俺の頭には今、サボテンが突き刺さっている。
俺は、この現状をどう表現したらいいのかわからない。
結論から言う。
俺の頭には今、サボテンが突き刺さっている。
寝ざめに一発何か強烈なものを頬に食らわされたような衝撃だ。洗面所の鏡を前に、果たしてこれはどうしたものか。
俺の頭部の右斜め上から、漫画や何かでよく見るタンコブのように、丸々としたサボテンが頭に突き刺さっている。なんだ、これ。
恐る恐る右手を伸ばしてみる。指の腹にチクリとしたものが触れた。間違いない、サボテンの針だ。
刺さっている頭部そのものに痛みはない。抜いてみようとも考えた。身体が二つにつながってしまっている双子の話を聞いたことがある。片一方には豊富に栄養が行きわたるために誰もが可愛がりたくなるような綺麗な容姿をしているが、もう片一方には最低限の栄養しか送られないためにたいそう醜く成長してしまった、という話だ。俺はこんなサボテンに栄養をすべて吸われてしまうのだろうか? 心臓とかその他もろもろの臓器の機能をこいつのためだけに動かし続ける肉塊となってしまうのか。そしてしまいにはガビガビに干からびながら生き続けることになってしまうのだろうか。……そんなの嫌だ! 彼女に振られてしまうのだって目に見えている。くそ、こんなサボテン一本ごときに!
俺はサボテンに再び手を伸ばしかけた。が、肘を九十度に曲げ、肩をちょうど真横に開いたような形で静止した。
いやまて、これを抜いてしまうのはどうだろう。刃物で刺された場合、安易に抜こうとしない方が出血が少なく済むために天に召される可能性は下がるのだと聞いたことがある。素人判断でこれを抜いてしまうのはいかがなものだろう。まだ成人すらしていないのだ。こんなところで死んでたまるか。壁を一枚隔てた先には愛しの彼女がいるのだ。
……なんだこれ、俺がサボテンみたいなポージングしてやがる。ゆっくり腕を下した。いけない、いけない。つい不穏なことを考えてしまった。是が非でもサボテンよりも図太く生きることを考えるべきではないか。
しかし、これはいったいどういったわけだろう。
昨日の時点ではこれといった不穏なことはなかったはずだ。彼女と五度目のデートをし、俺の家に彼女を泊め、それ相応の一夜を明かした。ただそれだけだ。俺はサボテンの神にでも呪われたのか? 憧れの都会での一人暮らしに浮かれて大学デビューしてついでにいっちょ前に彼女つくって昔ながらの男女のテンプレよろしく二度目のデートで初めてのキスをして、五度目のデートで初めての夜を共にした。それの何がいけない! ただの普通の大学生の男女交際じゃないか!
少し寝不足気味の顔がずっと引きつりっぱなしだ。いやしかし、一人で考え続けていてもどうしようもない。リビングへ移動した。
ふう、とため息をつき、ベッドに腰を下ろした。すると、ベッドのきしみを感じてか、やがて愛する彼女が目を覚ました。
「んん……、おはよう」
「……ああ、おはよう」
「やだ! ちょっと隆一くん、これ、どうしたの!?」
そして、叫んだ。
「わからない。ただ、今さっき目が覚めて、洗面所で鏡を見たら、こんなことになっていたんだ」
彼女は顔いっぱいに不安げな表情を浮かべて黙りこくった。
「どうしよう……あたし、何か変なことしちゃったのかな?」
そしておもむろに顔を真っ赤にしながらもごもごとつぶやいた。なんだこいつ、かわいすぎる。俺は懸命に平静を装って、
「別に、何も変わったことしてないような……」
「……ちょっと手順間違えちゃった、とか?」
「わからない。DVDで見たのとおなじ――あぶべっ」
「最っ低! デリカシーなさすぎ!」
ペチリ、と空っぽの頭蓋が音を立てた。
サボテンが生えていない左側をひっぱたいてくれたのはせめてもの救いだった。しかし、体感としては叩かれた衝撃でサボテンに何かが起こったような感じはない。
「……ごめん」
とりあえず謝る。これは俺が悪かった。
本当だったらもっと爽やかで甘酸っぱくて、顔を見ただけで互いにぽっと赤くなってしまうような、そんな朝を迎えるはずだったのに、どうしてこうなった!
ぽん、と彼女は拳で開いた手のひらをたたいた。
「ねえ、そのサボテン。取ってみない?」
「……うん、やっぱりそうくると思ったよ」
数分前の逡巡を彼女に伝えようとも思ったが、やめた。うっすら涙に潤んだ彼女の瞳を見てしまっては彼女の思いやりを無駄にはできない。彼女はこうと決めたらなかなか自分の意見を曲げない、やや頑固なところもある子だ。
「……やってみるか?」
「うん、やってみよう」
即答。
「ゴム手袋か何かあるかな?」
そしてやる気満々。
「ああ、洗面所の棚のところにあるな。取ってくる」
「ありがとう。このサボテン取れたら、一緒に育てようね。子供だと思って」
男の俺から子供ができるのか。ジェンダーフリーの極致だな。
取ってきたゴム手袋を彼女に渡した。椅子に腰かけ、彼女がその背後に立つ。互いに緊張している様子がありありと伝わりあう。こんな相思相愛の状況、嫌だ。施術開始。
ぐ、とサボテンが軽く頭皮に食い込む感覚。そして、
「痛ってえええええええええええええええええええええええええええええ」
「きゃあっ」
俺は飛び上がった。比喩でもなんでもなく、本当に。
ごめん、と彼女は言うとベッドに腰掛けた。俺はただその場に立ち尽くした。
「くぅ……。なあ、もし――」
「どうしたの? 変なこと言い出さないでよ……?」
「いや、変なことかも。ごめん」
「ちょっと……」
「もし俺が、このサボテンのせいで死んだら、どうする?」
少しの沈黙。
「……そんなの、泣いちゃうよ」
「くっ……」
少し涙のにじんだ声。くそっ、こんな時にでも、彼女はかわいい。俺はこいつを守っていきたい、他の誰にも渡したくない。あああ大好きだよちくしょう!
