第5話 世界経済の正常化、そして……

 その日。経済危機から険悪になった国家間の小競り合いが世界で同時に何個か勃発したとのことであった。

 といってもまだ本格的な紛争というわけでなく、国境間でのにらみ合いに少々の打ち合いが起きた程度であったが、その背景の世界経済が抱える矛盾の噴出ともいえるその緊張が限界を超えた時にはそのあとに、


『第三次世界大戦だ……』


 キョウコさんからのSMSにはそんな言葉が書かれていた。

 僕は——確かに、と思いながら目の前のにらみ合いを見ながらただオロオロとすることしかできないでいる。

 この均衡が壊れたならば、それが世界大戦の引き金になるといわれて信じられるくらい目の前の様子はギスギスとしていた。


「あなたが、この頃ケイにつきまとっているという女ね」

「はい。仲良くしていただいてます」

「仲良く……どんな関係なのよ」

「どんな? ……みたままですが」

「これってデート? 彼女? 彼女なの?」

 幼馴染——マルコがギョロリと見るから、さっと目をそらす僕。

「なんだか怖い人ですね。何者ですか?」

 今度はエコが僕を見る。

「ああ。家が近くの……」

 と、僕はこたえる。

「ご近所さんですか? ケイさんの家は埼玉県のはずなのに、なんでそのご近所さんが東京のど真ん中までいらっしゃってるのでしょうか? 偶然にしては……」

「偶然よ! 絶対、偶然よ! なんで私が、こんな平々凡々野郎の後を追いかけてずっとつけてなければいけないのよ! 電車で一つ後ろの車両で居眠りしてたら、原宿駅で見失いかけてあせっちゃった……じゃなくて今日はなんとなく原宿に来て見たかったのよ」

「そして、公園にも偶然やってきたのですか?」

「そうよ! そうに決まってるわよ!」

「——そうですか?」

「そうよ!」

 なんか、どう見でもそうじゃないが勢いで乗り切るつもりっぽいマルコのようだ。

「まあ、いいです。でも偶然なら——ケイさんを追いかけて来たのじゃないのなら……もうご用はお済みですよね」

「え……」

「遠出して偶然ご近所さんに会って、ご挨拶終わったのならそのあとはもうお引き留めするのはお悪いですから……」

「ぐっ……」

「どうぞ……これ以上お引き留めするのも悪いですから、原宿までやって来た目的の方にお戻りください」

 あるならばね——と言いたげなエコの顔。

 おいおいあんまり挑発しないでくれ。この幼馴染は煽り耐性が低いんだよ。

「終わったのよ!」

「はい? 何がですか?」

「目的よ。原宿に来た目的よ。ああ。楽しい買い物だった……」

「それにしては何もお持ちでないようですが?」

「それは……送った……そうよ送ったのよ。荷物になるの嫌だから宅急便で送ってもらったのよ」

「服をですか? そんな重くなるほど買ったのなら相当やけ買いですね。何か嫌なことでもありましたか」

 明らかにあてこすりのエコの発言に、——お前がな、とでも言いたそうなマルコの顔。

 だめだこれ爆発寸前だ。

「——うるさいわね。ともかく、偶然にあったのなら偶然なのよ。しょうがないでしょ、ご近所さんと会ったんだから……」

「会ったらどうするんですか?」

「そりゃ……せっかく会ったんだし、近所なんだし……一緒に帰るとか……」

 少し頬を赤くするマルコ。

 しかし、

「ケイさんとデートしている彼女を差し置いてですか?」

「なんだと! この泥棒猫!」


 警報! 警報!

 どこからかサイレンが鳴り響く。

 なんか、空からヘリコプターの音がする。

 よく見ると、公園に機動隊が乗り込んで来ているような。

『ケイ。そのバカ幼馴染を早く黙らせろ。できないならこちらで狙撃する。その場合生死の保証はできない』

 キョウコさんからのSMSの内容はもう一刻の猶予もできないといった様子だ。

 世界的な経済の急落から——本気で世界戦争の危機。

 それを阻止するためならば、高校生の一人や二人などどうでもよく、

『悪いが、緊急事態だ。こうなってしまっては事態を少なくともこれ以上悪くならないようにする。もちろん世界中が深刻な経済停滞となるが、崩壊よりましだ。エコ——世界経済を一旦睡眠ガスで眠らせる。ああ、その時、君も巻き添えになるかもしれないが我慢してくれ。これも世界を守るためだ』

 なんだか、せっかくのデートがぶち壊しで、良い感じで持ち直していた世界経済も恐慌寸前までに落ち込んでしまい——こんなのおかしいよ!

 僕は、心の中で叫んだ。

 こんなことになったのは、マルコが僕らをストーカーしてたのも原因の一つではあるが、エコ——世界経済そのものであって——無垢な少女タブラ・ラサに僕が書き込もうとしていた——嘘?


