第37話

 隆とマリアは連れ立って駅から出ると先ずバスに乗った。

 ここからバスで30分、更に歩いて10分で実家だ。

 バス、と言うか自動車に初めて乗ったマリアはやはり興味津々で、一番前の席に座り運転手の一挙手一投足に目が釘付けだった。

「マリア、あっちに戻ったら運転の仕方を教えますからね?」

「……ん、……約束」

 信号で止まったり進んだり、多くの車が整然と運行されているこの世界の交通システムについて簡単に説明はしていたが、実際に見て車に乗ってみるまでは判らない事も多いものだ。

 例えば、信号機は一時いっときだが両方赤になるとか、歩行者用信号の点滅が車両用信号機の色が変わるタイミングの目安になるとか、信号機は連続してあおで進めてしまう事もあれば、逆に連続してあかでなかなか進めない事もあるとか、そう云った些細な、しかし、安全上必要なゆとりや、スムーズな交通の流れの維持などに関して普段我々が気にしない事も、マリアには文字通り新鮮に映り、目敏く発見すると隆に聞いてくるのだった。




 バスを終点のバス車庫まで乗って、そのまま住宅地と畑が半々の街並みを歩く事10分、遂に隆の実家に到着した。

 800坪はある様々な木が植えられた広い庭の奥に、2階建て瓦葺かわらぶきの立派な日本家屋と大谷石を積んで作られた大きな蔵が3つ並んでいる。

「マリア、ここがうちの実家です」

「……ん、……立派な、……家」

「一応、ご先祖はこのあたりの名主だったらしいので……、まぁ、現在は普通の兼業農家で特に自治に携わっている訳でもないのですけどね……、土地はいっぱい持っているみたいですが……」

 言いながら玄関の引き戸を開いて奥に呼びかけた。

「ただいまー」

 奥からバタバタする音が響いて来たかと思うと玄関に向かって駆ける様に廊下を直進してくる隆を厳つくした感じの初老の男性が現れた。

 チラッっとマリアを見ると芝居がかった感じに大声を上げて言った。

「お、おおお、お帰りぃ! 隆!! さぁ、あがれあがれ!!」

そう、言うが早いか、また奥に取って返して行く、しかも大声で奥に告げながらだった。

「母さん! 母さん! 大変だ! 隆のやつ外人さんを連れて来たぞっ!!」

「……マリア、すみません、今のが父です」

「……ん、……顔、……似てた」

 広い三和土で靴を脱ぎ、手前の応接間でなく奥の居間に向かうと畳敷きの座敷の

真ん中に置かれた大きな座卓の上座に父と母が床の間を背に座っていた。

「……父さん、今日仕事はどうしたの? 何か、怪しい雰囲気だけど……、変だよね? 普段は床の間に掛け軸何て掛けてないのに、なに? その鶴の掛け軸は? お正月用なんじゃないかな?」 

「な、なに言ってるんだ、隆! お前の晴れの日だろう? 仕事は休みに決まってる!! あと、形式は大事だ」

「まぁまぁ、隆とそちらの方も座って頂戴」

 母に促されるまま、隆は向かいに敷かれた座布団に腰を落とし胡坐をかく、マリアは座布団が珍しいのか、感触を確かめた後、正座した。

 多分、隆の母が正座していたのを見た為もあるだろうが、マリアはスカートだったのでそうするしかなかったというのも理由かもしれない、ただ、正座出来る事には隆も含めて一同がちょっと驚いた。

「マリア、足を延ばしてもいいんですよ?」

「……ん、……平気」

 隆の父は先程も一寸言ったが隆を厳つくした感じで日に焼けたがっしりした体形の髪に白いものが混じり始めた46才だった。

 母はおっとりした感じの、隆とそっくりな優しい目をした女性で、今年44才になるはずだが、低身長のせいか下手をすると10代にも見えると云う、ちょっと年齢不詳な人だった。

