序章:特赦課の日常③

 なあアイ――今日は来ると思うか? 地獄の雰囲気には似つかわしくない、のんびりした声が最近いよいよ動作がもっさりするようになった画面の向こうから聞こえる。


「お菓子の人?」

「違えよ」


ほら、5層目のやたら明るい奴。熱帯地域の出身らしくて、暑さに強いって言うんでよく

電話を受けるんだけど、何でかいつもエンマ様への申し開きはしねえんだよ。

その日の最高タイムとか堕ちてきた新人の話なんかで時間を使ってんの。変な奴だよな。

呟きながら無造作にデスクに積まれた菓子の山から1つを摘み上げ、ほい、とこちらへ投げて

寄越す。


「割れるでしょ」

「へーきへーき」


味は変わんねーよ。……そういうことじゃないんだけど、密かにそう突っ込みを入れつつ、

ぴりりと歯で器用に封を切ると中のクッキーをしゃくしゃくと食べ進める同僚の様子をそっと窺う。



 「マテウス=ケルナー」丁寧な筆文字で綴られたプレートには既に本人による落書きが

されており、また当人のデスクの上にもお気に入りの菓子の残りが散乱していたりと、

この一角は完全に職場と呼ぶより私室に近い雰囲気を醸し出しているが、ホントここの

奴らって変わったのが多いよな、そう続けつつ新たな封を切る動きが止まる気配がないのには

ある意味感心する。


 男性の割に随分と色白な肌は恐らく北欧もしくは寒い国の生まれのせいだろう。

西洋部の世話役であるお菓子の人ことベルフェゴールさんの持参した菓子を口にする青年は

自分より少し下くらいか。短めでやや癖のある銀髪をインカムで押し付けるようにすると、

新たなクッキーを咥えたまま、目の前の席にだらりと座り込む。

 いつからここに居るかは知らないが、決して仕事ができないわけではないのに何故か彼が

この特赦課を出る気配はない。ここを出るということは即ち自身の成仏・昇天を指すが――


 (まさかね……)

苦行を受ける罪人たちと同様、特例として罪を犯した者が特赦課に配属される場合もある。

但しそれは止むに止まれぬ事情で己の手を罪に染めてしまった者たちに限ってのこと。

目の前でだらりとやる気のなさを隠しもせず、残り時間を適当に過ごそうとしている様子の

彼にそんな雰囲気は感じられないが――なお特例で配属された場合、一定数の申し開きを承認

させることが出来た暁には、晴れて来生への道が約束される。この法則に照らし合わせれば、

共に居る時間の長さや適当に見えてその実、堅実で確かな仕事ぶりから、やはり彼も自分の

ように「出られるのに出ようとしない」者のひとりなのだろうとは推察されるが。



 まあもともと「特赦課」と呼ばれるくらいだ、所属するのは本来地獄の住人には相応しく

ないと認められた者たちだ。自ら成仏を望まず地獄へ留まる魂たちを、ならばせめて有効活用

しようということで8層から成る地獄の苦行コースの先に設置した「天界飛び級コール」へ

オペレーターとして据えたのがそもそもの始まりであるこの課は、初め西洋・東洋と

分かれて業務に当たっていたが、西洋部の長であるルシファー様は天界出身であるが故に

気位が非常に高く「光をもたらす美しさの私が、何故醜い地獄の者どもを見なければ

ならないのか」と駄々をこね、常に業務を滞らせるものだから遂には世話役のベルフェゴール

さんが菓子折り持参でエンマ様へ泣きつくようになり、そこから次第に西洋・東洋の2分化

からセンター統合へと動く運びとなったという。

 勿論責任者はエンマ様。……きっとエンマ様の恰幅が更に良くなり始めたのは

その頃からだったのだろう。



 エンマ様が割を食う形で統合運営されることとなったセンターだが、統合されたことで

良くなった点もある。


 「罪人にも再起の道を」をモットーに各苦行を優秀な成績で脱した上位3名へは、

より見込みがある者として「エンマ様優先裁量実施中」の看板を掲げる「飛び級コール

専用室」という部屋から電話で申し開きをすれば、東西問わず、一度下された罪を再び

エンマ様が判じるというシステムが確立された。

 1日1名の審理すら怪しかった西洋部にとっては願ったり叶ったり。代わりに罪人たちは

古今東西あらゆる人種が共に頂点を競う形となったが、逆にそれが彼らの闘争心に火をつけ、

より強い意志を持つ者たちを選別するふるいとなった。



 特赦課は東洋部側の顔ぶれからして、始まりは恐らく800年を超える前であるのは察しが

つくが、西洋部の人間たちについては歴史を知らない分、判断が難しい。

 思えば他の者たちの生い立ちなんて気にしたこともなかった。鎌倉時代の刀匠と伝え聞く、

隣の席で電話仕事ならではの独り言や理不尽な申し開きに対しての不満も全く口にせず、

ひたすら淡々と業務を進める白装束に身を包んだ大柄の男も、それこそ自分がやって

来るより随分前からここに居る筈だが、まともに口をきいた試しがない。

 慣れないPC業務のせいか、いつからか掛けるようになったチェーン付きの眼鏡を

曇りひとつないまでに磨き上げると、不意に思い出したかのようにこちらへと視線を向ける。


「……え、と、何か?」

「まだ時間はある」

仕事は終わっていない。私語なら後に願いたい。

「あ……」


 気づけば自分以外は全員インカムをセットし着座したままだ。慌てて画面を戻し「待機中」

にステータスを変えると、目の前の銀髪がへらりとからかうような笑みを投げて寄越すも、

それに反応する前に――蜘蛛の糸が淡く光り、揺らぎのあるシタールの音色と共に、目の前の

画面に現れる見知らぬ顔と細かなプロフィール。着信だ。  



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