第四話 ウィングマークを目指して

 榎本二尉が、手に入れたらお酒をおごってくれると言ったウイングマーク。これを手に入れるためには、航空学生としての課程を終えてから飛行準備過程、初級操縦課程、基本操縦課程という三つの課程を通過しなくてはならない。


 その最後の基本操縦過程で検定試験に合格すると、ようやく念願のウィングマークを手にすることができる。そこに辿り着くまでおおよそ二年。つまり二尉との約束の日は、早くても二年後ってことになる。二尉のお友達が気が長いと言ったのは、そういうことからだ。


 私はともかく、日々の訓練や教導訓練で忙しい榎本二尉が、果たしてこの約束を覚えていてくれるのかどうか、甚だ疑問だった。お酒の席でもあったし、ロウソクじゃないけど後輩を奮い立たせるための、単なる社交辞令って可能性も大いにあるんだし?


 それに空自の大先輩達から聞いた話によると、戦闘機パイロットっていうのは、とにかくおもてになるらしいと言うか、派手に遊び回る人が多いと言うか。基地の外に複数人の彼女がいる人も珍しくなくて、意外と遊んでいる人が多いってことだった。二年もあれば、その間に基地の近くにいる誰か美人なお姉さんと出会って、私みたいなヒヨコとのちょっとした約束なんて、綺麗さっぱり忘れちゃっているかもしれないな~なんて思ったり。


―― 女遊びはしてるかどうかは分からないけど、他のお友達も私達におごってくれた雰囲気からして、豪快に遊んでいそうな感じではあったもんねえ…… ――


 まあ、二尉との約束がどうなるかは分からないけれど、今はとにかくウィングマークを目指して頑張るのみだ。


 ……それはさておき。


 二年後の約束のことを考えるよりも、さっきから現在進行形で、私の横でブツブツとうるさい風間君の方が問題かもしれない。


「はああああ、どうして天音だけ」


 いつものお決まりのセリフ。もう何度も聞きすぎて耳タコ状態だ。


「私だけじゃないよ、その時に居合わせた女子四人全員が、おごってもらったんだから」

「なぜ天音だけがぁぁぁぁ」

「だから人の話を聞いてよ、リーダー。おごってもらったのは四人全員だってば。って言うか断郊だんこう訓練中なのに、なんでそんなに無駄口叩く余裕があるのかな」


 身分は航空学生でも自衛官には変わりないのだから、机に向かって勉強ばかりしているわけではない私達。今日は重たい装備を背負って、あちらの山からこちらの山へと断郊だんこう訓練中だ。もちろんゴール地点では、区隊長がストップウォッチを持って待ち構えている。そんなハードな道のりを行軍中なのに、風間君はさっきからずっとこんな調子なのだ。その体力、絶対に空自ではなく陸自向きだと思う。


「あああああ、なんでなんだあぁぁぁぁ、どうしてなんだぁぁぁぁぁ」

「来月の演習は私の心の平安のためにも、リーダーの風間君とは、別の班に分かれた方が良いような気がしてきた」


 そして速攻で当たり判定をつけて、あれこれ文句を聞かされ続ける前に、グルグル巻きにして退場させてやるのだ。同じ班になっても、盾にして誰かに当ててもらって速攻退場も良いかもしれない。そんな物騒な考えが頭をよぎる。


「天音に俺の気持ちが分かってたまるか」

「ずーっとブチブチと横で言われ続けたら、物凄くうっとおしいことだけは十分に分かりました。そう思う私の気持ちなんて、風間君にはきっと分からないよね?」

「……」


 私の言葉に他の子が笑った。


 あの夜のことは風間君に話すつもりはなかったし、実のところ私は今だって誰にも話していない。だけど噂っていうのは、必ずと言っていいほど何処かから漏れるもの。私だけじゃなく他の子も先輩パイロットにおごってもらったんだから、誰かしらから話が漏れてしまうのは仕方のないことだった。そして、その話に尾びれ背びれがついて、若干大袈裟な内容になって伝わるのも、噂話の常というやつだ。


 その尾びれ背びれな噂話のせいで、風間君はここしばらくずっとこんな調子。はっきり言ってうっとおしい、はっきり言わなくても十分うっとおしい。班のリーダーでなければ、そのへんの山林の木の枝にでも縛りつけて、放置しておきたいぐらい。


「だいたい榎本二尉と話をしたからって、パイロットになるのに有利とかそんなことないでしょ?」


 目の前に横たわっている丸太を飛び越えながら、風間君に言った。


「だから、天音に俺の気持ちなんて分からないって、言ってるんだよ。次の外泊許可が出た時は、絶対にお前について行くからな」

「お言葉ですけど、他の先輩パイロットさん達は北海道と青森から来ているって言っていたから、もうとっくに帰っちゃってると思うけどな。それに、次に二尉と会うのは多分二年後でウィングマークをもらった時だよ? 二尉がそう言ってたもの」

