第9話  ゾンビのお勉強会

「死んじゃダメだぁーーっ!」



僕は足をもつれさせながらも必死に走った。

男の人まで10メートルくらい。

すぐにたどり着ける距離ではあるけど、それは場面によると思う。

自分と彼の関係性のせいで、難易度が極端に高くなってしまうのだ。


僕は外敵であって、善意の第三者には成り得ない。

相手は目を見開いて驚く。

そして当然の事ながら迎撃をされてしまう。



『クソッ。こんなところにまで来やがったか、死にやがれ!』


「ヒェッ!」



向けられた銃口から射撃されたけど、運良く外れてくれた。

耳元を甲高い音が掠めて行っただけ。

でも、全てが上手く運んだ訳じゃない。


僕は弾みでバランスを崩してしまい、転びそうになる。

慌てて周りに手を伸ばすけど、掴めるものは何もない。

あとは無様に倒れるだけだ。



「うわぁぁ!」



ーーガン!

ーーカプリ。



口元に強い衝撃。

そして舌に伝わる鉄の味。

これはもしかして……。



『あっ』


「あっ」



僕らの声が重なる。

倒れた拍子に僕の顔が彼の腕に直撃。

そして感染に最も適した歯が、彼の二の腕に突き立てられてしまった。



『うわぁぁ! 噛まれたぁーー!』


「あわわわ、ごめんなさいごめんなさい!」


「カァァーー! キシャァァーー!」



男の人は銃を手放して卒倒し、床を転げ回った。

顔は苦悶の表情で、両手で喉をかきむしっている。

これは明らかに感染の気配だ。

日焼けの跡すらない白い肌が徐々に青く染まっていく。

血の気が凄まじい早さで失われていく。

これでもはや、ゾンビ化は揺るぎないものとなった。



「落ち着いて。深呼吸しよう。すぐに痛みは治まるから」


「アァァア! グァァアア!」


「僕の言葉わかるよね? ゾンビ語、通じてるよね?」


「アァ……あ?」



男の人の片目が僕の瞳を貫いた。

超常現象やら、幽霊やら絶滅種なんかを見てしまったかのような表情でだ。

それだけゾンビという存在は奇異なものなんだろう。

今さら驚かないけども。



「なんだ、声が……ええ?」


「通じてるね。僕はユウキ。見ての通り日本人のゾンビだよ」


「えっと? オレは……死んだのか?」


「うん。まぁ、そうなるかな。ごめんなさい」


「ゾンビになった……のか?」


「そう、だね。うん」


「……マジかよ、最悪だ」



床から半身起こした彼は、ふたたび寝転がってしまった。

片腕を顔で隠して。

まるで日差しを避けるような仕草だけど、ここに窓なんかない。


僕のせいだろう。

いや、本来の目的通りなんだから、謝る必要なんか無いんだけども。

何というか、意図してないタイミングで事に及んでしまったからかな。

だから彼の悲しみが刺さるのだ。



「ごめんなさい。自殺しようとしてたから、どうにかしてオジサンを止めようと……」


「マクスウェルだ。オレの名前」


「あぁ、マクスウェルさんが危なかったから」


「どうして止めようとした? お前はゾンビだろう、人間がどうなろうと関係ないだろ」


「うーん。下手な死に方すると、ゾンビになったときに大変だもん。一番良いのはさっきみたいな直接感染だけど、致命傷きっかけは辛いよ。ゾンビになっても中々治らないからね、だから止めたかったんだ」


