第5話

 近頃優しく話しかけてくる松島君は、思わせぶりなそぶりを見せてきたかと思ったら、彼女ができたらしい。私は練習台だったのか、幸せだから誰かに優しくしたくなったのだろう。愉しくお喋りする時間が嬉しかっただけ、だと思っていても、恋人が出来たと聞いた瞬間に少しでも影がさすような気持ちになったのは事実だ。


 ライブハウスで仲良くなった麻衣は、観音様みたいな雰囲気を持っている。初対面の人でも麻衣の事を「何でも許して包んでくれる、バーのママみたいだ」等と云っている。時々本当に、観音様の生まれ変わりじゃないかと思う事がある。

 私はよく麻衣とお茶会をしていた。無意識に、癒しを求めていたのだろうか。何故麻衣はこんなにいつも元気なのだろう。話を聞いていると、中々修羅場に遭遇しているぽいのに。

 自分は世界にただ一人だけだから、幸せになってやるし、なるに決まっている。

 当然の様に、麻衣は云った。私の思考は常に、根拠や原因を探している。彼女の思念に、そのような形は無かった。ごちゃごちゃ考えている私の思考の意味が全て無駄だったのかと思えてきた。何だか色々億劫だ。明日仕事が終わったら、メンタル室に行こう。

                  ○

 メンタル室に来たら、丁度会議の日だった。ここで云う会議とは、メンタル室に集まった生徒(講師に対して社員をこう呼ぶ)達が時々、多人数で集まってテーブルを囲んで色々お喋りをする事だ。人と会う事、話す事に触れる為にやるのだろう。

 先生はいつもと変わらない笑顔で迎えてくれた。私の笑顔は少し、足りなかったかもしれない。

 途中参加でも構わない集まりなので、私も参加した。ここで話された話題は、映画の話やテレビ番組の話だった。どちらも見ない私には、ひどく退屈だった。昨日の夜更かしと、今のつまらない状態で私は眠くなってきた。


「眠いの?」先生が、声をかけてきた。私を起こそうとする。その時、先生の手は私の胸というか乳房を掴んでいた。真っ先に気にしたのは、周りの人達に見られないかという事だが、角度的に見えないようだ。一瞬の安堵の後、びっくりした。同時に、合図だと思った。しかし誰かに見られたら困るので先生の手をどかそうとしたが、再び触れてくる手。いや本当、ばれたら困るから。チャイムが鳴る。時間だ、メンタル室の会議が終わる。


 会社を出る頃には、すっかり暗くなっていた。先生の駐車場は知っている。私は待ち伏せをした。駐車場に現れた先生に駆け寄り、そのまま先生の車に一緒に乗り込んだ。

「ねえ先生、このまま先生の家に連れて行って」

 当然の様にそう云った。何かの台詞みたいだった。そして私は多分、多少自暴自棄のゾーンだったのだろう。

 

 先生の家は会社から車で十五分程の場所にあった。市内で一番大きいゲームセンターの近くだった。会社の若い子達が集まるであろう場所だ。アパートは小路に入るので、社員に見つかる事は無いという。着いてみたら、ごく普通のアパートだった。普通というのは、特に驚く外観ではなかったという事だろう。

 先生の後をついて階段を上った。鍵を開ける音がして、玄関の扉を開けた瞬間、現実に戻されたような感覚がした。一瞬にして、緊張した。私の緊張を見抜いたのか、先生は私と目を合わせて優しく微笑んだ。「どうぞ」と私を部屋の中へ招き入れた。

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