そっと彼女の隣に座って、そして、抱きしめた。そうしたかったから。
「……ごめん。俺が悪かった。俺は、死なない。少なくとも、このサボテンが原因では。一緒にこいつを育てていこう。な、大事にしよう。そうすりゃたぶん、俺も長生きできるよ。理屈はわかんないけどさ……」
「愛の結晶だね……」
「ああ、そうだな」
彼女からはとてもいい香りがした。柔らかくて、甘くて、幸せにあふれた香り。
「……名前は、何にしよっか」
「え?」
腕の中で幸せそうな彼女の声。
「そのサボテンの名前。名前、つけてあげなきゃかわいそうだよ。あたしはね、二人の名前から取って、一美(かずみ)、っていう名前がいいな!」
……はっと、我に返った。
「ごめん。前言撤回。いやいやいや、さすがに、おかしい!」
「え? 何が?」
駄目だ。このムードに流されて俺は世にも珍しいサボテン人間として生活することを選びかけたが、そんなことできるはずがない。両親に何と説明すればいい? 大学で彼女を創ったら子供ができました、学生結婚ですできちゃった結婚です、しかもその子供は俺の頭の上にいます、名前は一美です! ……なんて、言えるわけがない!
「やっぱりおかしい! 取ろう! 今すぐ、このサボテンを、取ろう!」
「えええ? あたしたちの愛の結晶じゃないの!?」
「取ってから鉢植えにでもして育てればいい! ていうか、俺、これで学校行かなきゃいけなくなる! むりムリ無理!」
「ひっどい! もう、そんなにサボテンがいやなら、いくらでも取ってあげるわよ!!」
彼女の腕が、俺の頭に伸びた。
そして、ブチブチブチッ、と、すさまじい音が鳴った。
「あががががががががががが」
声にもならない苦悶。全身を稲妻が貫いた。目の前が真っ白になる。きっと今、目から火花が飛び散っているのではないだろうか。あああ、俺、死ぬかもしれない。いや、これは死ぬな。父さん、母さん、東京はやっぱり恐ろしいところでした。先立つ不孝をお許しくだ――
「隆一くんんんんん!!」
小石の積まれた河原へと旅立ちかけていた俺は、彼女の絶叫で現世へと連れ戻された。まったく、感謝してもしきれない。
「はっ! 俺、生きてる!!」
指に刺さった小さいとげが抜けたときとは比べ物にならないくらいの爽快感……を、通り越して、欠落感のようなものを右頭部に感じる。
「サボテン、取れたね……」
「……取れたな」
「……血、出てないね」
彼女の手が、さきほどまでサボテンがあったであろう場所をまさぐる。なんて温かい手なんだろう。
「……本当に?」
「うん、ほら」
そうして傷口と思わしきあたりをさすった手をこちらに向けた。たしかに血はついていないようだ。
「痛かったよね……」
「ああ、三途の川を渡るところだった」
「どうしてこんなことになっちゃったんだろうね。……あ」
彼女の手に触れられるだけでこの欠落感は充足感で満たされていく。不思議なことだ。再び俺の頭をやさしくさすっていた彼女の手が何かに気づいたらしく、動きを止めた。
「これ……」
「ど、どうした? やっぱり、何か異変が?」
「う、うん……。確かに異変、だねぇ……」
「ええっ! な、何があった!?」
「……洗面所に行けばわかる、かな」
そして、俺は言われるがままに洗面所の鏡を覗きこんだ。
「……おい、これ……?」
「ね? ……これ、サボテンの花なのかな?」
「……だろうな」
サボテンがもとあったであろう場所には、小さな黄色い花が咲いていた。俺たち二人は力なく笑い、抜け落ちたサボテンをとりあえず適当なペットボトルを切った器に移した。土はアパート脇の植え込みの土を少し拝借させてもらった。
「この花、どうしよう」
「……あたしは、隆一くんが生きてるだけで、それでいい」
「まったく、めでたい限りだな」
その後、頭のサボテンの花は習性通り(あとでインターネットで調べた)に一日で枯れ落ちた。どうやら俺はこれからも無事に大学へも通い続けることができるようだし、一児の父となることもなかった。
その日の夕方、授業が終わってから、二人で植木鉢を買いに行った。
二人でホームセンターの紙袋の取っ手を片方ずつ持ち、アパートまでゆっくり、ゆっくり歩いた。
partA///short stories ヒロセアリサ @xd2xxx
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