「待てよ、感染前に死体になってもゾンビになるのか?」


「そうだね。うちの父さんがそうだし。一応、死後3日以上過ぎたら感染しないみたいだよ。と言っても、ネズミやハエからでも伝染しちゃうから……」


「そうなのか……まぁ、今となってはどうでも良いか」



マクスウェルさんはそれから体を起こして、胸ポケットから電子タバコを取り出した。

胡座(あぐら)をかいたまま蒸気を深く吸い、そして吐く。

白い煙と共に、辺りにバニラの強い臭いが漂った。


……気まずい。

僕はここに居ていいんだろうか。

それとも励ますべきなのか。

思い悩んでいると、床に落ちている写真が目についた。

強いシワの入ったクシャクシャのものだ。

写ってるのはマクスウェルさんと、奥さんに子供かな。



「これ、家族だよね。幸せそう」


「家族なら死んだよ。故郷の町で、ゾンビになってな」


「……そうなんだ。もう少し聞いていい?」


「人の不幸話をか? 見かけによらず嫌な性格してるんだな」


「そうじゃなくて、気になる事があってさ」


「……愉快な話じゃねぇってのによ」



マクスウェルさんの話はこうだ。

奇病が大流行し始めたころ、自宅に家族三人で立てこもっていた。

窓やドアを塞ぎ、勝手口だけ辛うじて出入り出来るようにした。

対策の甲斐あって、しばらくは生存に成功する。


ある日のこと。

食料を求めてマクスウェルさんは独りで探索に向かった。

ゾンビの目を掻い潜りつつ、食料と薬を調達。

それから家に戻ったけど、そこには変わり果てた家族の姿があった。

荒らされた形跡はないのに、奥さんと子供が感染していて、既にゾンビ化していたのだ。


それを聞いて僕は、ネズミの仕業だと感じた。

うちも同じ手口で、父さんが最初にかかったんだよね。



「なるほどねぇ。そんな事があったんだ」


「オレは諦めなかった。これは何かの間違いだって。ゾンビに襲われた訳じゃないんだから、そう思うのも当然だろう?」


「まぁ、気持ちは分かるよ」


「どうにかして治せないか、薬を漁ったさ。でもその時だ。オレたちが居た部屋に暴走した大型トラックが突っ込んで来やがった。オレだけは難を逃れたが、リンダとジョージは……」



そこでマクスウェルさんは震える手で目元を拭い、深く息を吸って、静かに吐いた。



「バラバラだ。ちょっと見ただけじゃ判別も出来ないくらい、2人はバラバラになっちまった。だからオレは、独りで、故郷から……」


「そう、辛かったね。でも平気だと思うよ?」


「……何がだ」


「いやいや、奥さんと子供さん。ゾンビになってたんでしょ? だったら、時間はかかるけど治るよ」


「おいちょっと待て! 二人は、リンダとジョージは生きてるってのか!?」


「いや、死んではいるよ? でも今ごろは元気になってると思う」


「な、何て事だ! 嘘じゃないよな! 冗談なんて言わないよな?!」


「もちろん。ゾンビってのは外傷なんか平気……」


「あぁ! 神様、感謝します! 心から感謝します!」


「痛い痛い、離してよ。ひげが刺さるから」



それから、興奮冷めやらぬ彼をどうにか落ち着かせた。

跳び跳ねる事は止めてくれたけど、目が爛々と輝いている。

生存者の時よりもずっと生き生きした目だと思った。



「家族に会いたい、故郷に帰りたい。どうしたら良いか教えてくれないか?」


「そうだね。大使館に行くと良いよ。そこで色々手続きしてくれるって聞いた事がある」


「わかった。大使館だな。早速向かうことにするよ。ええと、君の名前はたしか……」


「ユウキだよ。マクスウェルさん」


「そうか、ユウキ! ありがとう、君は恩人だよ!」


「う、うん。喜んでくれたなら嬉しいよ」


「今日の事は一生忘れない、じゃあな!」


「気を付けてねぇ」



勢いよく立ち上がって、ドアを開けようとした。

けども、彼は出ていかなかった。

少し神妙な顔で僕を見る。



「お礼代わりにもならねぇが、ひとつ忠告させてくれ」


「うん、教えて。なんの話?」


「3階の連中には気を付けろ。何人か頭のイカれたヤツが居る。話なんか通じねぇクレイジーなのがな。そいつらの事が嫌で、オレは2階に居たんだ」


「上のフロアの人だね。わかった、気を付けるね」


「本当にありがとう、オレはもう行くよ」


「うん。ご家族によろしくね」



ーーバタン。


ドアが遠慮気に閉められた。

それから僕は少しだけ混乱しながら、部屋の中にただずんだ。



「君は恩人……かぁ」



本来なら僕は生存者の天敵のはずなのに、凄く感謝されてしまった。

それが嬉しくて、むず痒くて。

初めて味わった不思議な感情の処理に、少しだけ時間を食ってしまうのだった。 


マクスウェルさんの通ったドアをじっと見てみる。

そこに答えなんか無いと分かりきってるけど、僕の瞳は中々言うことを聞かなかった。

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