近衛兵ギュールスの出撃の前夜と、三人のこれから
あの時はただの命令の一つに過ぎなかった。
それでもうれしかった。
傭兵時代にも、一緒のチームになった傭兵達から託された経験はある。
いや、託されたのではない。利用され、都合のいいように振り回されただけだった。
だが彼女から言い渡されたその命令は、受け止めようによってはお節介かもしれなかった。
ミラノスの口から出てきた『青の一族』。
その命令を言われた、一年以上も前のことを思い出す。
近衛兵への配属を受け、支給された防具を分解し、体に食い込ませ、次の日の出陣式にそのまま出席したその前日の夕食。
食事会を中座して一人でロビーのソファの横で、床の上に腰を下ろしたあの夜のこと。
…… …… ……
ギュールスは食堂を出た後、力のない足取りで自室に向かう。
しかしその途中のロビーのソファを見かけるとそこに立ち寄り、ソファの横に座り込む。
床は絨毯が敷かれている。その柔らかい感触を感じ取りながら窓越しに外を見る。
下から見上げる窓の外は、星が瞬き始める空。
自分の体の色に似たその空をぼんやりと見ながら、ロワーナからの一言について考えていた。
いや、頭の中にこびりついていた。
『青の一族』
この世に生を受けるために必要だった存在の一つ。
そして同時に彼が感じる憎悪の対象のすべてであり、体からすべて抜き取りたかったその血。
取り去りたかったその能力。
しかしその恩恵を受けることもあった血と能力。
多くの者達から責められることで、魔族討伐のために立ち上がるためのきっかけになると思っていたこの血筋。
そんな縁の下の力持ちになれるかもしれないという期待の一方で、悲しい思いももたらした血筋。
この世界の住民と、それを餌としか見ない魔族との間に生まれた子供は『混族』と呼ばれる。
そんな子供達は生まれた直後に殺され、死産とされた。
だからそんな対象が成長していくこと自体あり得ない。
つまり、『混族』と呼ばれたときに返事をする者も本来はあり得ないのである。
ということは、『混族』という種族を通称にされている者はギュールス以外に存在しない。
だから、そう呼ばれるたびに魔族への憎しみの心が蠢くギュールス。
その思いの持ち方は住民達とは違うだろうが、その方向性は一であった。
近衛兵に配属されるまでのことを振り返るギュールスの思いは、方々に巡りながら、思考は深く進んでいく。
ロワーナから数多くの言葉をかけてくれた。
同情の思いもあっただろう。
仲間に引き入れるための計算もあったのかもしれない。
その言葉に抵抗し反抗したい思いもあった。自分の過去において、どのような感情を持っていたかすべて知ることは出来ない彼女が、あたかもすべてを知っているかのように自分に話しかけてきた。
だが彼女の言葉すべての中に、自分が指摘できる間違いは見つけられなかった。
そして、誰からも憎しみの目でしか見られない『混族』。
しかしその言葉や概念に一番強く囚われ、こだわっていたのは自分だったか。
そのことに気付かせてくれた、ロワーナから発せられた別の種族名。
種族名を変えること自体思いつかなかった。
そして、多くの人から自分が憎まれることが、自分の存在という罪のあがないとし、自分を憎むことで多くの人に自分を受け入れてもらうという願いを持ち続けてきた。
なぜなら、一人きりでは生きていけないから。
生まれた近くに住んでいたノームの一族がいなかったら。
彷徨った先々で、身に纏えそうな、投げつけられるぼろ布のような物がなかったら。
食べ物を恵んでもらおうと道行く人達に縋ったときに、そこら辺の草でも食ってろという言葉をかけてくる人がいなかったら。
ゆっくりと立ち上がり、窓の外を見る。
その方向から見える範囲内で、首都全体が見渡せる窓。
そこで生活している住民達の中にも、そんな接触をした者達がいるかもしれない。
本当に一人きりだったらば、この年まで生きていることが出来なかった。
「そんなことはないだろう」
突然後ろから声をかけられる。
慌てて後ろを向くと、そこにいたのはロワーナだった。
「話を聞いたら、全員、まともに昼食をとってなかったと聞いたからな。皆夕食を摂っているが、ギュールス、お前は手付かずのまま食堂を出たから大丈夫かと思って追いかけてみたら、何やら独り言が聞こえてきてな。聞くともなしに聞こえてしまった」
またも頭の中で考えていたことがつい口に出てしまった。
「あ……えっと……」
「確かに一人きりでなければ生きてはいけない。皆誰かから助けを借りて、そして誰かを助けながら生きている。だがお前の場合は……私からすれば、その森を出てからは一人きりで生きてきたようなものじゃないか」
今まで考えていたことを反芻する。
汚れた服も、道端に生えている草が食用の物もあるという知識も、自分一人で得た物ではないと。
「たしかにお前を仲間に引き入れるために口八丁手八丁でお前と接してきたが」
「そ、そんなことまで口にっ」
「出てたぞ」
ニヤリと笑うロワーナ。
恥ずかしく思うギュールスの顔に赤みが差す。
