6話-②



 私は、知っていました。


 私の心を掻き乱す邪神、イーヴァ・ニーヴァが生きているということを。


 あの邪神の首を切り落とし、その身体が散りになり消えたことは分かっています。ですが私はイーヴァ・ニーヴァと初めて会った時もそうしたのです。


 そう、千年以上も昔に、私はあの生白い首に剣を振り下ろし、首を刎ね、殺したのです。しかしあの邪神はこの列島の山奥。それもヒト一人さえ来ることのない、廃れきった『社』の中で、眠るように生きていました。


 だから私は今もまだあの邪神は生きているかもしれないと判断し、念のためあの邪神が住みついていたヒトの子が住まう家へ行き――案の定あの邪神が生きているのを確認したのです。それも、恥も外聞もない三頭身ほどの『幼体』姿になった邪神を。


 いったい、どういった原理で『幼体』になったのかは知りませんが、邪神イーヴァ・ニーヴァは生きており――そして今現在、何の危機感を抱くこともなく一人でふらふらと街の中を浮遊しているのです。


 その姿は私が確認した時のような『幼体』ではなく、元の邪神イーヴァ・ニーヴァそのもの。ですが見た目こそ元に戻っていようとも、以前より強くなっていることなどないでしょう。


「嗚呼。貴方も民家の中に居さえすれば、再び狙われることなどなかったというのに」


 我らが主上の神が創った規律により、私たち【御使い】は承認無く民家に入ることはできない。故に民家の一部であるバルコニーで悠長に洗濯物を干したり、部屋の窓を大きく開け庭にいる猫たちと何やら会話をしたりしていた『幼体』の邪神には手を出せませんでした。


 ですが今、邪神は愚かにも家の外に出、そして都合の良いことに人気のない長い建物と建物の間を通っているのです。これを好機として狙わず、いつ狙うというのでしょう。


「嗚呼、本当に忌々しい!」


 前回はあの邪神から答えを聞き出す前に首を落とすことになってしまいましたが、今回こそは答えを聞いてから、散りも残さず殺してあげましょう!


 イーヴァ・ニーヴァが長い建物と建物の間の細い道から開けた土地に出た瞬間を狙い、その上部で邪神の様子を見ていた私は急降下します。勿論、私の武器でもある大剣を手にして。


「イーヴァ・ニーヴァァアアアッ!」

「む、」


 突然上空より現れた私に対し、顔色を変えることのない邪神。


 マトモに整えられたことさえなさそうな白髪は相変わらず無造作に跳ね、顔に埋め込まれた二つの瞳は腹立たしいほど煌めき、輝いている。


 そしてその顔から伸びる、目が痛くなるような水色の模様が印された首は――まるで私の武器である大剣を誘っているかと思うほど、白く、そして滑らか。


 目の前の邪神の首を切り落としてしまいたい衝動に駆られながら、理性ある私は大きく息を吸う。


「邪神イーヴァ・ニーヴァ、貴方に問いたいことがあります」


 そう。私にはこの邪神に聞かねばならないことがあるのです。だからこそ私はこの邪神を探し、此処にまで来ているのです。


「何故貴方は生きているのです! 何故貴方は悩まないのです! 何故貴方は私たちに復讐しないのです!」


 前回もその前も、答えを聞くことの出来なかった問い。それらの答えは他でもない、この邪神から聞き出さねば意味のない代物。


 ――二度も私の手で殺されておきながら、今なお存在しているこの邪神でなければ。


 ――千年以上も前に、自らの信者を自身の元信者に皆殺しにされたこの邪神でなければ。


 答えを聞く意味が無いのです。


「何故生きているか? それは、首を刎ねられ身体を破壊したところで私が死ぬわけではないからだ」


 長い建物と建物の合間にある空き地の地表近くで浮かぶ邪神は、やわらかな声でそう答えました。


「そして何故、お前たちの神へ改宗した者たちに信者を皆殺しにされておきながら悩みもせず、復讐しもしないのか――だったか?」


 私が口に出していないことまでをも言い放ち、忌まわしい金の目で私を見上げてくる邪神。嗚呼、邪神であっても【神】は【神】。【御使い】の心情でさえ、お見通しと言うわけでしょうか。


「ええ、そうです。何故貴方は貴方の信者であった者たちを誑かし、そして貴方の元から改宗しなかった者たちを虐殺させるに至った根源たる私たちに復讐ないのです! 悩まないのです!」

「する必要が、無いからだ」

「する必要が……無い?」


 悩むことも、復讐することも、必要が無いと言っているのでしょうかこの邪神は。


「私たちが……私たちの信者が貴方の信者を唆したが故に、貴方は自らの信者を殺されたのですよ! 貴方は【神】としての力を失い、【御使い】である私たちに殺されるに至ったのですよ! なのに、復讐する必要が無いなど、ふざけているにもほどがあります!」