「ああ、わかった。僕は……」


 今更ながらに自分の今までの間違いに気づいた僕は、目の前で睨み合う少女二人に向かってこう告げる。


「僕でなければならなかった」


   *


 後に「悪夢の五月」とか呼ばれたという経済危機を評して専門家はこう語ったそうだ。


——当時世界経済は疲弊し、壊れかけていた。

——各国の派手な金融政策や産業界のデジタル革命などがそれなりの成果をあげて、大企業や新興のベンチャー企業などを中心に経済を押し上げてはいたがそれは砂上の楼閣とでもいえるようなものであった。

——なぜなら、それら経済の基礎となる、そんな企業たちが商品を売り買う、普通の人々が疲弊していたからだ。

——好況でも、各国の給与の値上がりも鈍く、需要も回復しない。ならば経済も回復しない。

——そう、世界経済はその時「普通の人々」を切に求めていたのだった。


   *


「まったく、あの子はなんだったのかしら」


 ゴルーデンウィークが終わって始まった学校。少し早めに出校してきた僕の机の横には、すでにマルコがまち構えていて、ドタバタの連休のことを語り出す。その連休に僕の前に現れ、消えたエコ——世界経済の現し身のことを。


「それは……」


 でも、僕は、話そうとしていいよどむ。

 全てが終わってから、キョウコさんに霞ヶ関に呼ばれて、この件は他言無用と厳重に言い含められていたのもあるし——そもそも話して信じてもらえそうもない。


「まあ、いいわ。あの子、もう、いなくなったんでしょ」

 首肯する僕。

「まあ、そうよね……あんな美人が、あんたみたいな平凡野郎と本気で付き合うわけないもんね。ゴールデンウィークにたまたま暇であんたをからかったに違いないわ……」

「そうかもね」

「うん、そうよ。もうこれに懲りて、ああいうのとは金輪際近づかないことよ……ケイはもっと普通で……その普通の中で頑張っているのが素敵……」

 最後の言葉を、なんか何言ってるのかわからないくらい小声になりながら、マルコは顔を赤くする。


 ——普通で頑張るか……


 そう。それは、その通りだ。

 いや、僕が本当に頑張れているかは置いといて、僕はそうありたいし。

 エコも、そうなることを望み——見届けると僕の前から消えた。


 あの日、機動隊どころか自衛隊も出動する騒ぎになっていた代々木公園から、僕とエコと、なんだか理屈つけてそのまま付いて来たマルコは、キョウコさんに事情を説明して早々に退散すると、そのまま僕の地元まで戻るのだった。

 そしてたどり着いた駅前。そこは、どこにでもあるような郊外の風景。

 夕暮れ時、帰宅する人々や、地元で宴会でも行うのか陽気な集団が集い、歩く。

 なんてことない、休日のよい時の街角。

 暖かい灯に照らされた、平凡だが、なんか落ち着き、ほんわかとした風景。

 普通の、普通だが、普通ゆえに素晴らしい光景。

 僕は、そんな様子を眺めながらエコ——世界経済にこんな風にいうのだった。


「僕は、ここから、僕なりに頑張って行こうって思うんだ。自分は、とても歴史に名を残すような、世界経済に影響するような偉人になんてなれないって思うけど、——僕みたいな平凡な奴が、平凡なりに頑張っていくことでよくなる世の中である信じて、この後生きていきたいって思うんだ」


 僕の言葉を聞いて、エコは無言で嬉しそうに頷いた。

 その体は、いつの間にか半ば消えかかる、まるで世界に溶け込むかのように薄く薄くなって言っていたのだった。


「だから、エコ——君も、そんな僕らが頑張れるような経済きみとして、僕らと共にあってほしい」


 気づけばエコは消えていた。宵闇の中に、溶け込んだ。

 多分僕の願いを聞きとげて、その思いを抱いて。

 経済そのものとして世界に溶け込んだ。


 そして、その夜、経済は急激に回復して、深刻な紛争の危機にあった国々も緊張が緩和され、世界は破滅を免れた。

 それは、まるで夢を見ていたかのような——僕の秘密。

 可愛い彼女とのしばしの冒険アバンチュール

 その時は無我夢中で、焦るばかりであったのだが、こうやって思い出してみると……


「はい、みなさん静粛に!」


 僕が、もの思いにふけていたら、いつのまにかもう朝のホームルームの時間となっていたらしい。担任の先生が教室に入って来て、クラスのみんなに席に着くように言う。

 それを聞いて、——ああ、そうだ。夢のような連休が終わり、現実が始まる。

 僕は、エコとの約束。普通なりに僕がどれだけできるかの約束は、今日からの頑張りによるのだと思い、キッと心をピンとさせながら教壇の方を注視するのが……


「「え……」」


 教室には、僕とマルコが出した間抜けな声が響く。


 担任の横に立っている可愛い女の子。


「今日から、この学校に転校して来たエコといいます。みなさんよろしくお願いします」


 その姿を見て、平々凡々なりの僕の世界経済との付き合いはまだまだ終わらないことを知るのだった。

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彼女は、世界経済 時野マモ @plus8

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