第1階層 マテウス=ケルナーの場合④

 人気の絶え、静まり返った世界に不意に射す、ふたつの影。

踏みしめる度、がちゃりと不快な音を立てる多くの食器の欠片や赤茶けたテーブルクロス。

祝いの品が入っていたのだろう箱も無残に潰れ、中は見る影もない。倒れたままの椅子、

衝撃で割れ水を失いかさついた花の名残り。ここにあるのはあの日のままなのに、あの日の

ままで残っているのは自分たちだけ。


 遺体が軍部によって運ばれた後もしばらく、地下室からふたりは動けずにいた。

地上でのやり取りは届いていたから、何が起きているかは理解していた。そしてどうするのが

最善だったのかも。恐らくそこで地下から這い出ていれば彼等に保護され、ひとまずは

息つくことができたかもしれない。だがそれを敢えてせず、秘密の地下でじっと息を潜めて

いたのは他でもない、ただ1つの目的の為。



 じゃり。先行する重い足音が不意に歩みを止める。――と。繋いだままの手が瞬時、

きつく握り込まれる。どうしたのかと目線を追うと、飛散した幾つかの欠片の中に

見覚えのある部品が混じっているのが見え。


 「――」

無言のまま屈み込むと、辛うじて残るレンズの欠片を拾い上げる。弟の最良の日を

残そうと、自身の宝物でもあったそれを手に、家族や来客の表情を何度となく収めていた様が

思い出される。そしてその影には僅かに巻きを残したフィルムもあり。

 思わず繋いだ手を離すと勢い込んでフィルムの元へと向かう。きっと映ってないぞ、

飛び出し、一時でも光に晒されたフィルムには何も残っていないことを暗に示されるも、

それでも諦めきれずそっとポケットへと仕舞う。

 失ったものは、あまりに多く。けれど残されたものは、数えられるほどになったものの、

ひとつひとつが進む為には欠かせない大切なもの。


 己の正義の勝利を祝う誰かの裏で、打ち砕かれた正義を抱き、悔しさや怒りに拳を打つ

誰かが居る。勝利の美酒を味わう者は、きつく噛み締めた唇から滲む血の味を知らない。

だからきっと彼等がこの身の内から湧き上がる言葉にならない、どす黒く濁った想いを

理解する日は、最期の日まで来ないだろう。兄と弟、それぞれに宿った暗い感情は、時を経て

静かに明確な意志を持つものへと変わってゆく。ポケットの中のフィルムがかさりと、

小さく震えたような気がした。

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