第2話 三毛猫症候群

 数日後に出た検査結果は衝撃的なものだった。


 まず、僕の胸の膨らみは、ネットで調べた通り「女性化乳房症」で間違いなかった。


 そして、乳首の「しこり」も悪性のものではないと分かった。


 僕の胸は本物の女性と全く同じ発育をしていて、僕の乳頭からは乳房全体に植物が根を張るように乳管や乳腺といった組織が伸びていて、乳腺の先には小葉と呼ばれる母乳を作る為の器官まで出来ていた。


 それって本物のおっぱいじゃん…。


 そしてお医者さんは、僕が「女性化乳房症」になった原因を説明し始めた。


 血液検査の結果、僕は「クラインフェルター症候群」と呼ばれる先天性の病気だと判明した。


 クラインフェルター症候群とは、男児の細胞内にあるX染色体が一つ以上多い状態で産まれてくる染色体異常の事だった。


 僕と母がショックを受けていると、お医者さんは僕たちを落ち着かせる為に

「安心して、命に別状ないから」

と言い、何故かオスの三毛猫の話を始めた。


 お医者さんが唐突に猫の話を始めたのは、僕の状況がオスの三毛猫と似ているからだった。


 そもそも遺伝学的に三毛猫にはメスしか存在しないそうで、白毛以外の黒毛と茶色の毛は、X染色体にある遺伝子情報によって決まり、メスはX染色体を二つ持っているので、白に黒と茶色の組み合わせの三毛猫が生まれるが、オスはX染色体を一つしか持っていないので、白に黒の組み合わせか、白に茶色の組み合わせしか生まれないそうだ。


 しかし、受精時の染色体異常により、オスなのにX染色体を二つ以上持っているケースがあり、稀にオスの三毛猫が生まれ、ペットショップでは数百万円の高値で取引されているとの事だった。


 また、この染色体異常は人間の男児にも、五百人から千人に一人の割合で発生する事があり、まさしく僕がこのパターンだった。


 勿論、僕は猫ではないので、髪の毛が三色になっている訳ではない。


 見た目は「普通」の男子だ。


 しかし、僕の細胞内にある染色体の数は、普通の人間よりも一個多く、合計で四十七個もあり、性染色体の組み合わせも、女性のXXや男性のXYではなく、両方を併せ持つXXYの状態だった。


 因みに、僕みたいな染色体異常を「47,XXY」と表記するそうだ。


 また、人間のクラインフェルター症候群は、体が大人の男性に成長しなくなるもので、生殖器も成熟しないので不妊症になったり、男性ホルモンの分泌が少ないので体が女性化したりするそうだ。


 しかし、症状には個人差があるらしく、中には自覚症状がなく普通に結婚をして父親になった人もいるそうだが、僕の場合は症状が顕著に表れていたので、子供を持つ事は困難だと言われた。


 精液検査の結果、僕の精液には精子が含まれていなかったからだ…。


 僕の精巣は普通の男性よりも硬くて小さいらしく、生殖機能が発育していないそうだ。


 そもそも、金玉の大きさなんて他人と比較した事ないし、まして、硬さを比較した事のある人なんて、この世に存在しないだろう…そんな違いに気付く訳がない…。


 またクラインフェルター症候群の発育は独特で、産まれた時は普通の男児と同じだが、第二次性徴期を向かえても胴体が子供のまま成長せず、手足だけが伸び、髭や体毛が薄く、声変りが起こらない等の特徴があり、その全てが僕に当てはまっていた。


 僕の体は、身長こそ172センチに成長していたが、髪の毛は女性のように細く柔らかく、わき毛や陰毛や髭は全くない状態で、肩はなで肩で肩幅も狭く、薄い胸板には女性と同じおっぱいがあり、長く伸びた脚を支える骨盤だけが横に広がるように発育し、鏡に映った僕の姿は外国人女性のファッションモデルかアスリートのように見えた。


 また、クラインフェルター症候群は脳の発育にも影響を与えるそうだが、僕にはクラインフェルター症候群の人に多く表れると言われる「言語障害」や「発達障害」それに「知的障害」といった症状は表れていなかった。