「ああああああああ、もうねたましすぎて頭が痛くなってきたぁぁぁぁ!」


 風間君はひときわ大きな声でそう叫ぶと、走るスピードを上げて私達を置き去りにして走り出す。


「ちょっとリーダー! なんでいきなりペースを乱すかなあ!」

「妬ましいぃぃぃぃぃ!」


 近くに私達しかいないせいか、もう言いたい放題で大暴走だ。


「なんて言うか……自分に正直だよね、風間君」

「それだけアグレッサーを崇めてるってことなんじゃない?」

「にしてもちょっと行き過ぎな気が……」

「途中で酸欠で倒れたりして」


 どんどん小さくなっていく風間君の後ろ姿。


「どうするの、あれ」


 しばらく眺めていたけど、戻ってくる気配はまったくない。そのまま途中で倒れなれば、教官のところまであの調子で走っていきそうな勢いだ。


「あのまま一人でゴールされたら、後で私達が困るじゃない?」


 松門ちゃんが笑いながら言った。


「たしかに。こうなったら仕方ない。皆、風間君に続けーーー!」


 私の掛け声と共に、皆で前を走る風間君を追いかけてダッシュした。

 

 重たい荷物を担いでいるのに、あれだけあーあー叫びながら大暴走できるなんてある意味凄いよ、風間君。そしてそんな大暴走中の風間君を、笑いながら追いかけている私達も。もしかして私達って、実は凄いんじゃないかと思えてきた。


 そしてタイムレコードはと言えば、風間君の愚痴り効果というか妬み効果の賜物か、右肩上がりが続いていて区隊長にも教官にもお褒めの言葉をいただいた。まあその点だけは、彼に感謝しなくてはいけないかもしれない。かーなーりー、うっとおしいけど。


 だけど、基本操縦課程でお別れするまでずっとこんな調子だったらどうしよう。やっぱり木に縛りつけて、ちゃんと反省するまで放置すべき? そんなことを考える今日この頃だ。



+++++



 卒業が迫ってくると、他の基地での研修や米軍基地の見学など、いよいよって感じのものが実施されるようになった。いま私が見上げているのは、美保基地所属のC-1輸送機。小さい頃から飛んでいるのを近くで見てきたから、大きいことは分かっていたけど、こうやって間近で見上げると、本当に「でかい」の一言に尽きる。


「やっぱりC-1は大きいよねえ」


 その日、目の前にデーンとそびえている機影を見上げながら、私は呟いた。


「お、来たな、チビスケ」


 機体の大きさに負けないぐらい大きな声が駐機場に響き渡って、大きな手が私の肩をがっしりとつかむ。ちなみに言っておくけど、私はけっしてチビじゃない。


「お久し振りです、伯父さん……じゃなくて林原はやしばら三佐」


 肩をつかんだ相手を見上げた。


「まあまあ。今は他の連中もいないことだし、伯父さんでかまわんよ」


 この声だけで人が倒せちゃいそうな人は、目の前のC-1輸送機の機長を務めている林原三佐、そして私の伯父だ。つまるところ、母の兄で、私がこの道を志そうと決めるきっかけになった人でもある。


 パイロットとしての経歴は長く、今ではC-1パイロットの神とまで言われるベテランパイロットだ。ちなみに、私が飛行適正検査初っ端にバレルロールなんてものができたのも、この伯父が基地の見学に訪れていた私に、こっそりとシミュレーターを使わせてくれていたお蔭だった。


「もうすぐ課程修了でいよいよ飛行訓練か。それで? 最終の輸送機操縦課程はこいつで決まりか?」

「んー……実はC-130にしようかなって思ってます」


 実のところ、ウィングマークを取得したらすぐに部隊に配属されるのかって言えばそうじゃない。次は自分が飛ばすことになる機体での訓練となり、それぞれの機体を運用している部隊で、最後の操縦課程を受けることになっていた。そしてその訓練課程を修了すると、奈良にある幹部候補生学校で、飛行幹部候補生としての最後の半年間が待っている。


 そんなこんなで、航空学校に入学して本当の意味で自衛官になるまでに六年。最短ルートでこれなんだから、本当に空自パイロットへの道というのは長い道のりなのだ。


「何故? 前は、よくこいつを操縦したいって言ってたよな? こんだけ老朽化してきた爺さんは嫌か?」


 C-1輸送機は、空自で運用が始まってから随分と年月が経っていて、老朽化も進んでいる。だけど国産機だし、小さい頃からこの輸送機が飛ぶのを身近に見てきた身としては、それなりに愛着もあった。それに古さから言えば、C-130輸送機の方がずっと長く飛んでいる輸送機だ。


