5話-③



 ――そんな意気込みを経た俺がイーヴァを見つけたのは、イーヴァが初めて俺の前で魔なるモノを倒したあの空き地だった。


 四方をビルに挟まれた、外灯さえない場所。しかし上空がぽっかりと空いているせいか、月明かりだけはしっかりと差し込んできている。


 そんな場所に、イーヴァは居た。それも大量の猫たちに埋もれるようにして。


「なぁん?」

「なぁーん?」


 突然自分たちの前に現れた俺に対して警戒する様子もなく、むしろ挨拶をするように声を掛けてくる猫たち。猫語に理解もなければ、猫と触れ合った事もない俺には彼らが何を言っているのかは分からない。だがそれでも、今の彼らに敵対心が無いのはなんとなく分かる。


 「ごめんなー」と声を発しながら俺の元へとやって来る猫たちを避け、猫に乗られて埋まりつつあるイーヴァの小さな身体を引き抜いた。


 いつもであれば冷たいイーヴァの体温も、猫たちの中にいたせいか程よく温かい。


「イーヴァ、イーヴァ」


 眠っているのだろうか。目を瞑っているイーヴァを揺さぶれば、身の丈の小さなイーヴァは幼い子供の様に目をしょぼしょぼとさせながら、「ンむぅ、ナツヲ、か?」と呟いた。


「嗚呼、俺だ。ナツヲだ。アンタには言いたいことがいろいろあるから、さっさと家に帰るぞ」


 どうして家から離れたのかということ。


 どうして此処に、それも猫たちに埋まるようにして居たのかということ。


 そして、苛立っていたとはいえ、考えなしにイーヴァを家の外へと出してしまったこと。


 最低でもその三つはイーヴァに言いたいのだ。だが猫の中から引き抜いたイーヴァはいやだいやだと顔を横に振った。


「いやだ、じゅくねんりこんは、嫌だ……」

「熟年離婚も何も、結婚すらしてねぇよ……」


 家から追い出されてからいったい何を見聞きし、体験したのかは分からないが、イーヴァは顔を横に振り続け拒絶する。


 そんなイーヴァに仲間意識を持っているのだろうか。イーヴァをうずもれさせていた猫たちや、空き地の中に居た他の猫たちが顔を上げ、俺たちの方へと集まってくる。


「ナツヲだって、ままさんたちと同じように、家の仕事を一切しない『かいしょうなしなぱぱさん』と同じな私を見限って、りこんするのだろう? 私は、食器の洗い方も、洗濯物の取り込み方や畳み方も、風呂場の洗い方も、知らない。知っているのは、お前に教えてもらったゲームの仕方や、身体の洗い方ぐらいだけだ」


 確かにイーヴァの言う通りだ。俺は、イーヴァに食器の洗い方も、洗濯物の取り込み方や畳み方、風呂掃除の仕方も教えたことなど一度もない。だというのに、俺はそれらを求めてしまっていた。


 俺の気持ちを知っているのに、しないのだと。勝手に決めつけ、勝手に一人で苛立っていたのだ。


「ごめん、イーヴァ。明日からでも教えるからさ……アンタの手が空いた時にでも、手伝ってくれるか?」

「うむ……手伝う。だからりこんだけはいやだ……帰る場所も無く途方に暮れる定年過ぎのぱぱさんは、あまりにあわれなのだ。……んむぅ、」


 猫たちの中からその小さな身体を引き抜いただけで、抱き上げられてはいないイーヴァの頬をどっしりとした体格の猫が一舐めする。そして「んぅなぁー、うぅ」とイーヴァに対して物申すかのように鳴いた。


 猫に埋まっている時はさほど気にはしていなかったのだが、もしかしてこの猫たちにはイーヴァが見えているのだろうか。


「む、そうだな。ボスの言う通り、家に帰って『なかなおり』をするとしよう。今日は、ありがとう、な」


 イーヴァに対して物申した猫の首筋に小さな指を這わせ、撫でるイーヴァ。撫でられている側の猫は心地がいいらしくゴロゴロと喉を鳴らしている。


「よし、じゃあ家に帰ろうぜ」


 しばらくの間イーヴァと猫の様子を見守った後、俺は温かくなっていたイーヴァの身体を抱き上げ立ち上がる。そうすれば俺の腕の中でイーヴァが猫のように丸くなり、その瞼を閉じた。