 僕の症状は身体的な症状に偏っていた。


 お医者さんは僕の体を診て、ここまで体の女性化が進行しているケースは稀だと言い、薬物の影響を疑った。


 しかし「普通」の高校生だった僕は「普通」の生活をしていたので、特殊な薬物を摂取した覚えがなかったが、食生活に女性化の原因がある事が判明した。


 僕は三人兄弟の長男で、一番下の弟が牛乳アレルギーだった。


 牛乳アレルギーは怖い病気で、間違って乳製品や牛肉を口にするとアナフィラキシーショックを起こし、最悪の場合は死に至るケースもあった。


 なので、当時の母は食べ物に敏感になっていて、家には乳製品が一切なく、牛乳の代わりに我が家には豆乳が常備されていた。


 幸い、弟の牛乳アレルギーは、彼が保育園に通い始める頃に自然に治ったが、豆乳の味を気に入った僕は、その後も豆乳を飲み続けていた。


 僕が飲んでいた豆乳には、大豆イソフラボンという成分が含まれていて、大豆イソフラボンは女性ホルモンであるエストロゲンと分子構造がよく似ているそうで、女性ホルモンと同じ働きをした。


 豆乳好きの僕は、水分補給のほとんどを豆乳で補っていたので、一日に1リットル以上の豆乳を毎日飲んでいた。


 僕は自分では気づかない内に、女性ホルモンと同じ働きをする物質を大量に摂取していたのだ。


 クラインフェルター症候群の影響で、男性ホルモンを分泌する精巣が発育しなかった僕は、大量に摂取した大豆イソフラボンの影響をもろに受け、体の女性化が本物の女性よりも急速に促進されていた。


 その結果、僕の乳房は通常の女子の三倍の速さで発育したそうだ。


 通常の三倍って…赤い彗星かよ…。


 僕の体の異変が先天的なものだと知った母はショックを受け「自分のせいだ」と言って泣いていたが、お医者さんは追い打ちをかけるように、僕には「性同一性障害」の疑いもあると告げてきた。


 僕は「普通」の男だった筈なのに…。


 心が男で、体が女性化しているから性同一性障害なのか?


 それとも心まで女性化しているのか?


 自分が気付いていないだけで、産まれた時から心が女だったのか?


 でも、僕の恋愛対象は女性だ…心が女で女性が好き…レズビアンなのか?


 男なのにレズビアン…?


 マイナスにマイナスを掛け合わせるとプラスになるように、異常に異常を掛け合わせて「普通」という事か…?


 もう訳が分からない…。


 そもそも心の性別って何だ?


 お医者さんは混乱している僕に、今後の治療方針についての話をした。


 僕の治療には二つの方法…というか方向性があり、それは僕にとって難しい選択だった。


 一つは、膨らんだ乳房を切除して男性ホルモンを継続的に投与し、体を男性化させる治療で、もう一つは、このまま経過を観察し、僕が成人になったら手術で体を女性にして、戸籍の性別も女性に変更するというものだった。


 僕は自分で性別を決め、乳房か男性器か…そのどちらかを切り取るという、究極の選択を迫られた。


 まず、男性ホルモンによる治療は、僕の体を男らしくするそうだが、体形や骨格が男らしくなる事はなく、精巣も正常な状態に発育する可能性は低いと言われた。


 つまり、男性化した僕は、体毛が濃くなり、頭が禿げ、喉ぼとけが隆起し、声が低くなり、ゴツゴツとした体に変化するが、体形は女らしいままで、子種がないので子供を作る事は出来ないという事だ。


 また、女性になる治療方法は、僕が十八歳になるまで性同一性障害のカウンセリングを受け続け、その後、女性ホルモンによる治療を受けて、成人になるのを待ち男性器を女性器に変える手術を受けるというものだった。


 勿論、手術で体を女性化しても、僕が本物の女になる事はない…。


 いずれにしても、僕は本物の男や女になれなかった。


 僕は学校を休んで何日も悩み、病院や家族、それに学校とも話し合いを重ねた。


 学校との話し合いには、教育委員会や人権擁護団体の人まで顔を出した。


 その結果、分かった事は、僕の選択肢は

「男になるか?女になるか?」ではなく

「汚いオカマになるか?綺麗なオカマになるか?」という事だ。


 そう考えると、答えは簡単だ。


 僕は綺麗なオカマになる方を選択した。


 次の日曜日は僕の16歳の誕生日だ。


 丁度、キリが良い。


 僕の男としての人生は16年間で終了する。


 そして、残りの人生は女として生きていく。


 僕の通っている高校は男子校だったが、日本の学校には文科省からの通達で、僕みたいな生徒を差別してはいけない事になっていた。


 結果的に僕は女子として男子校に通う事になり、通学時の服装も自由で良く、更衣室やトイレも特別扱いされる事になった。

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