第4話 外国籍の少女

火曜日の8時過ぎにアラームが鳴った。

本当なら朝御飯を食べて大学に行くのだけど、今はそれどころじゃないらしい。

ひとまずは起き上がり、リビングへと向かった。



「おはよう父さん、母さん」


「ユウくんおはよう」


「ミカは……まだ寝てるのかな」


「ちょっと起こしてくるわね」



しかめっ面の父さんを残して、母さんが二階へと上がっていった。

テーブルにはA4サイズの紙が1枚おかれている。

普段は陽気で明るい父さんだけど、今ばかりはジッと睨みつつ押し黙っている。



「……それは何?」


「これは役所からの通知だよ。昨日の騒動があったからなぁ」



先日に僕らの街を通過していった生存者たちだけど、彼らはそのまま遠ざかりはしなかった。

むしろ再び南下して、近くへと戻ってきてしまったのだ。

その結果、昨日の遅くに隣町のSC(ショッピングセンター)に住み着いたらしい。

なので僕の家も、ギリギリ『厳戒域』に入ってしまった。



「ずいぶん厳しい顔をしてるね。何て書いてあるの?」


「SCには今、10人近く集まっている。無線か何かで連絡を取り合って示し合わせたようだ。相手の戦力が強すぎるので、今回は特別対応をする、とのことだよ」


「特別対応って何だろうね。とりあえず、僕らは現地に行かなくちゃダメだよね? 厳戒域なんだもの」


「まぁそうだな。とりあえずミカを起こして……」


「ファーーア。もうちょっと寝かしてくれていいじゃん。学校ないんだもん」


「ダメよ。今日は生存者を襲いに行かなくちゃいけなのよ」


「ほんとニンゲンは勝手だよなー。アタシたちの都合なんかお構い無しだよね!」


「……騒がしいのが起きてきたよ」


「まぁ。女の子は元気な方が可愛いもんさ」



このあと僕たちは、食パンとヨーグルト、ミックスナッツを頬張ってから家を出た。

母さんは「早い所追い出して、普段通りの暮らしを取り戻さなくちゃ」と息巻いている。

日常を脅かされてる事がよっぽど腹立たしいみたいだ。



「ねぇパパ。SCまでは車で行くの?」


「まさか。面倒だけど歩いて行くんだよ」


「近場までコッソリ乗ってくのは……ダメ?」


「だーめ。生存者に車の音を聞かれちゃうだろ。それに、そんな場面を役所の人に見られたら大変だ。罰として住民税が上がっちゃうよ」


「税金上がったら大変ね。今年は家族旅行無しになっちゃう……」


「オッケーオッケー! 歩いていこう、運動部をナメちゃ困るからね!」



ミカは頼もしいよ。

その脚力と手のひら返しの技術が。

ゾンビらしからぬ機敏な切り返しだよね。

そう思っても口には出さないけど。


しばらく歩き続けると、隣町に着いた。

大通りは僕たちと同じように、SCに向かう人たちで大混雑している。

僕たちからしたら大都市の人混みと同じだけど、ニンゲンにとってはおぞましい光景なんだろうな。

理性の欠片もない化け物が押し寄せて来るんだから。


生存者の姿は見えてないけど、みんなはこの段階から演技をし始めた。

体を揺すり、足を引きずりつつ、何かを求めるように片手を正面に伸ばす。

眼に光は無く、半開きの口からは怨念のようなうめき声が漏れるのだ。



ーー早くニンゲン追い出さなきゃ。スマホの電池がもうヤバイ。


ーーマジで。今あのゲームでイベント中じゃん。


ーーそうなんだよ。だから一刻も早く通電してくんねえと、ランキングから落ちちまう。


ーーヘヴィユーザーさんは大変だな。落としきり箱庭ゲームやってるオレは高みの見物。



ーー春前でよかった。4月以降だったらペナント始まってるからな。


ーーお前本当に野球好きだよな。でもさ、試合当日に見れなくてもダイジェスト放送あるじゃん。


ーーふざけんな。リアルタイムで観なきゃ意味ねえんだよ。オレはその為に就職すらしてないんだぞ。


ーーいやいや、そこは働いとけよ。



クレームだった。

うめき声のトーンでみんな愚痴をこぼしているんだ。

こんなの、どうも緊張感に欠けるよね。

でも遠くから聞いたら判別なんかつかないだろうし、亡者たちの叫び声に聞こえなくもないのかな。


鈍足のまま歩いて行くと、遠くにSCが見えてきた。

そこは近隣の住人が既に取り囲んでいるようで、この場所からでもゾンビの多さが分かるほどだった。



「ユウキ、もうじき着くぞ。頑張りすぎないように気をつけてな」


「わかってるよ父さん。大怪我でもしたら治すのが大変……」


「どうしたんだ?」


「今そこに誰か居たような」



裏路地に消える人影が見えた。

たぶん地元の人じゃないだろう。

ここら辺に住むゾンビは全員が現地に着いているはずだから。