「さて、改めて紹介するね、こちらマリア、今度結婚することになった一人です」

「初めまして、マリアです、よろしくお願いします」

 マリアは完璧な日本語で挨拶し、頭を下げた。

「か、母さん! 今、わしにも英語が理解できたぞ!」

「あらあら、お父さん私もですよ~」

「ちょっと、二人ともしっかりしてよ、マリアは日本語で言ったんだよ、英語なんてしゃべってないよ、何よりマリアは英語圏の人じゃないよ」

「!! な、なにぃ~!! じゃ、フランス語かっ!?」

「いや、だから日本語だって、向こうの言葉でしゃべられたら自分も理解できないって」

「?▽▼□☆◎●」

「「「えっ!?」」」

 急にマリアが訳の分からない言葉をしゃべったので両親だけでなく隆も驚いてしまった。

「……ん、……冗談」

「マリア、驚かさないでください……」

 マリアの冗談で場の空気が弛緩したので、隆は最初から全部話すことにした。

「これから、ちょっと信じられない話をしますが、一旦何も言わずに聞いてくださいね、えーと、4日前の土曜日ですが、買い物に出掛けようとアパートのドアを開けると……」

 それからマリア達に出会い、こちらに戻って来るまでを魔法の実演も交えて簡潔に説明した。

「……たった2日だけ、マリアとは4日だけしか一緒に過ごして居ないのだけれど、もうこの縁は運命としか思えなくて、マリアもだけれど、シルビアもこちらに住む為に籍などを用意する方法が無いし、下手に正直に話したら大騒ぎになるだろうから基本的には向こうに住むことになると思います」

「…………」

 腕を組み、目を閉じて黙って話を聞いていた父がおもむろに話し出した。

「よし、話は分かった! 隆は安心してよm、いや婿に行くが良い!!」

「まぁまぁ、まさか隆が嫁に行くなんて、母さん思ってみなかったですよ」

「父さん、今嫁って言いそうになっただろっ!? 母さんは隠す気すらないっ!?」

「なんだか判らんが、とりあえずめでたいと言う事で間違いはないんだろう?」

「そう言われると、そうなんだけど……、なんか、納得がいかないと云うか、二人とも本当にわかってるのか不安になると云うか……」

「隆、お父さんも、母さんもお前が元気で幸せなら、後の細かい事はどうでもいいのよ」

「母さん……、母さんはもうちょっと細かいことも考えようね?」

 とにかくいい加減な隆の両親だった。

 こんな荒唐無稽な話を聞きながら、全く疑おうとしないし、それどころか全面的に信じているまである態度だった。

「で? いつ向こうに行くんだ?」

「うん、今日はこれからマリアを連れて伊香保の温泉に行こうと思ってるので車を貸して欲しいんだ、で、明日温泉の帰りに市役所に転入届を出してからここに帰って来て、それから行こうと思ってる」

「そうか、直ぐ帰って来るのか?」

「うん、そうだね、シルビアも連れてこないといけないので向こうで落ち着き次第すぐに戻ると思うよ」

 そう答えた後、続けて隆は言った。

「で、ゲートなんだけど、2階の自分の部屋のドアを使いたいと思ってる」

「ああ、問題ないぞ、お前が出て行ってからも、そのままにしてあるからな」

「ん、ありがとう父さん、母さん……、あ、そうだ、二人ともちょっとこのジュース飲んでみて」

 そう言って取り出したのは勿論ネクターの木の実のジュースだ。

 二人とも特に気にした風もなく取り出したジュースを一口飲んで気に入ったのかごくごくと一気に飲み干してしまった。

「おぉ? 何だこのジュースは? 濃厚なのに凄くさっぱりしている、それに何だか体に染み渡るうまさだな? ん? んんん? あれ? 腰の痛みがなくなったぞ!?」

「あらあら、母さんも腰と肩が楽になったわ」

「うん、やっぱり効いたか、この実を絞ったジュースなんだけど、向こうでも高級な薬の材料になる木の実なんだよ、で、育つかどうか判らないけど、これがその木の種なんだ……育ててみない?」

そう言って収納して持ち歩いていた10数個のまん丸な球状の種を机の上に並べた。

「ん? いいのか? ずいぶん丸い種だな……、うむ、見た事が無い種だ、これは面白いな、やってみようじゃないか!」

 なぜか、物凄いやる気になっている隆の父だった。

 これが、のちに大きな騒ぎの元になるとは、この時の隆は全く考えていなかったのだった。

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