「だが、その一人きりの中でも生きてきた。生き抜いてきた。戦場での強さは報告でしか私は知り得ないことだが、それだけでも十分お前の強さは心に染みるほど理解できた。その強さは、『混族』とは関係ないだろう。たとえばスライムの特性を生かして栄養を摂取したことがあるのなら関係はあると言える。もしそうなら当然既に報告が入っているはずだ。討伐対象の魔族としてな」
ギュールスは生つばを飲み込む。
その特性は、嫌々ながらも使いこなせてはいる。魔族と思われても仕方がないことである。
「だが報告はなかった。お前が幼少時から冒険者として登録されるまでの間、そのような魔族や魔物から受けた被害報告はあった。しかし加害者のそれらはすべて討伐済みだ。つまり、お前は魔族以外の者として生き抜いて来たということだ。じゃあ何者として生きてきたのだ? 『混族』だって魔族の類の意味が含まれているぞ?」
自分は何者なのか。
ただ、皆から憎しみの対象の者としか考えてこなかった。
そんなギュールスには、ロワーナからの質問に答えられない。
「だから言っただろう? 『青の一族』とな。魔族の血を引いているのは紛れもない事実。だがその事実だけで誰かが迷惑を受けているということは絶対にない。お前が誰かに何かをして、そこで初めてその相手から何らかの評価を得る。その事実はそのおまけでしかない」
しばらく沈黙が続く。
そして思いつめたように、ギュールスは重い口を開く。
「『誰か』に『何か』をして、そこで初めて評価を受ける。今そう言いましたね」
「うむ、言ったが、それがどうした?」
「今団長が、『俺』に『俺の種族に新たな名前をつけ』ました。そうは言われても、この力はやっぱり俺にとっては……つらい力です」
「受け入れ難い。そう言うことか」
「この力を持てて、力を使えるようになってうれしい、喜ばしい、誇らしい、そんな思いを持つことは絶対にない。……ですが」
ギュールスはそこで一旦言葉を切り、深く深呼吸。そして言葉を続ける。
「この力を受け入れてくれる団長が望む限り、団長のためにこの力を発揮することを、誓います」
言葉の区切りごとにギュールスは力を入れる。
目線は下を向いている。できれば自分の力に向き合いたくないという思いの表れだろうか。
それでもロワーナはギュールスの言葉を好ましく思い、頼もしく感じる。
「ならば、私の立場を踏まえた上で、敢えて望もう」
その言葉にギュールスは思わず顔を上げ、視線を合わせた。
ロワーナは顔と気持ちを引き締める。
しかしギュールスには、そのロワーナにはまだ自分を見守る優しさが感じられた。
「生きろ。生き続けて私の望みを叶え続けろ。その望みは、この国の安泰、この国を支える国の民の安泰、この国の先に立つ皇帝、皇室、皇族の安泰。私を守りながら、私が指揮する近衛兵師団、そして明日の第一部隊と、ともに出撃する部隊の無事の帰還。そして……」
「明日の魔族との戦争の完全勝利に貢献しろ」
敬礼などの礼儀について全く知らないギュールス。
ただ、その言葉を胸に刻み込むように、右手を握りしめ胸に当てた。
…… …… ……
奇しくもロワーナはギュールスが振り返ったあの夜のことを、ミラノスに話して聞かせていた。
「一人きりでも生き抜く強さ。その強さが欲しかった。けど具体的にどんなものか分からなかったし、有耶無耶な概念って言うか妄想って言うか。それが目の前に具体的に現れたんだもの。あの時はその強さを身につけたいって思うより、ずっとそばにいてもらう方が簡単だったのね。……でもそれは間違いだったって感じて、それで決心してここに来れたってわけ」
ロワーナの笑顔の明るさはその決心の強さ。
これからはギュールスと毎日を共に過ごす。
ギュールスから許可をもらう話ではなく、同意してもらうこと。
「私がそう決めた事だからね。それと、家族が欲しいっていうあなたの思いはここで初めて知ったけど、私もあなたの家族になりたい。家族相手にいきなり行き先も告げずにいなくなるなんてことはあり得ないんだからね?」
ロワーナの微笑みを避けるように、テーブルの上の料理を見る。
その表情には、明るさもありながら陰りも見える。
「……これからは『青の一族』って名乗るんだから、もう、周りの目や考え方に振り回されなくていいの。それに、あなたがあなたのままでいられる大切な事なんだから。どんなことを思われても、何を言われても気にする必要はないの。でも気にしながらもあなたは、家族が欲しいって言ってくれた。私達も、あなたの家族になって一緒にいたいの」
「うん。でも魔族の討伐もするんだよね? どこにいつ現れるかは、ギュールスしか知らないんだよね? どこにでも一緒について行けるよ。子供が出来たら、交代で子育てできるしね。……ねぇ、ミラノス。これってささやかな結婚祝賀会ってことでいいんじゃない?」
ロワーナがいたずらっぽく笑う。
思いもしないことを口にした彼女に二人は驚くが、ミラノスは笑顔で同意する。
「……二人とも……いいのか?」
その笑顔のまま、その問いに頷く二人を見たギュールスは、うれし涙をまた流す。
こうして、先が不安なこともあるギュールスだが、それを心強い味方が支えてくれる。
こうして三人は、この世界のどの国の記録にも残されることのない、世界の平穏を陰で支える毎日を受け入れた。
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