第50話 蒸しパン小説
私の書くものの特徴として「スカスカ」感があると思う。改行が多いとか余白が多いとか見た目もそうだけど、文章があっさりしていて内容的にもスカスカしています。蒸しパンみたいに。
読みごたえないですよね。
蒸しパンの中の空洞に、もっと心理や人物など描写を詰め込むのが普通なんだと思う。
だけど、なんか違和感があるのだなー。
空洞には読者の感じたことや考えや妄想を詰め込んで欲しい。その為に敢えての空洞。なんてカッコよく言えたらいいんだけど、半分言い訳である。
空洞多過ぎ。もう少し詰めて下さい。内容がぼやけすぎです。と、私が編集なら言うだろう。
ほんとにもう少し詰めたほうがいい。だけど、上手く詰めないと逆効果なんだ。最低限の表現で最大限の効果を生む言葉でないとスッキリ決まらない。
それが難しい。それが出来れば誰も苦労はない。
密度ではなく、濃度を上げたい。
それでも余白は置いておく。そのバランスが難しい。その余白に読者がそれぞれの思いを詰め込み、作品が完成する。
どれだけインスパイア出来るか。読者の感受性にもよるし、読む人により全然違うんだと思う。
なるべく読者の感性を優先したいから、余計な描写は入れたくないし、あまり名前を付けないのもその一つだと思う。なるべく想像を膨らませやすくしたい。
自分に嘘はついていないつもりではいる。
書いている時は自分の感情が揺さぶられていて、泣きながら書いていたりする。それを何とか文章にしようとするが、なかなか上手くいかない。考え得る中で、この文章が一番しっくりくると書いてみても、なんか違う。
でも他に言葉が見当たらない。だからと言って一から十まで全部書いてしまうと、それはただの状況説明であって、物語ではない。物語には読者の感情や考えを挟み込む余白がないと面白くない。と私は思っている。
あと、見た目のバランスとか読むリズムとかも考えて余白を作る。気持ちの移り変わり、場面の切り替え、その時の状況で余白の量も変わってくる。
もう一つ最近気になるのは作品の「鮮度」
以前は書いたら少し置いて何度も読み返してみて、良ければ出すという方法がいいと思っていたけど、最近はなるべく早く出したほうがいいような気がしている。ほんとに何となくで、何の確証もないのだけれど、書いたものに自分の気持ち?魂?が乗ってる時間には限りがあるような気がする。とくに短編。時間が経っても変わらないのが良いものだとは思うけれど。書いてすぐの、自分の気持ちが乗っている作品には、読者の気持ちのベクトルを自分の気持ちのベクトルと同じ方向へ向ける力があるような気がする。読者の感性のスイッチを弾いて、ベクトルを方向づける?見せる?パラダイムシフト?時間が経つとその力が弱まって、届かなくなる。読み手が敏感な人ならば拾ってくれる感じかな。
結果、どうなのかは読者に委ねたい。正解なんてあるほうが珍しいと思うし、私にも正解は分からない。それぞれでいいと思っている。
そうするとまたフワッとした感じになるんだけど、作者の考えをある程度滲ませつつ、読者の思いを挟みこめる余地を与えるのがいいんだろうな。なるほど書けん。
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