第31話

 次の日、目を覚ますとやはり隆の左腕はしびれて動かなかった。

 マリアは、既に目を覚まし隆の寝顔を見ていた様だった。

「おはようございます」

「……ん」

 隆の挨拶に応えると首を反らせて目を閉じた。

 これは、『キス待ち顔』で間違いが無かった、隆は軽い感じでチュッっと済まそうとしたが、唇が触れた瞬間頭を抱え込まれて、またディープなのに持ち込まれてしまった。

 どうもマリアさん、キスはディープなのがデフォの様だった。




 左腕を振ったりマッサージしたりして血行を戻して痺れを取り、朝食を用意する事に。

 トースターに食パンを2枚入れてタイマーを回すと、卵と牛乳と砂糖で甘い炒り卵を作ってカリカリに焼いたベーコンと併せて皿に乗せ、キュウリとトマトのサラダをガラスのボールに入れて、さらにコーヒーをドリップで落とすとホットミルクを添えてダイニングのテーブルにセットした。

「さぁ、朝ご飯出来ましたよー」

居間でテレビを見ていたマリアに呼びかけると、とことこやって来て隆の向かいに腰かけた。

「コーヒーには砂糖とミルクを入れますか?」

「……ん、……たっぷり」

「はいはい、ではコーヒーとミルク半々にさとうは3杯で……はい、どうぞ」

「……ん、……ありがとう」

「ふふふ、こうやって朝食を二人で取るのは初めてですが、なんだか楽しいですね」

「……ん、……楽しい」

 台所のトースターがチーンという音で、パンが焼けた事を知らせて来たので、

席を立ち、きつね色に焼けたトーストにバターを塗って席に戻る。

 マリアは、ワクワク顔で隆の一挙手一投足を目で追っている。

「はい、パンも焼けましたよ、そのまま食べても、炒り卵とかベーコンを乗せて食べても、おいしいですよ?」

「……ん」

「野菜は、こちらのドレッシングを掛けて食べて下さいね」

「……ん」

 新妻の様に甲斐甲斐しい隆君であった。




 朝食を済ませて、食器を水に浸けるとマリアをテレビ前に座らせて、隆はネット調べた退職届をささっと書いてスーツに着替えた。

 隆の様な平社員の場合、辞表ではなく退職届を出すとこの時初めて知ったのだった。

 居間に戻るとテレビを見ていたマリアが隆を見てほほを染めながら言った。

「……ん、……凄い、……かっこいい」

 隆もちょっと照れながら答えた。

「あ、ありがとうございます、それでこれから会社に行くのですがマリアはどうします? 帰りは夕方になると思いますが」

「……一緒、……行く」

「ですよねー、判ってました、では、一緒に行きましょうか?」

「……ん!」

嬉しそうに隆の腕に抱き着くマリアだった。




 隆のアパートから会社へ行くには、駅まで徒歩20分(普段は自転車で5分)、電車1本で30分、駅から徒歩5分の1時間弱で到着する。

 今日はいつもより早い時間帯の為、ラッシュの時間帯にも掛らず、ゆうゆうと会社まで行くことが出来た。

 マリアは道を走る自動車にも並々ならぬ興味を持っていたのだったが、何両も連なった電車が走る姿には心を鷲掴みにされた様で、会社の最寄り駅に着いて降りる様に説得するのが大変だった。

 ここに『異世界乗り鉄』が一人爆誕してしまった瞬間だった。

 会社に着くと先ず受付でマリア用の来訪者カードを発行してもらい、応接室を1つ振り分けてもらった。

 隆が連れて来たマリアを見て、受付嬢達の間で何やら色々な憶測が乱れ飛んでいたが、隆は笑顔で無視してマリアを連れて応接フロアへ向かった。

 そこでマリアにはしばらく一人で待ってもらう為、トイレの場所を教えて、ペットボトルのお茶、甘いお茶菓子、そして音漏れ防止にイヤホンも装備したノートPCを渡して、動画サイトを閲覧出来るようにしておいた。

