第3話 世界経済の観察

 ——とても信じられないかもしれないけど。


 若きキャリア公務員。経済産業省の秘密プロジェクトの現場責任者だといういかにもエリートといった感じのメガネインテリ風女性——キョウコさんは僕にそんな前置きをしてから、本当に信じられないような話をするのだった。

 教室から出たところに待ち構えていたその人は、問答無用。ほとんど拉致同然に僕を校門近くの来客者用駐車場に止めてあったバンに放り込んで、教師の許可はとってるとか言いながら、僕の意見は全く聞かないまま、隣街にある政府の外郭団体のあるらしきビルの中に連れ込まれ、僕はキョウコさんから事態の説明をされるのだった。


「あの子は世界経済グローバル・エコノミーなんだ」

「はあ?」

「それは例えや比喩じゃない——そのものなんだ」

「……?」


 僕が壁にはめ込まれたマジックミラー越しに見ているのは、自分と同じくらいの年頃の女の子。それも、滅多にいないような可愛い女の子であった。

 で、キョウコさんはその子を世界経済グローバル・エコノミーだなんて、意味不明の説明をする。

「ああ、なんといったらわかってくれるかな」

 僕が明らかに不審そうな顔をしているのを見て、メガネの奥の瞳を少しイラっとさせながらキョウコさんは言う。

「彼女は世界経済そのもの——その化身というか……擬人化されたものだと思ってもらってよい」

「……?」

 思ってもらってよいと言われても……

「ああ、それじゃ論より証拠。実際に見てもらった方がよいかもしれないな」

 キョウコさんが横に立っていた黒眼鏡のダークスーツの男に目配せをしながら言う。

「あれを……」

 男は、「はっ」と、敬礼しながら言うと、すぐにスマホで誰かに電話をする。

 すると、その後すぐに、ミラーの向こう側の部屋にメイド姿の女性が二人、ワゴンを押しながら入ってくる。

 ぱっと明るくなる世界経済と呼ばれた女の子……ええと……

「エコと呼んでくれ」

 僕の疑問にこたえるキョウコさん。確かになんという名前なのか気になっていたんだ。

 隣の部屋にいる女の子。まれにしか見ないような美少女であり、部屋に置かれたテレビを見ながら楽しそうにニコニコと笑ってはいるが、どことなく寂しげな雰囲気のする子。

 僕は、見た瞬間に、彼女のことがとても気になってしまっていたのだった。

「エコ……」

「大丈夫だ、彼氏はいないぞ」

「はあ——!」

 まったく心の中を呼んでいるのかというキョウコさんのつっこみであった。

 確かに、僕は彼女——エコを見た瞬間ちょっといいなって思ってしまったのだった。

 もちろん、こんな可愛い子なんて、容姿も勉強もスポーツも、何事も平々凡々な僕からしたら高嶺の花。見向きもしてくれないと思うけど。

「いやいや、そんなすぐ諦めるものでもないぞ」

「——!」

 なんだろうこの人。テレパシーかなんかつかえるのだろうか? それとも日本のトップエリート、キャリア公務員とはこれくらいの洞察力がないとやっていけないような世界なのだろうか。

「まあ、その話はあとで……注目してくれ」

「……」

 僕が、余計なことに気を取られているうちに、ミラーの向こう側の部屋ではワゴンに乗せられたケーキやポットなどが女の子——エコの目の前に並べられているところだった。

「見たまえ」

 でもキョウコさんが指し示すのは嬉しそうに段になったトレイからケーキを取る、アフタヌーンティー中の少女ろ姿ではなくて、

「株価……?」

 横の壁にかけられたスクリーンに映る株価情報の画面。どこかのネットのサイトのものらしい。

 下の方にいろんな会社の株価の情報がひっきりなしに現れては消えるが、一番上にあるのが日本やアメリカなどの……平均とか書いてあるな。全体の株価の傾向らしいグラフが描かれている。

 これ、なんか、あんまりよく無い状態なのかな? グラフは、この一週間、多少の上下はあるものの、傾向としてはずっと下がりっぱなしのようだ。

 そういえばニュースで景気がぱっとしないような話をしているのを聞いたような気がする。そんなの興味ないから、あんまり良く覚えていないけど。

「あれ……?」

 ところが、そのグラフが少し上を向いた。つまりから株価が上がっているってこと?

 ——え?

 俺が株価の上昇に気づいた途端、キョウコさんがミラーの向こうの少女のことを指差す。

 どういう意味?

 彼女——エコ——はケーキをほうばって、嬉しそうに笑っている。ああ、美味しいんだな。それを見るとこっちまで幸せな気分……

「こっちをもう一度見ろ」

 キョウコさんは、少しニタニタとした顔になっていただろう僕に、もう一度株価のグラフを見るように言う。

 ……?

 ああ、さっきより株価は上がってるな。

「もう一度エコの方を見て」

 ……?

 ミラーの向こうの美少女は、ケーキを食べ終えると満足そうな顔で、メイドさんがポットからお茶を注ぐのをワクワクした顔で眺めている。

 ん、でまたキョウコさんが指差すスクリーンに映る株価のグラフは、さらに上昇している模様。

 ——で?

 なにこれ?

 なんで株価と少女を交互に僕は見なきゃいけないの?

「察しの悪い奴だな。まだ気づかないのか……というか、もう言ってあるだろ。彼女は世界経済そのものだって」

 キョウコさんは呆れたような表情で僕に言う。

 といわれても……少女に向かって世界経済そのものって、いったいどう言う意味なのか? どんな例えや比喩なのか……

「言ったはずだぞ。彼女が世界経済だというのは例えや比喩じゃないって……」

 また、僕の心を読んだかのようなキョウコさんの発言だが——まってってまさか!


 ミラーの向こうの部屋では、ケーキとお茶を終えて、満足そうであるが、少し物憂げな感じに変わった少女。

 すると、株価のグラフの上昇は止まり、横軸と平行に横に伸び始める。


「甘いものでも食べると、一瞬心がぱっとなるけどね。それは一過性のものだ。フラッシュのような輝きが終われば、後には反動でむしろ前より心理状態が落ち込んでしまうこともある」


 ……!

 キョウコさんの説明の通り、少女——エコの甘いもので上向いた心も、その一瞬の享楽が過ぎればむしろ、やってくる反動の、後悔のようなダウナーな気持ちに飲み込まれ……


「うわ! 激下り!」


 僕は、エコが落ち込むのと合わせるかのような株価の落ち込みにびっくりして叫ぶ。

 そんな僕を見て、キョウコさんは、やっとわかったのかといったようすの呆れ顔で僕を見ながら言う。

「だから言っただろ。彼女はなんだって」

 僕は、彼女が世界経済、その言葉が、何かのたとえ話でも比喩でもないということの意味を理解した。

「……でも」

「信じられなくても、これは事実だ。彼女は世界経済そのもの」

 ならば、

「彼女——エコの気分に合わせて世界経済は同じように上下する。つまり彼女の気持ちを落とさないことそれがこの世界の経済が破綻しないための唯一の方法なのだ。そして、そんな国家機密である彼女の正体をなぜ、君、ケイくんに見せたかと言えば……」

 キョウコさんは僕を指差しながら言った。

「エコの気分を上向かせるため、君に彼氏に——世界経済グローバル・エコノミーの彼氏になってもらいたいからだよ!」


 ——はい?


 キメ顔で何言ってんのこの人。

 と、僕は、この時は、これは手の込んだ冗談かなんかだとまだ思っていたのだったが……



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