花とドレス

 その夜、実にいろいろなものが砕け散って、破片の照り返しがとても美しかった。その光景だけが、今の私を支える全てなのです。


 妹は、私より二〇分遅れで産まれてきました。だのに私なんかよりずっと美しくて、とにかく頭のいい子でした。そういうところが許せなかったのでしょう。母は妹に難題を押し付け、自分はその様を遠くから眺める。それを生きがいとして生きていました。しかし、妹はどのような仕事でも実にそれをよくこなしてしまう。母は一体どのような気持で眺めていたのか……今の私には想像しかできませんが、本当に、面白くないことだったのでしょうね。

 大学生のころ、私は夜な夜な花を売る少女でした。一方で、妹は健気に朝から夕方まで、近所の花屋でアルバイトをしていました。上の学校へは進めなかったんです。或いは、進ませてもらえなかった、というべきか。それでも妹は、笑顔で、弱音一つ吐くことなく、本当によく働いていました。彼女があまりに輝きを放つものだから、私も母と一緒に辛く当たった時期もありました。ええ、後悔しています。

 私に、父の記憶はありません。物ごころついたときから母、或いは母と妹、家族といえば、女しかいない。そのような環境におりました。その影響でしょうか、正直申し上げて、男性が苦手なんです。正確には、男性と人間同士の交流をはかる、というのがね。一五になった春からでしょうか。彼らを前にすると、私は言葉をまったく上手に使えなくなってしてしまうんです。代わりに、私は肉体を言語として、数々の男性と知り合い、そしてすれ違ってゆきました。だから不思議です。こうして、あなたに対して私の気持ちを言葉にしてぶつけているのが。――話が反れましたね。

 そんな日々を過ごしていた二十の夏でした。妹は出会ったんです。運命とも必然ともいうべき、その男に。彼は時折花屋に花を買いに来る、妹より五つ年上の社会人でした。話を聞いてみれば家柄もよく決断力があって、優しくて包容力のある男性とのことでした。私はその話を聞いて本当に嬉しかった。結婚によって、彼女をようやくこの家の呪縛から解放する時が来たのだ、と。

 その雰囲気をかぎつけ、快くないと思ったのは母です。本当に……私も止めさせるべきであった。そう思っています。後悔しています。もう、取り返しはつかないのですけれど。

 あの夜、忘れもしない、私たちの二十一の誕生日の前日の晩です。自室で眠れずになんとなく本を読んでいた、あの時でした。その時読んでいた本、ですか? 『完全自殺マニュアル』です。言わせないでくださいな、恥ずかしい。

 部屋のドアがゆっくり開いたんです。母も妹も、私の部屋に入る時は必ずノックをするのでおかしいな、と思ったんです。思ったのですが、そこから私は何をする間もなく押さえつけられました。――そこから先は思い出したくもない。けれど、語らなくてはなりませんね。妹のために。

 あの男は、私を押さえつけると慣れた手つきで猿轡のような何かで口許を塞ぎました。そして、私を侮辱したのです! 誰だってよかったわけじゃない。誰に何を吹き込まれたのかはわかりませんが、私はいつだって、自暴自棄のような気持ちで自らの身体を売ったことはない。それだけは、名誉にかけて言わせてほしいのです。だのにその男は、私の癖の表層だけを自分の都合のいいように読み解き、侮辱していったのです。身体も、精神も、散々にいたぶられ、なぶられ、私はもう、どうしたらいいのかわからなくなりました。いえ、私を貶めるだけならまだよかった。妹を、裏切ったのです!

 あの手つきを感じればわかる。妹をどのように弄んだのかが! 私はそれが許せなかった。裏切られたんです。私でさえその高貴さに近づくことさえ憚られた、私の自慢のシンデレラは。可哀想に、彼女は婚約者に裏切られた。

 彼の手が私の胸に滑り落ちた瞬間、私は少しだけ正気を取り戻したのか、それとも狂気に身を任せたのか。いずれかは判別がつきませんが、男に手に噛みついてやりました。この手が妹に少しでも触れたのだと思うと、今でもはらわたが煮えくりかえる想いです。死者に怒りを感じても仕方がないのですけれどね。――あの時歯に触れた肉感、ぶちり、と皮膚が切れる音。いくら口をゆすいでも忘れられるものではありません。そして男がひるんだすきに、私はベッドサイドのペン立てにさしてあったデザインナイフを、男の胸に突きたてました。

 ああ、今日でさよならね、血染めのプリンス。そんな言葉がつつ、と私の口からこぼれました。生まれたままの姿で胸にナイフを突きたてて死んでいった、情けない王子様。私は男が息絶えるまで、ずっと部屋に立ち尽くしていました。

 翌朝のことです。そこはさすが私の母といいますか――いえ、決して認めてはいけないことなのですが――母は実に巧妙な手口で私の罪を妹にかぶせました。警察も母のその言葉を信じてしまったようで、妹は冷たい牢獄の向こう側。私はもう、一生妹に会うことなどかなわないでしょう。だけど、一言だけ、彼女に伝えたいのです。

愛している、と。

ほんの一言だけで構わない。私は、彼女を愛していた、いいえ、いまでも深く、深く愛しているのです。

ああ、失礼。つい長くなってしまいましたね。こんな暗い思い出話聞いたって、仕方ないですね。正直、四年も前のことだなんて、信じられないわ。

――明日ね、妹が、牢獄から出てくるの。ほんの気休めでしかないけれど、明日はこのドレスを眺めて一日を過ごすつもりよ。それじゃあこのドレス、いただくわね。

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