 私たちはこの邪神に復讐されて当然の行いを働いた。


 私たち【御使い】は、私たちの姿を見ることの出来ないヒトを直接唆すことは出来ません。しかし『彼女』のように、稀に私たちの存在を認識できる者はいます。そんな者たちを使って私たちはイーヴァ・ニーヴァの信者たちを唆し改宗させ、未だイーヴァ・ニーヴァを邪神として祀る信者たちを虐殺させました。


 にもかかわらずこの邪神は、そうさせるに至った根源でもある私たちに対して復讐しないとのたまったのです。


 信者の数は信仰心の強度であり、失われれば失われるほど【神】としての権能を剥奪され、堕ち、最悪の場合には存在の抹消にも繋がるというのに!


「……ならば、復讐したところでどうなる?」

「……っ、」

「今、私がお前に復讐したところで、何かが変わるわけではあるまい。例え運よく私がお前を倒せたとしても、次はお前と縁を繋ぐ者が私のもとへ復讐しにやって来るだろう。そんな巡りは不毛だ。だから私はお前たちに復讐しない。それに、虐殺を決めたのは彼らなのだから、神である私が彼らの諍いに介入するのもおかしな話だろう」


 イーヴァ・ニーヴァの言う通り、邪神であれ【神】であるイーヴァ・ニーヴァがヒト共の諍いに介入するのはおかしな話でしょう。そして我らが主上たる神により創られた私たち【御使い】もまた、人間同士の諍いに介入することは【神】が創った規律により出来ません。


 ――だがそれでも、思ってしまうのです。


「しかし、もし自分に彼らのその行いを止められるだけの力がありながら、そうできなかったのなら。もし、自分を信じさえしなければ、そのような死を迎えなかったのだとしたなら、貴方はどう考えますか!」


 私には『彼女』の死を止めるだけの力があった。


 冤罪を擦り付けられ、苦しんでいた『彼女』に手を差し伸べ逃がすだけの力があった。


 ですが私は『彼女』に救いの手を差し伸べませんでした。それどころか規律があるからと『彼女』を見殺しにさえしたのです。


 勿論、私とて『彼女』に惨い死を迎えさせたかったわけではありません。むしろ『彼女』には穏やかな死を迎えてほしいと思ってさえいました。ですが『彼女』は自身と同じ【神】を信じるヒト共によって火刑に処され、挙句の果てにはその死体を見世物にされるという恥辱に晒された。


 嗚呼、今思い出してもおぞましい。


 優しく、朗らかで、美しかった『彼女』を面影もないほど焼き、そしてその身体から臓物を引きずり出して晒す。その様を目の当たりにしてしまった私は、自分のした行いが――『彼女』に手を差し伸べず、見殺しにした自分の行いが――間違いだったのではないかと、思ってしまったのです。


 そしてそれ故に、もし『彼女』を救うため規律を破り、救いの手を伸べていたら。と、今も尚考えてしまうのです。


「なるほど、お前は『彼女』とやらの死に、『後悔』しているのだな」


 邪神から発せられたその言葉が、ぐさりと私の心を抉る。


 目の前に居る邪神は「そして、そうであるが故に、過程はどうであれ信者を元信者によって殺された私に、答えを求めているのだな。……しかし、私とお前は同じではあるまいに」と、言葉を続けてもいましたが興味は湧きません。


 ――『後悔』。


 そう、邪神イーヴァ・ニーヴァの言う通り、私は後悔しているのです。


 あの時、『彼女』を救わなかったことを。


 規律を破りさえすれば、回避できた『彼女』の死を。


 あろうことか私は後悔してしまっているのです。


「だが、お前が『後悔』の念を抱いたところでどうなる? その『彼女』とやらは喜ぶのか?」

「喜びは、しないでしょう……」


 むしろ彼女は敬虔が故に、我らが主上たる神が創った規律を破った私を叱責することでしょう。


 ですがそれはただの空論。思い出の中の『彼女』を基準にした、ただの妄想にすぎません。


 本当の『彼女』は……、唯一正解を知る『彼女』は、喜びもしなければ哀しみもせず、私の行いを肯定することもなければ、許すこともないのですから。


「……ならば、お前はその『後悔』を永劫背負い続けるしかないだろう」

「後悔を、永劫背負う……」

「そうだ。そうしなければお前は今まで同様、悩み続けることになる。現にその『彼女』とやらが死んでから、数百年は経っているのだろう?」


 薄い唇の端を僅かに上げてみせる邪神。まるでその表情が「人間の死ひとつに悩まされるなど愚かだな」とあざ笑っているように見えた私は歯噛みします。


 この邪神は、我らが主上たる神ではない。


 しかし、【神】は【神】だ。この【神】がもし私を『人間の死ひとつに悩まされる愚かな存在だ』と断じたならば、我らが主上たる神もそう断じる可能性はあり得ます。いいえ、それどころか私から仕事を奪い、碌な任務さえ割り振ってくれない元部下たちの蛮行を諌めない現状を鑑みれば、既に見放されている可能性の方が大きいでしょう。


 ――私はもう、我らが主上たる神にとってすら不要な存在なのでしょうか?