僕らのような遠征型でもないと思う。

だとしたら行列に参加しなきゃおかしい。


ーーなんだろう。気になるなぁ。


僕は考えないようにしたけども、ついに我慢できなかった。

大きく円を描くようにして列から外れていく。



「ユウキ、どうした。トイレか?」


「う、うん。ちょっとコンビニ行ってくる。すぐ追いかけるよ」


「わかった。気をつけてな。くれぐれも生存者に、用を足してる所を見られないようにな」



僕はそのまま路地へと入っていった。

もちろん人の気配は無い。

ゴミや廃材で散らかった通りは、まさに終末そのものといった雰囲気だ。

道幅はそれなりにあるものの、それでも物が散乱しているからイマイチ歩きにくい。

ゴミを左右に退かして足元を確保しつつ進む。

すると、路地の行き止まりで、隅っこにうずくまる人の姿を見つけた。



『ヒィ……来ないでぇ……』



袋小路の奥で震える女の子が居た。

金髪、白い肌、顔の彫りの深さ。

そして流暢(りゅうちょう)な英語。

どう見ても日本人じゃない。



「お嬢ちゃん、どうしたの? パパやママは?」


『やだぁ、こっち来ないでよぉ……』


「参ったな、言葉が通じない……!?」



しまった、ついついクセで迷子応対してしまった。

僕はゾンビなわけで、この子にとって脅威そのものなんだ。

さらに言えば、僕はこの子に襲いかかって感染させる義務がある。

だから話なんかしてないで、噛み付かなきゃいけないんだけど……。



「ひとりぼっちか。ここで感染させちゃうと、家族と離れ離れになっちゃうよね」



俗に言うゾンビ孤児。

親と離れてしまった子ゾンビの養育について、今社会問題になりつつある。

一応公共の施設が対応してくれてるけど、保護された子供たちはやはり寂しそうだ。

無計画な感染も考えものだと思う。



「さすがにこんな幼い子が一人で出歩くわけないよなぁ。そうすると、途中ではぐれたんだろうね」


『ヒィィ、ヒィィィ』


「だとしたら探してくれてるよね。近くにいれば叫び声に気づいてくれるかな……」



僕もあまり時間に余裕はない。

そして、この子を放置するのも割と危険なのだ。

野良ゾンビ猫にうっかり傷つけられようものなら、たちまち感染してしまう。

それでは僕が噛むのと同じ結果になる。

別の手段を選ばなくちゃいけないね。

だから僕が取った行動とは……。



「グアアぁ! 食べちゃうゾォーー!」


『キャアァァ!』


「ほらほら早く助けを呼ばないと! ゾンビになっちゃうんだぞ、怖いんだぞー!」


『パパ! パパ! 助けてぇーー!』



僕は牙を剥いて歯を鳴らし、地団駄を踏むようにして、散々に威嚇した。

期待通り女の子は悲鳴をあげてくれた。

あとは保護者の人が現れてくれれば良いのだけど。



ーードルン、ドルルン!



僕の後ろで重たい音が聞こえた。

路地裏の入り口の方からだった。

そちらを見ると、大型バイクに跨っている男の人がいた。

これまた美しい金髪で、アジア圏では見かけないほどガタイの良い人だ。



「ジェシー! ここに居たのか!」


「パパァ!」


「今助けるからな、ジッとしてるんだ!」



ーーブルン、ブルゥゥウン!


狭い路地をバイクが猛スピードで走りだす。

ゴミだらけの狭い場所を器用に運転して、まっすぐこちらに向かってくる。

そういや、ある程度道を空けたのは僕だっけ。



「娘に触るな、化け物め!」


「ゲフゥ!」



バイクのスピードが乗った蹴りは効いた。

僕は一撃で壁にまで吹き飛ばされてしまう。

そしてすっごい痛い。

泣きたくなるくらいに痛かった。



「ジェシー、大丈夫か。怪我はないか?」


「怖かった。すっごく怖かったよぉお」


「噛まれたりはしてないか?」


「うん、平気。さっきのゾンビも噛まなかった」


「そうか……すまない。もう絶対離さないからな。もう二度とこんな目には遭わせない。誓うよ」



バイクの上で熱い抱擁を交わす二人。

良かった、お父さんと会えて。

だいぶ脇腹が痛むけど、女の子の笑顔を見てたらどうってことないよ。


……いや、ちょっと見栄はった。

痛みがドンドン増してきた。

今すぐにでも叫びたいくらいにズキズキと痛む。

でも、目の前にはバイク乗りの親子が居座っている。


ーーそろそろ次のシーンに移っていいんじゃないの?


彼らに移動をうながしたかったけど、僕は敵側の存在。

とりあえずやられたフリをしつつ、親子が去るのを待つ。

身じろぎせずに痛みに耐え続けた自分を褒めてやりたくなった。

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