「えっと、そういうわけじゃなくて、ほら、あっちには、将来的に給油ユニットが搭載されるかもしれないって、話が出てるじゃない? 人材の輸送だけじゃなくて、戦闘機にも給油できるようになるなら、海外演習にも参加できる可能性があるってことでしょ? そういうのも興味あるなと思って」


 もともと私のパイロットになりたいと思った最初の動機も「章宏あきひろオジチャン、お仕事で色んな所に飛行機で行けて羨ましいなー」から始まったものだった。そして航空学生として自衛隊に入隊してそれなりの使命感は生まれたものの、今もその気持ちは心にしっかりと残っていた。


 まあ要するに、私も伯父と一緒で飛ぶのが好きってことかな。


「ほーん?」


 なにやら伯父が意味深な声をあげたので不審に思って見上げると、こっちをニヤニヤしながら見下ろしている伯父と目が合った。


「なに?」

「もしかしてファイター志望の同期の中に、気になる男でも現れたのかと思って」

「そんなんじゃないってば」

「じゃあ、現役パイロットと運命の出会いをしたとか?」

「だからそんなんじゃないって。教育群で勉強している間は、そんな人と顔を合わせる機会なんて無いことぐらい、伯父さんだって分かってるでしょ? そりゃあ周りは男ばかりだけどさ」


 現役パイロットさんとは、偶然にも最初の試験の時に出会っていたわけだけど、あれは偶然の産物で、運命の出会いとかそういうものではないと思う。


「教育群に、現役パイロットが講師として出入りしているのを知らないほど俺は耄碌もうろくもしてないし、あっちこっち飛び回っているわけじゃないぞ?」

「だから、そんなんじゃないってば。純粋にそういうのにも興味が出ただけ」


 そりゃ、榎本二尉に出会ってから、そういうのに興味がわいたのも事実だ。だけど、別に伯父が言うようなことがあって、C-130輸送機のパイロットを目指そうという気になったわけじゃない。


「そうか。だったら輸送機操縦課程は、小牧で受けることになるな。ここでお前に指導するのを楽しみにしていたが、ちはるの希望がそれなら仕方がない。ウィングマークまであと二年ちょいか。色々と乗り越えなきゃならんことはたくさんあると思うが、頑張れよ」

「うん、頑張る。伯父さんには随分と後押ししてもらったんだもの。ぜーったいに機長になって、お父さんを見返してやるんだから」

「頑固だなあ、あいつも。いい加減に諦めれば良いのに」


 私がパイロットになりたくて、航空学生として空自に入隊したいと言った時に、真っ先に反対したのが父だった。別に、自衛隊に入隊することが気に入らなかったわけじゃない。だって父自身も、航空自衛隊の自衛官なんだから。ただ、どうして空を飛ぶ職種を選んだんだって、何故か大反対。


 その時に後押ししてくれたのが横にいる伯父で、そのせいか、母はいまだに兄と夫の間に挟まれて苦労しているようだ。たまの電話で話すたびに「あなた達三人のせいで白髪が増えたんだから、立派なパイロットにならないと許さないからね」と言われるので、母は私がパイロットになることについては、反対ではないんだと思う。


「まあ職権を乱用してで、変な圧力をかけてこないだけマシなのかも」

「その辺は、あいつも弁えているってことだな。ま、そんなことをしたら、俺が嫌って言うほどケツをぶっ飛ばしてやるから、なにかあったら言ってこいよ?」

「伯父さん、お父さんの方が階級が一つ上なんじゃ……?」


 うちの父親は、主に事務方として空自を支え続けてきた人間で、現在は二等空佐だ。そして伯父は、パイロットとしてずっと飛び続けてきた三等空佐。たかが一つ、されど一つ。佐官ともなると、三佐と二佐の差は周囲が思っている以上に大きい。気持ちは嬉しいけど、例え身内でも、上官をぶっ飛ばすのはちょっと問題だと思うんだけどな……。


「もちろん、自衛官としてケツをぶっ飛ばすわけじゃないぞ。ちゃーんと制服を脱いだ勤務時間外に、義理の兄として蹴っ飛ばすんだからな」


 大切な姪っ子の人生がかかってるんだから、こういう時ぐらいは兄貴風を吹かせないとなと言って、伯父はニヤリと笑ってみせた。



 そしてその二ヶ月後、私達は無事に航空学生しての二年間の課程を修了し、飛行幹部候補生としての新たなステップを踏み出した。





■補足■


C-1輸送機 … 戦後に開発された国産の中型戦術輸送機です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/C-1_(%E8%BC%B8%E9%80%81%E6%A9%9F)

C-130輸送機 … アメリカの航空機製造会社で開発された戦術輸送機です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/C-130_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)

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