第1階層 マテウス=ケルナーの場合⑪

 「救世群の味よ」

後ろ手に縛られたまま、顔だけを上げ得意げな笑みを弟へ向けて浮かべると、

反応を窺うように向けられる挑戦的な眼差し。

「っ!」

……まさか自ら口にするとは思わなかった。これまでのやり取りで自分たち兄弟が

夜の食卓の運び手だと気付いてはいるだろうが、正体が解らない以上、こちらの

動きを探ると踏んでいたから。

 

 あからさまに不審の色を見せる弟を満足そうに眺めると、意味ありげな微笑みを

此方へも寄越してくる。何か考えがあるのか、それともただのはったりか。

自分から口にしたのだから、勝算があるのかもしれないがしかし――自身の知る限り、

もっと慎重な人間だと思っていた。だが存外見誤っていただけかもしれない。

見返す瞳の奥に灯る、どこか状況を楽しむような光に小さく嘆息しながらこれまでの

ことを思い起こしてゆく。


 確かに「家族」相手に駆け引きは必要ない。思えば不審な動きを見せた自分と

1対1で話をつけようとしたのも無謀と言えば無謀だ。当然、隣の部屋に居る者たちを

意識しての行動ではあっただろうが――あの日もそう。誕生を祝う席とはいえ、集まって

いたのは親類以外、軍閥に属する者たちだ。その場での抵抗も予想された筈なのに、

先陣を切って現れた女はその身ひとつで号令を発した。恐らく情報を掴んだその足で

踏み込んだのだろう。


 何かにつけて周到な準備や伝達が必要な軍に対し、救世群はかなり自由だ。

当機立断、機を見、素早く決断する能力に長けた人物が統べる組織だからこそ、そして

自らも危地を顧みず前へと向かう姿を示すからこそ――自由を求め立ち上がった民衆たちを

導く存在に値すると、彼らに認められたのだろう。……無論、それが両親が殺された事実に

対し、何らかの酌量の材料となることはないけれど。先程よりも若干余裕さえ感じられる

ようにも見える表情に弟よりもやはりこの女を注視すべきかと思い始めていると――


 「はあ?」

どこをどう見ても、母や自分が作るそれと同じように見える物なのに、何故これが

救世群の味になるのか。心底理解できないといった表情で案の定、不信感も露わに

説明を求めるべく此方へと投げ掛けられる声に、いよいよ告げるしかないかと諦めて

溜息をついたその時。

「食べてみれば解るわ」

あなたのお兄さんがそうしたように。挑発するかの如く、スプーンを取るよう促す

囁きに余計なことを言うなと睨み返すも、なんで、とも言ってたかしら? 更に

煽るように言葉を重ねると――その一言をきっかけに椅子へ掛けるとスプーンへと

掛かる右手。途端、口にした瞬間の驚きと、言い表せないやり場のなさが蘇る。

 

 食べさせていいのか、もう1人の自分が問う。確かにそうすれば復讐は思い留まる

かも知れない。が、それ以上に深い絶望を与えてしまうかもしれない。

必死に食らいついてきた8年を、抱いてきた怒り、悲しみを贖う筈だった命を狩る

ことが出来なくなるかもしれないひと匙。止めさせるべきか、それとも――

思い悩む間にもそのひと匙は形を失くしつつあるじゃがいもを掬い上げ。


 ……こんな、野菜や肉だけじゃない、匂いまでケルナー家と同じスープが救世群の

味だなんて。

「ケルナー……!」

貴方たちまさか――

「認めない」

女が声を上げたのと、そのひと匙が口に入ったのは、ほぼ同時。



 民衆の声も聞かず進み続ける軍部を見兼ねて立ち上がった救世群の「取り締まり」を

執行していた軍部の上層、ケルナー将軍。その息子の誕生日に狙いを定め、集った要人を

纏めて潰した。信念に犠牲は付きもの。親類、子供たちを含め、一切の禍根が残らぬよう、

全ての者たちを排した。……その筈だった。号令の刹那、最後に交わした子供の目が、何故か

この青年のものと、重なる。


 望まない「取り締まり」を立場上余儀なくされ、それでも民衆の傍に寄り添いたいと、

母や自分たちを恃みとし、奪われた彼等に少しでも立ち上がる為の糧を与えたいと願った父。

しかし母手ずからの糧はそのまま、自身の晴れの日に訪れた凶事への礎となり。

挙句父も母も、奪われた。弾痕だらけとなったぼろぼろのテーブルに必ず……あの赤毛を

殺してやると、誓った。



 8年越しに再び交わった、眼差し。共に大切なもの、失いたくないものを抱き、ここまで

生きてきた。その中で支えになったのは、ひと匙のスープ。立ち上がり生きる糧として、

命を繋ぎ、いつの日か復讐を果たす為、前へと進めるよう、痛みを忘れぬよう繰り返し作られ

続けたそれ。共に歩んだ歳月は等しくその味に意味を持たせたが――

 からん。手にしたスプーンが落ちる乾いた音が、出口が見えずにいた感情の結末を告げる。

言葉を失い、ただ皿の中身を凝視する瞳から、自身でも御しきれないのだろう、ひとつふたつ

と溢れ出た雫が膜の張り始めたスープに落ちる。

自身の作るものと同じである筈なのにまるで違う味に、感じたものが同じであるなら、

望むのはその命ではなく、きっと――


 「――動かないで」

「!っ、やめろ!」

短く発する警告と共に、存在を示すように飛び出すピンが、それが脅しだけの意味では

ないことを暗に告げる。意図に気づき、あやまたずテーブルについた影へと向けられる

銃口の前に躍り出るように飛び出すと、マテウス! 人前で永らく口にすることのなかった

その名を呼ぶ。

 いつの間に緩めていたのか。後ろ手の戒めを解き立ち上がっていた影が、隠し持っていた

銃を静かに構えている。その眼はあの日と同じ、発砲を命じた時の揺るぎない、信念を抱いた

強さを持つもので。ケルナーに連なる者と知られた以上、生かしておくつもりはないの

だろう。だが未だ衝撃から立ち直っていないのか、重ねて名を呼ぶもテーブルの主からは

やはり応えはなく。護れるのは、自分だけ。それならば。

……もうこれ以上、俺から大事なものを奪うことは、誰にもさせない。


 そこからは必死だった。身ひとつで銃を手にする女へと飛び掛かると、手にするそれを

取り上げようと手を伸ばす。安全装置さえ掛けてしまえば――弾倉に込められた弾さえ

出せなくさせることができれば。普段から手にすることはあっても使うさまを見ることは

殆ど無かった。

 上へ行く程に戦場とは遠ざかる軍とは違うと当人は嘯いていたが。

象徴が手を汚す必要はない。……その実、担ぎ手たちの方はそうは思っていなかったらしい。

常に先頭に立ちながらも未だここまで、自身の手で撃つことはなかったのだろう。

その証拠に、いざ人に対して向けられた銃口は、そこから不意に惑いを見せ。

実際飛び掛かった瞬間、優位さの証とも言えた笑みも即座に消え――

 初弾すら撃ったことのない、傷ひとつない象徴と、生きぬく為、なりふり構わず

やってきた者。後は男と女。純粋な力勝負なら結果は見える。早く、その手から凶器を。

力任せに押さえ込んだ腕が大きく仰け反ったその時。


 「――っ」

反動で大きく揺れる銃口と、赤く弧を引きながら後方へ椅子ごと倒れ込む薄い癖毛が

目に入り。

「マテウス!」

悲鳴に近い声に、屋根に居た鳥たちが一斉に飛び立つ羽音が重なった。

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