第21話 告発と恫喝
生活指導の渡辺先生が、笑顔からいつもの厳しい表情に変えて呟いた。
「あの馬鹿…」
教頭先生は尾崎を呼んで、僕に謝罪させると言ったが、感情的になっていた僕は尾崎の顔を見たくなかった…それに「ごめんなさい」で事を収めるつもりもなかった。
どう考えても、女になった僕が、このまま男子校に通い続けるのは無理がある…僕は学校を辞めるつもりでいた。
「これ以上、尾崎先生の顔を見たくないので、山本さんに相談しようと思います…」
先生たちは血相を変えた。
山本さんとは、僕の件で学校に圧力を掛けた人権擁護団体の代表者の名前だ。
勿論、僕もあの人権擁護団体は嫌いなので、実際に相談するつもりはなかった。
先生たちは慌てて、僕に人権擁護団体に連絡するのを思い留まるように言ってきた。
「私も事を大きくするつもりはありませんし、本人からの謝罪や慰謝料を要求するつもりもありません。ただ、顔を見たくないだけです…私が学校を辞めるしかないです…それでは失礼します」
僕は言いたい事を言って職員会議室を後にした。
廊下には僕を心配してくれるクラスメイトが全員待っていてくれた。
僕はクラスメイトたちに会議室での事を全て伝えた。
前田は、職員会議室から出てきた渡辺先生と担任の高橋先生の前に立つと
「ゆきり…柏木く…柏木さんの言っている事は全て事実です!僕たち34人が証人です!」
と言ってくれた。
すると、クラスの皆は
「柏木さんが可哀そうです!」
「いくらでも証言しますよ!」
と口々に言ってくれた。
僕は嬉しかった。
「ダメだよ!皆が先生と揉めちゃ…進学とか就職が不利になるから…私が学校を辞めれば済む事なんだから…」
これで、学校側は前田たちを処罰出来なくなるだろう。
「分かった!取り合えず教室に戻れ!尾崎の件は私が責任を持って対処するから!」
この学校で一番怖い渡辺先生の、今までに見た事のない怒った表情に、僕たちは驚いた。
すると、渡辺先生は表情を柔らかくして
「尾崎は、これまでも問題のあった教師だし、柏木君が辞めるような事はないから、安心しなさい」
と静かな口調で言って、職員室の方に歩いて行った。
教室に戻ってきた僕たちは無言だった。
すると、現代社会の先生が教室に入って来て、五時間目の授業が自習になる事を伝え教室から出て行った。
僕たちは、取り合えずお弁当の続きを食べる事にした。
あれっ、変だ…グラウンドで体育をしている生徒がダラダラと歩いている…。
先生がいない?
体育も自習なんだ…そう言えば、隣の教室からも生徒の私語が聞こえる…。
もしかして、全クラスが自習?
クラスメイトたちも変異に気づき、宮崎が偵察の為に教室から出て行った…。
「やっぱり、全学年、全クラスが自習だ!」
宮崎の報告に僕たちは驚いた。
この事態で考えられる事は一つ…今、緊急の職員会議が開かれているという事だ。
議題は恐らく尾崎と僕の件だ。
事態が思っていたよりも大事になり、僕は少し後悔していた。
人権擁護団体の名前を出したのは、やり過ぎたかな?
そして、30分程すると教室に教頭と渡辺先生と担任が入って来て、尾崎が来月辞職する事に決まったと伝えてきた。
更に、僕だけが先生たちに呼ばれ教室を出ると、渡辺先生が
「尾崎は今日から休職する事になったから、君と顔を合わせる事はないと思う…そして、そのまま自主退職する…懲戒処分じゃないけど、それでいいか?」
と優しい口調で言った。
「そこまでして頂かなくても…私が辞めれば済む話ですし…」
「いや、尾崎に関しては、君の件だけじゃないんだ…過去にも何度か女性絡みの問題を起こしていたから…」
「そうですか…私は尾崎先生と顔を合わせなければ、それで良いです…それで、私の処分はどうなりますか?」
「君は被害者だ。何の処分もないよ…ただ…」
「大丈夫です…この事は第三者に相談しませんから」
「ありがとう…済まなかったね」
僕は汚い手口を使って先生たちを恫喝した事を後悔した。
でも、あの男のした事を許せなかった…。
僕は、つまらない男のプライドを捨てる事にした。
そして、女としてのプライドを持って強く生きて行く事を決意した。
教室には重たい空気が充満していた。
僕は、一人の先生を辞職に追いやった…。
尾崎のした事は許せない…しかし、罪に対しての罰が重すぎる気がした。
落ち込んでいる僕を、前田たちは励ましてくれた。
僕のした事は、あの人権擁護団体のした事と同じだ…。
重たい雰囲気の教室と違って、休み時間の廊下は騒がしかった。
皆、僕を見物に来ている。
僕はパンダになった気分だった…。
勿論、僕はパンダになった事はないので、本物のパンダの気持ちは知らないが…。
やがて、今日の授業が終わった…直ぐに帰ろう…。
僕は通学時の服装に着替えて、エントランスホールに行くと、事務室から女性事務員さんたちが出てきて、僕に声を掛けた。
「柏木さん!ありがとう!」
「あなたのお陰で、明日から安心して通勤出来るわ!」
僕は学校の女性事務員さんたちから感謝された。
彼女たちも尾崎のセクハラの被害者だった。
尾崎は、僕が思っていた以上に酷い男だったようだ。
大人の彼女たちは、僕が受けた仕打ちよりも、遥かに酷いセクハラを日常的に受けていて、もはや、犯罪の域に達している行為もされていた。
そして、尾崎のセクハラが原因で、学校を辞めた事務員さんもいたそうだ。
渡辺先生の言っていた尾崎の余罪とは、この事だったのか…。
すると、我が校に三人しかいない女性教諭もやって来て、僕に感謝してくれた。
尾崎のセクハラは手当たり次第だったようだ。
僕は彼女たちの話を聞いて、自分のした事が正しい事のように感じ始めていた。
良かったのかな…?
少なくとも、ここにいる女性たちは喜んでいる…僕の行為は正しい事なんだ。
女性は弱い…体力的にも立場的にも…もし、彼女たちが僕と同じように尾崎を告発しても結果は違っていただろう…。
恐らく、処分されるのは彼女たちの方だ。
僕の気持ちは少し軽くなった。
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