医者

 西暦時代には、国境を問わずに、各地を渡り歩き無償で治療を行う集団が存在していた。その集団は世界各地から集まる寄付で運営されていて、高潔な組織として名高かった。

 新暦になり、地球で活動している組織に寄付金が集まらなくなり、また人口も減少していたので、地球で活動していくことに不可能を感じる、意味を見出せないとした組織の半数以上は宇宙で医療を続けていくことになった。しかし、今だ、この組織は組織としての体裁を保ち、地球で活動している。

 流石に、この段になって無償で治療を、というわけにはいかないので、無理のない範囲で食料を譲ってもらうことで治療をしている。

 また、組織は自分たちの死亡と同時に医療技術が地球から一切なくなるかもしれない、という状況に不安を覚え、医療学校を開催している。そこでは各地を巡るには年を重ねすぎた者が教鞭をとっている。また、その者は周辺地域の医療全般を請け負うことになっていた。

 旧日本にも、そんな人物が一人いた。これは、そんな女性の回顧録――


 私が医者を目指したのは、単に収入がいいと思ったからだ。私の家は貧乏で、新しいものを、高いものを買ってもらえる周りが酷く羨ましかった。幸いにして、当時の日本では義務教育は中学校までだったが、大学院まで授業料が無償化されていて、貧乏人の私でも医学を学ぶことのできる環境が整っていた。もっと以前の日本だったら、無理だったかもしれない。

 無事に医者になった時には、これでお金で苦労しないで済むといった喜びが心の内のほとんどを占めていた。

 でも、しばらく医者として活動している内に、お金以外のことが心を占めるようになった。勿論、お金は大事で、高額の給料が振り込まれるのを見るたびに嬉しく思っていたが。治療をした人が感謝してくれるのが、とても心地よく感じられるようになった。反対に治療できない人に対して強い苦しみを感じるようになった。治療のこととお金のことをと、考えていると、貧しい地域では十分な医療が行われていないことが、頭の中にこびりついて離れなくなった。もっと治療を必要な人に届けて、この苦しみを自分の中から雪ぎたいと思った。

 ちょうど、その時に自分が今、所属している組織から勧誘が来たのだ。当時は所属人数も少なく知名度も低かったが、この組織こそ、自分が入るべき組織だと「分かった」。周りには酷く反対されたが、入ってよかったと思っている。

 以前のように、高額の給料を得ることができなくなったが、組織も、きちんと給料は払うし、何より活動して多くの命を救うことで自分の中の霧が晴れたような気がした。中には救えない命もあり、苦しみがかえって増すことになってしまったこともあったが。これは医者として、ずっと向かい合わなくてはならないもの何だと、自然に感じられ、苦しみを自分の中に受け入れることができた。

 新暦になり、続々と宇宙に人が行く中で、自然と自分は地球に残る選択をした。残りの人生を地の上で過ごしたい気持ちもあったが、それ以上に、自分の使命は宇宙ではなく地球にあると思ったからだ。

 皺くちゃの婆さんになってしまった今でも、その選択は間違っていなかったと私は誇りをもって言える。

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