6話 最近同居しはじめた自称【神】が、女天使に襲われた件について!(後)
6話-①
「じゃあ、学校行ってくるから」
「うむ、行ってくると良い」
テーブルの上に置かれている朝食を、ゆっくりとしたペースで食べる幼体のイーヴァ。その姿を背に家を出た俺は学校へと道のりを歩く。
平穏な日常。穏やかな生活。平和の体現。それこそ俺がイーヴァに望み、求めていた世間一般的な、普通の生活にほど近い『今』。しかし――本当にこれで、良いのだろうか。
【御使い】と呼ばれる女天使に襲われ、その首を切り落とされたイーヴァ。その首は元に戻ってはいるものの、戻すために使用したエネルギーの元となった身体のサイズは戻っていない。それにイーヴァを傷つけたその【御使い】もいつ現れるか分かったものじゃないし、何より俺自身、その【御使い】が現れてもイーヴァの為に何かをしてやれないのが――腹立たしく、それでいて余計に俺の中の不安を大きくさせる。
人間ではない強靭な力を持った【御使い】。そして首を切り落とされた程度では死なない【神】であるイーヴァ。そんな二人の間に、ただの人間でしかない俺が立てるわけがない。
勿論、イーヴァを信じることでイーヴァの支えることは出来るだろう。だが、イーヴァを【神】だとはそれなりに認識してはいても、認識しているだけで【神】として信仰するほどの信仰心を俺は持ち合わせていないのだ。
日がな一日家の中でゲームをし、時折洗濯物を取り込み、掃除をする。そんなヤツを、いったい誰が【神】として崇めることが出来るだろうか? 少なくとも俺は出来ないし、実際に出来ていない。そもそも敬われるべき、あるいは崇められるべき【神】とその信者の間にはそれなりの距離があってこそだろう。にもかかわらず俺とイーヴァの距離はあまりにも近く、親しすぎるのだ。
嗚呼、いっそイーヴァへの信仰心を抱くために、イーヴァと距離を取るべきだろうか。いや、だが俺がそうしたところでイーヴァの態度は変わらないだろうし、逆に俺に粘着してくる可能性さえある。
ゲームという娯楽を教える前のイーヴァがしてきたストーカーじみた行為を思い出しながら、俺は身を震わせる。
家に居る間中、トイレの間も風呂の間も、イーヴァ本人に監視されているあの生活は正直もう二度と味わいたくない。
そんな風に悶々と考え事をしていれば、俺の背に「おはよう、四ツ谷くん!」と女生徒の明るい声がかけられた。
「おー、おはよ。峰産」
問答無用で俺の腕に抱きついてくるその声の主、峰産芽衣子。そんな彼女は俺の顔を見て嬉しそうに笑みを浮かべている。
どういった心の変化を経てこうなったのかは未だ俺の知り得ぬ領域ではあるが、【姑獲鳥】の一件以来、峰産は引っ込み気味だった性格を明るいモノへと改め、見た目も華やかになった。勿論、その当初こそ彼女の周りはざわつき、峰産本人も教師に呼び出されていた。だが、そのようなことがあってでも彼女は自分の見た目を戻すことなく、そのままで在り続けている。
ぎゅう、と俺の腕を抱きしめ笑みを見せている峰産が、不意にその表情を改め、まるで食い入るように俺の目を見つめてくる。学校のある日はほぼ毎日と言って良いほど峰産と登校している俺ではあるが、これほどまでに峰産が熱烈な視線をもって俺を見つめてくるのは初めてだ。
「どうか……したのか?」
真剣なまなざしで俺を見てくる峰産に対し、俺は無愛想にそう訊ねる。
「えっとね、なんだか今の四ツ谷くん。悩み事があるみたいに見えたから……、どうしようかな、って思って」
俺の腕に絡めていた腕を解き、自身の鞄をあさる峰産。そしてソコから毒々しい色をしたうさぎのストラップを付けたスマートフォンを取り出した彼女は、その画面を弄り、俺の方へと向けた。
「SNSのアカウントなんだけど、この人に相談ごとをすると的確な答えが返って来るって、すごい評判なの。クラスの女の子たちとか、委員会の先輩もこの人に相談したら悩み事が解消されたらしくって。……勿論、個人情報とかのこともあるから、あんまり詳しい話はしない方が良いんだけど、もし四ツ谷くんが誰にも相談できないようなことで困ってるなら、この人に相談してみるのもありなんじゃないかな?」
口早にそう言った峰産。そんな彼女が向けているスマートフォンには「因幡双羽@相談受付中」という名前と、四ケタ程度のフォロー数がプロフィール画面として表示されている。
「……いなば、ふたば?」
「ううん。『いなばにわ』って名前みたい。けどちょっとこの人あやしさもあって、自分のことを【神】って自称しているの」
よくよく見てみればそのアカウントのID名は峰産の言う通り『InabaNiwa』となっているし、自己紹介部分には【神】とも明記されている。
「いなば……にわ」
稲葉双羽の正しい読み仮名らしい名前を声に出して読んでみれば、どこかその音がイーヴァのフルネームであるイーヴァ・ニーヴァに似ているように感じる。おそらくただの偶然であるのだろうが、自己紹介部分に書かれている【神】という表記も気にかかる。
「あとこの人、猫が好きみたいで。毎日猫の写真も投稿してるの」
「実はこの人の猫画像が好きで、私もフォローしてるんだ」と付け加えながら、スマートフォンの画面をスライドさせる峰産。そこに映る猫たちは、紛れもなく俺の家に頻繁にやって来るあの猫たちだった。
