第1階層 マテウス=ケルナーの場合②

 「お前は神の贈り物だ」

この名について誇らしげに語る父と、嬉しそうに寄り添う母。それを写真に収めようと、

カメラを構える兄。目の前には母が前日から腕を揮ったご馳走が並ぶ。ハムのペストリー、

好物のじゃがいもとベーコンのスープ、たくさんのケーキやドライフルーツ、クルミを

練り込み焼き上げたパン。

 

 ケルナーの名を冠した2番目の息子の周りの者たちへの披露も兼ねた10歳の特別な

誕生日であったあの日、父の交友関係を初め多くの友人・知人、親戚が我が家へと

集まっていたあの日――突然、全てが奪われた。




 「救世群だ!」

賑やかな宴席の喧騒すらものともしない鋭い声が玄関先でしたかと思えば――

上がる悲鳴から数拍後、ばん、と乱暴に蹴破られた扉から、けたたましい足音が続いた

次の瞬間。


 「我々は国の犬にはならない!」

凛と張った女の声が室内に響く。装備らしい装備は右手の銃のみ、背に多くの同志を従え、

無造作に結んだ燃えるような赤毛を揺らし高らかに信念を謳う様子はさながら舞台のようで。

若さ故の迷いの欠片もない、己の信じる道に疑いすら持たない、強い意志を宿した眼差しは

それでも、自分と目が合った刹那、僅かに揺らいだように見えた。

 大人と子供。見えるもの、抱くものは違えど、それぞれに背負うもの、護りたいものが

あった。しかしそれも短い間。目線を合わせ、しっかりと声の主を仰ぎ見たのと、無数の

銃口がこちらを捉えたのはほぼ同時で。


 「マテウス!」

兄がこの名を呼び駆け寄る姿が酷くゆっくりに見え、発砲を命じる声が最後に覚えている

しあわせの記憶。……そこからは、ただただ堕ちてゆく一方で。


********


 「ほら」

ちゃんと着てろ。言葉と共に降ってくる上着には重さ以上にぬくもりがあって。

あまり持って来られなかったからな。悪い、短く詫びるとこの身に毛布を掛け、

煤けたカンテラへと火を燈す。暗くしんとした自宅の地下――有事の際に逃げ込む

ようにと教えられた、家族のみが知る秘密の部屋。父に教わって以降、入るのは

これが初めてだった。壁に触れればひやりとした感触が、ややもすれば沈みそうになる

感情を繋ぎ止める。同時に石造りの堅牢な地下は、外の寒さからも護ってくれた。

そしてこの身は――


 「見るな」

地上の惨劇は目覚めた瞬間、兄の手のひらが塞いでくれた。見なくていい。

それだけ告げると後は何も言わず、自分を抱え逃げるように地下へと駆け降りる。

強い硝煙の臭いと先程までの喧騒が嘘のように、人気の絶えた気配。瞼を塞いだ

手のひらにはまだあたたかな雫が残っていたから、それ以上は聞いてはいけないのだと

解った。けれど濃い血の臭気が、凝った空気の重さが全てを示していて。


 友人・知人・親族。自分の為に集った彼らは、皮肉にも自分の為に命を落とした。

……残ったのは、ふたりだけ。お前のせいじゃない、そう言って抱き締めてくれた兄も

眠る間、何度かこの背に涙を隠した。寄る辺を一度に失ったふたりには、どこにも行き場が

なかった。15歳の兄と10歳の弟。護ってくれる筈の大人も居らず、ならばと動かぬ父母や

友の遺骸と共に朽ちてゆくだけの絶望も選べず、脳裏に焼きついた赤毛を忘れまいと

ただそれだけを念じ、必死で食らいつく日々。

一度「救世群」に狙われた以上、頼れる相手はもうどこにも居なかった。


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