 実は、昨日発覚したのだが、マリアにはテレビ音声やPC動画のセリフが全く理解出来なかった、直接目の前で話していないと自動翻訳は働かない様なのだ。

 しかし、海外作品も含む動画サイトは音声が理解できなくとも映像を楽しむことは可能だったので、マリアも気に入った様だった。




 マリアを置いて、営業部に向かうと、まずは係長の田辺氏の元へ向かい退職届を提出した。

「佐藤、どうした? 確かに、現在依願退職者を募集してはいるが、お前の様なを社はまだ必要としていると思うぞ?」

 流石は係長、隆の扱い方を心得ていた。

「うっ! あーはい、実は招待されまして暫く海外(異世界)へ長期で行く事になりまして、期間が未定の為、休職では会社にご迷惑を掛ける事になりそうですの退職させて頂こうかと……」

「なんだ? そんなに長く海外に? それに招待とは?」

「向こう(異世界)の市(フォルタレッサ領)の方で住む所(城塞内の部屋)を用意して頂きまして、暫定的ではありますが、仕事(冒険者)も出来るようになっています」

「そこまで既に決まっているのか……、大きなプロジェクトもこの間終わったばかりだし、お前に振り分ける仕事も今はまだ決まっていない、このタイミングを狙っていたのか?」

「いえ、全くの偶然です、自分でもまさかこんなことになるとは想像もしていませんでした……」

 総て本当の事しか話さずに、肝心の部分を誤魔化しきっている。

 隆にしては、ある意味、天才的な話術だった。

「そうか、残念だが仕方があるまい、お前なら上を目指せると思っていたんだがな……、まぁいい、では俺から部長にこれを提出しておこう。」

そう言って退職届の封筒を振って見せた。

「すみません、ご迷惑をおかけします」

「気にするな、それで有給の消化は?」

「今日からお願いします、1週間以内に出発なのに用意がこれからなので……」

「なんだ、送別会くらい開いてやろうと思ったのに、そんなに直ぐに行くのか?」

「はい、そういう(シルビアとの)約束なので、ただ、ちょくちょく日本に戻る予定ではいますので、集まるのでしたら、その時にでも連絡します」

「判った、気をつけてな」

「はい、係長もお元気で」

 その後、営業部の仲間にも話を通して残務の引継ぎや申し送り、挨拶を済ませ、人事部に退職に伴う離職票などの送付先を実家にするために転居届を出して、などなどしているうちに昼近くなってしまった。

 マリアを待たせていた応接室に戻ると、そこは総務部の女子社員で溢れていた。

「ちょっ!? 皆さん何してるんですか!?」

「あら、佐藤君遅かったわね? 佐藤君が寿退するというのに、そのお相手を品定めしない訳にはいかないでしょう?」

 総務部の情報伝達力は凄かった。

 マリアを伴っての出社と、退職届の件は、既に秘書課長の沢田さんにまで届いていた様だ。

 この人は何かにつけ隆を女扱いしたがる上に、本気で秘書課に引き抜こうとしてくる困った方だったが、悪意が全く無い為か、隆も怒るに怒れないのだった。

「沢田さん、寿退社は無いでしょう? これでも男なんですよ?」

「でもマリアちゃんと結婚するのでしょう?」

「!! そ、それは……」

マリアの方を見ると女子社員達に次々と餌付けされていたが目はじっとこちらを見ていた。

「それは確かに、その通りですけど……」

「佐藤君、それじゃダメよ、もっとはっきり言い切りなさい、じゃないと女の子は不安になるのよ?」

「!! 申し訳ありません!! マリアもゴメン!! 自分はマリアと結婚します!!」

 周りの女子社員達は一斉に『キャー、キャー』と大騒ぎを始め、パーテーションで仕切られただけの、他の応接室を使っていた者も何事かと顔を覗かせていた。

「はいはい、皆さん、いくらもう昼休みだと言っても騒ぎ過ぎですよ」

『はーい』と軽く答えた女子社員達は口々に『おめでとう!』と言いながらマリアを抱きしめていた。

「……ん、……ありがとう」

 マリアは頬を染めてはにかみながらも皆にお礼を言っていた。

 中には隆に抱き着こうとする不埒者ふらちものも居たが、沢田さんに阻止されていた。




 大騒ぎに発展しそうだったみんなの祝福も、沢田さんの『お昼休みが無くなるわよ?』発言により速やかに終息し、隆とマリアも会社を後にする事にした。

 隆はエントランスホールまで見送りに来てくれた沢田さんと数人の顔見知り秘書に別れの挨拶を切り出した。

「それでは、これで、何かある時は電話は繋がりにくいのでSNSかメールで連絡ください」

「元気で頑張るのよ? それから、こっちに戻ったら必ず私に連絡を入れる事、忘れないでね?」

「了解しました、皆さんお元気で!」

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