつけるぞ』


 まったく油断も隙もありゃしないな、こいつは。


『勘弁してくれ。うちの嫁の腕っぷしがシャレにならないのは、お前も知ってるだろ?』



+++



 トーマスが、最終日の打ち上げには二人で顔を出せよと言い残して立ち去ると、割り当てられている宿舎に帰るべく、俺は嫁が運転してきたジープの助手席に座った。


「今日は随分と早かったな、ちはる。いいのか、あっちはほっといて」

「たまには機長にも休んでいただかないと、他の者が休めませんって追い出されちゃったのよ。酷いと思わない? それより、今こっちに来る時の歩き方が変だったわよ? どうしたの?」


 運転席に座ったところで、そう言いながら俺の足元を覗き込む。


「ん? なんかジャリジャリしてるんだよな、うぉい、そんなところでズボンをめくり上げるな!」

「義足の隙間に砂がつまってるんじゃないの? ここは日本と違って、随分と埃っぽいもの。整備員なんだから、自分の義足ぐらいきちんとメンテしなきゃ」

「戦闘機と義足じゃ勝手が違う、って言うか足を持ち上げるのはよせ」

「あら、なんだか体がかたくなった? 義足もまともにメンテできないようじゃ、戦闘機の整備なんて無理なんじゃないの? ここで一度はずしてみる?」


 砂をはらうために、義足の表面を軽く叩いている嫁の手を見ながら文句を言ったが、全く相手にされなかった。


「宿舎につくまでは我慢するよ。少し気になる程度だから」

「こすれて痛いわけじゃないのね?」

「今のところはな。それより裾を戻してくれ」

「はいはい。じゃあ早く戻りましょ、ここにいたら私も砂まみれになりそう」

「俺がしっかり洗ってやるよ」


 ニヤニヤしながら提案したら、案の定にらまれた。


「なに言ってるの」

「なんだよ。演習が終わったらお前とゆっくり風呂に入れると、朝から楽しみにしていたのに」


 俺と俺の嫁は所属している部隊の都合上、関東地方と東海地方とで、単身赴任のような遠距結婚のようなそんな生活を続けている。だからこうやって、海外で演習中とはいえ一緒にすごせる時間が持てることは、二人にとって非常ありがたいことだった。まあ、ここに子供達が加わればさらに嬉しいんだが、たまには夫婦水入らずも悪くない。


「まったく。いくつになっても、そんなことばっかり言ってるんだから」

「悪いか?」

「悪くないわよ。雄介ゆうすけさんは相変わらずだなって、あきれているだけ」

「それって悪い以上に悪いだろ……変化なしって」

「そうかもね。じゃあ発車するわよ、シートベルトをお締めくださーい」


 そう言うと同時に、アクセルを思いっ切り踏み込んだので、慌てて目の前のフロント部分のフレームを掴んだ。


「おい、シートベルトする間もなく急発進するのはよせ! スクランブルじゃないんだぞ!」

「シートに座ってからノロノロしている雄介さんが悪いんでしょ?」


 俺の文句にニヤリと笑いながらこっちを見た。……まったくうちの嫁ときたら、相変わらず怖いもの知らずで困ったもんだ。



 この怖いもの知らずのうちの嫁、ちはると俺が初めて出会たのは二十年以上前のこと。彼女がまだ航空学生になる前のことだった。

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