廃病院

 時刻は夜。薄暗い病院の廊下を一人の男が駆ける。男が走るたびに、ぴちゃぴちゃという音が響き渡る。男が通った後には、点々と水たまりができている。男が急に立ち止まると、左手側にあった扉を開け放つ。その扉には、「第二薬剤室」と書かれたプレートが取り付けてあった。男は部屋に入ると、部屋に備え付けられてある棚を、まるで何かに取り憑かれたように漁り始める。

「ない、ない、ない。此処にもない」

 男は生気を失った顔でうわ言のように「ない」と繰り返す。全ての棚を漁り終えると、男は廊下に出て、暗い廊下を駆け抜ける。

 そして、男は「第一薬剤室」の前に姿を現した。さっきと同じように、扉を開けると、棚を漁り始める。

「ない、ない、ない。あった」

 男は棚から白い箱を取り出すと、喜びの声を上げる。が、しかし、箱を開けると中身は空であった。男は絶望を顔に浮かべて繰り返す。

「ない、ない、ない、ない。何処にも、何処にもない」

 しばらく、廃病院から男の「ない」という声がずっと聞こえていた――。




「――はっ」

 男がベッドの上で目を覚ます。最も、ベッドといっても、すのこの上に敷布団を敷いただけのものだが。男はびっしょりかいた汗を寝転んだまま、拭うと起き上がり、家のリビングに向かう。リビングには、一人の女がいた。女は寝室から出てきた男の顔色が悪いことを、敏感に読み取ると、

「どうかしたの」

 と尋ねた。すると男は苦笑しながら、告げる。

「5年前の梅雨の夢を見たよ。薬を探して、病院を這いずり回った時の」

「ふふふ、あの時は大変だったね」

 女は柔らかな笑みでそう言う。

 5年前、この二人の夫婦の娘(当時5歳)が病気にかかったのだ。かなり深刻な病気に思われて、男は友人に声をかけ、何でもいいから薬を求めて近所の廃病院を巡った。その間に、別のグループから、昔、医者をしていたという婆さんが駆け付けると、結局、大したことのない病気であることが判明し、2、3日で治ったのだった。

「もうすぐ、梅雨だから、夢に見たのかもね」

 と女が言うと、男は

「梅雨はじめじめしてるから、嫌いなんだよなぁ」

 言った。

 その直後、玄関から少女の喜びに溢れた声が聞こえた。

「ママ、雨だよ、雨が降ったよ」

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