 至りたくない発想。考えるべきでない結論。


 しかし、私はその答えを自ら導き出してしまった。


 邪神一柱も倒せないどころか、たった一人の人間の死にさえ悩まされ、挙句その悩みに対する答えを邪神に求めた私に存在価値は無いのだと、至ってしまった。


「【御使い】、私はお前の問いにすべて答えたが、次はどうするつもりだ?」


 金の瞳を細めると同時に「三度目になるが、殺してでもみるか?」と挑発してくる邪神。


 そうです。私の目の前に居るモノは邪神。それも一度ならず二度までも殺し損ねた邪神。


 であるならば、この邪神イーヴァ・ニーヴァを殺せば、私は自分自身を不要な存在ではないと証明できるのではないでしょうか。


「貴方を殺す……いいえ。貴方を殺してあげます! 首を刎ねようとも、身体を粉砕しようとも死なないのであれば、それ以上のことをして殺してやるまでです!」


 怒りがゆえに殺すのではありません。


 使命がゆえに殺すのではありません。


 自らが不要でないと示すために、私は邪神を殺すのです。


「行きますよ、イーヴァ・ニーヴァ!」


 相手からの答えは不要です。どうせ一方的な蹂躙になるに決まっているのですから、聞き入れる理由など一つとしてありません。


 背の翼を強く羽ばたかせ、地表近くに浮かぶ邪神の周囲を旋回し頭上を取る。そして、呆けた顔で私を見上げる邪神に向かって改めて自身の武器である剣を向け、その薄ら白い肩口目がけて急降下する。


 首を落とそうとも死なない? 身体を粉砕しようとも死なない? そんなことは分かっています。ですが、例えそうだとしてもむやみやたらに動かれては手間。ならば先んじて身体を削ぎ落とし、動きをそれなりに封じておくのが効率的でしょう。


 しかしそんな私の攻撃を見切っているのでしょうか、その邪神はひらりと私の剣を避けました。


「小癪な!」


 相手は二度も私に首を落とされたイーヴァ・ニーヴァのことです。避けたことなど、どうせただのまぐれにすぎません。


 そう決めつけ、二度、三度と邪神に向かって剣を振るう。しかしその全てを邪神は避け、あろうことか、鉱石めいた物体を私に対して浴びせてきました。


「っ、詠唱も無しに物体の召喚を行い、指図なしで攻撃とは!」


 【神】だからこそ出来る所業なのでしょうか? ですが以前までのこの邪神に、それほどまでの力はなかったはずです!


 容易く見極められてしまうほど単純な詠唱に、腕の動きからなる指図。以前まであったその動作を、目の前の邪神は行ってはいない。


「しかし、脆い!」


 自身の身へと繰り出される鉱石めいた物体。ソレは魔なるモノ程度の肉を貫く硬度を得はしているようですが、【御使い】である私の攻撃の前ではただの枝葉にしかすぎません。無論、攻撃手段としても遠距離、中距離に対応できる邪神の武器は、剣での直接攻撃が主な私にとって幾分かは有利な代物ではあるのでしょう。


 ですが届かなければ、有利であっても意味はない。


 そう、そして私の攻撃もまた届かなければ意味はないのです。


 邪神の攻撃が私に届くことがないように、私の攻撃もまた全て躱され、一度たりとも剣の切っ先が邪神の肉に届くこともない。


「くそっ、どうなっているのです!」


 鉱石めいた物体による遠距離からの攻撃。相手側の利点を鑑みても、戦闘経験の豊富さや攻撃時の破壊力、ひいては我らが主上たる神より賜った強靭な肉体と俊敏性がある私の方が圧倒的に優位。にもかかわらず、目の前の邪神は未だ生きているのです。むしろ未だ存在し、忌々しくもその口元に緩やかな笑みを浮かべさえしているのです。


「不服気だな、【御使い】よ」

「貴方、どんな細工をしたのです!」

「さあ、お前に教える義理はあるまい?」


 憎らしいまでに輝く金の双眸を細め、涼しげな顔でそう答えた邪神イーヴァ・ニーヴァは自身の顔に掛かる白髪を耳元へとたくし上げる。


「このクソ邪神! すぐに貴方の四肢を切り落としてあげます!」


 私は不要などではないのです。


 我らが主上たる神にとって、私は不要な存在などでは決してないのです!


 たったそれだけを示すために再び私は剣を振り上げ、邪神の胴体目がけて振り下ろします。


 私は、邪神を殺して、私が不要ではないと認めさせなければならないのですから!




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