俺がイーヴァの事で悩んでるっていうのに、イーヴァのヤツいったい何をしているんだ? ……とりあえず、学校が終わったらすぐにでも聞き出してみなくては。
表示されている猫画像を微笑ましげに見つめ、笑う峰産に「心配してくれてありがとうな、少し考えてみる」と声をかければ、彼女は「え、っ、あ……うん、どういたしまして」と顔を真っ赤にして答えた。
「顔赤いけど、具合でも悪いのか?」
「えっ、そ、そんなことないけど……、ないんだけど……あ! わ、私今日ちょっと先生に用事があるから、先に行ってるね!」
突如として顔を赤らめた峰産が心配になり、声をかけたのだが余計なおせっかいだっただろうか。耳元まで赤くして、俺の元から走り去ってゆく峰産の後姿を俺はぼんやりと眺める。
「……SNSのアカウント作って、イーヴァのアカウント少し確認してみるか」
峰産が見せてくれたあのアカウントが本当にイーヴァのモノなのか。そして、イーヴァがどんな目的であのアカウントを運営しているのか。帰宅する前までにソレを調べるべく、俺は鞄に仕舞っていた自分のスマートフォンを取り出した。
休憩時間などの授業の合間にイーヴァと思しきモノのSNSアカウントを調べ、このSNSアカウントがイーヴァの物であると確信した俺は、帰宅してすぐにイーヴァへその画面を見せつけた。
「コレ、アンタだろ!」
丁度ベランダに干していた洗濯物を取り込み終えたばかりらしく、洗濯物を畳んでいる途中だったイーヴァは目をぱちくりと二度瞬かせた後「いかにも。私だ」と頷いた。
「別に、やるなとは言わないし、駄目だとも言わねぇけど……何でこんなことやってンだ?」
イーヴァには、やることが……考えるべきことが在るはずなのに。何故コイツは、悠長にもこんなことをしているのか。俺にはそれが、分からない。
「端的に言うのであれば、『信仰心』を集めるためだ」
「『信仰心』を、集める……?」
「そうだ。ソーシャルゲームのフレンドからも、オンラインゲームのフレンドからも、そして家に集まってくれるあの猫たちからも。私は『認知』され、時には『感謝』されている。だがソレは私のエネルギー源でもある『信仰心』からは遠い。勿論、私の力にはなる。が、足りないのだ」
「『信仰心』が、足りない」
イーヴァの長く、それでいてヘタクソな説明を解釈するため俺はイーヴァの言葉を反芻する。
「故に、私は足りない『信仰心』をどうにかして集めるべく、猫たちの勧めでその『えすえぬえすあかうんと』を作り、あらゆる人間が持つ悩みに答えを与えている」
そこまでを言い終えたイーヴァは、途中で止まっていた洗濯物の折り畳みを再開する。
「ッ、それが……何になるって言うンだよ!」
「……ナツヲ?」
「『信仰心』を集めるために、他人の悩みに答える? アンタはそんなこと、やってる場合じゃねぇだろうが! アンタは自分の悩みを、……アンタを狙う御使いをどうするかを、考えるべきだろ! アンタだって、ずっとこの家に居続けたいわけじゃねぇはずだ!」
少なくとも今は、平穏な日常だろう。穏やかな生活だろう。平和の体現だろう。それこそ、俺がイーヴァに望み、求め『世間一般的な、普通の生活』にほど近いモノだろう。
だが、その中にもまだ【御使い】という存在と、その存在によりいずれもたらされるであろう『イーヴァの死』という不安が潜んでいる。しかもソレは、ただの人間でしかない俺ではどうすることも出来着ない代物だ。
勿論、イーヴァの言い分だって十分理解できる。
イーヴァを唯一目視で認識している俺の『認知』と、充満しているらしい地脈のエネルギーだけでは、イーヴァは御使いに対抗できない。それどころか幼体となっている身体を元のサイズにさえ戻せない。だからイーヴァは、他人の悩みに答えて俺以外の人間から『信仰心』を集めている。
そう、その行為そのものは至極当然のことであり、自身のこの境遇をどうにかするべく講じられた案の一つでもあるだろう。だがそれでも俺は、思ってしまうのだ。
他人の悩みを解決するのも大事だろうが、イーヴァにはイーヴァ自身の悩みを優先してほしいと――思ってしまうのだ。
「ナツヲは、愚かなまでに『優しい』な」
畳んでいた途中の洗濯物を床に置き、立っていた俺の目の前に浮かび上がる幼いイーヴァ。その小さな身体に羽織られ、ワンピースのようになってしまっている俺のTシャツの袖から小さく細い腕が伸びてくる。
「私とて、お前と外に出てゲームショップに行きたいからな。ちゃんと私自身の事柄については考えているし、現に今日、お前の手を存分に借りることが出来るのであれば、勝機があるのではないかと言う考えにも至っている。だからお前が私の事について悩む必要も、心を痛める必要もない」
俺に伸ばされたイーヴァの幼い手。それがするりと、俺の頬をなぞり上げる。
小さく、やわらかで、そして冷ややかさを持ったその掌が、俺の頬に。そして耳に、触れている。
「だからな、私の考えに耳を貸してくれるか?」
「ナツヲ」と俺の名を呼び、幼いその顔に笑みを浮かべさえするイーヴァ。どうやらイーヴァは俺が考えていたよりずっと、自分の事を中心に考えていたらしい。その考えに耳を貸さない理由のない俺は、頷き「耳を貸す」と返した。
そう――、その直後にゲームのパッドを握り込まされることなど露ほどにも思わなかった俺は――そう答えて、しまったのだ。
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