 首――、それも瞼を閉じるイーヴァの首。


 俺の腕の中で瞼を閉じたその顔が、御使いによって首を跳ねられた時のイーヴァの顔と重なり、背筋にゾワリと怖気が走る。だがその怖気を払拭するようにイーヴァの体温が、それも猫由来の温かさが伝わってきた。


「イーヴァは、此処に居る。だから、何も心配しなくていい」


 その事実を自分自身に言い聞かせるようにして、俺は抱いていたイーヴァを改めて抱きしめる。そうすれば、先程イーヴァが「ボス」と呼んだあの大き目の猫が俺の足元へすり寄ってきた。


「ああ、アンタもありがとうな」

「んぅな」


 撫でて良いものか分からないため、撫でこそしなかったがその猫に礼を言い、俺は猫たちが集まっていたその空き地から家へと歩きはじめる。


「にゃんうぅ」

「うにゃー」

「んにゃんなぁ」


 だが、そんな俺の後ろに数匹の猫が付いてきた。しかもその中には先程俺が礼を言った大きめの猫も混じっている。


「んにゃー、うぅ」

「なぁう」


 何を言っているか全くわからない猫たちの会話を聞きながら、ビルとビルの合間を抜け、大通りを通る。そして住宅街にある自宅へと帰って来れば、俺の後ろに居る猫はイーヴァに「ボス」と呼ばれ、俺が礼を言ったあの大きめの猫一匹だけになっていた。


「えっと……改めて、今日はイーヴァのこと、ありがとうな」


 イーヴァがしっかりと家に帰ることを確認したかったのだろうか。その猫は俺の言葉に返事をするように「なぁん」と鳴くと、この家の玄関から背を向け住宅街の暗闇へと消えてゆく。


「さてと、俺も家に入るか」


 腕の中に居るイーヴァは相変わらず瞼を閉じていて、目を覚ます様子は無い。


「はぁ……本当はすぐにでも問い詰めてぇンだけど……、明日でいいか」


 イーヴァに対して甘いということはとうに自覚しているし、今も「甘いな」と自答できるほど理解している。だがそれでもイーヴァの眠りを邪魔する気になれない俺は、眠るイーヴァを抱き直し、玄関の扉を開いた。










 イーヴァを家から追い出したその翌日から、俺の家の庭には猫が集まるようになっていた。


 庭と言ってもソコは家と家の塀との間、距離にして二メートルの幅もない狭い場所であり、正直温かな日差しが入る位置でもない。しかしソコに、数匹ではあるが猫たちがやって来るのだ。


「なぁん」

「おお、そうか。ままさんは、ぱぱさんを許したのか」

「んにゃぁーん」

「なぁうなぁーん」

「そうだな、私と一緒だな」


 リビングと庭を隔てるテラス戸を開け、猫との会話に勤しむイーヴァ。そんなイーヴァの小さな背中と尻を眺めながら、俺は予定一つない土曜の昼間を堪能する。


 シーツなどの大きめな洗濯物は朝方の内にイーヴァと一緒にベランダに干したし、部屋の掃除や風呂の掃除も常日頃からイーヴァがやってくれるようになったため、俺が手ずから掃除する場所はキッチン周りぐらいしかない。


「あまりに快適すぎて、イーヴァが居なくなったら困るかもしれねぇ……」


 俺個人としては部屋の掃除か、風呂掃除、あるいは洗濯物の取り込み。そのどれかをしてくれれば良いなと思っていたのだが、イーヴァはその全てを俺が学校に行っている間にこなしてくれていた。


 勿論、イーヴァにだって時間のない時もあるため、それらをやらない日もある。具体的に言うのであればオンラインゲームやソーシャルゲームのイベント開始日などの時だ。だがそういう時でも洗濯物の取り込みだけはしっかりとしてくれているから、俺としても文句を言うつもりはない。


 それにイーヴァが勝手に利用した通販サイトに関しても、「俺の許可なく勝手にPCを触らない、俺の許可なく勝手に通販サイトを見たり、利用したりしない」ように言えば、ソレもきちんと守ってくれている。


「んなぁーうにゃ」

「ふむ、今日あの空き地で集会があるのか。私も行きはしたいが……やめておこう」

「にゃう?」

「いや、具合が悪いわけではない。ただなぁ、あまり家から出るわけにはいかなくてな」

「んにゃぅなぁ」

「んなぁーう」

「ああ、ボスにもよろしく言っておいてくれ」


 熱心に猫と会話をしているイーヴァ。それを聞きながら、俺はあの日の翌日にイーヴァにした質問を思い出す。


「どうして家から離れたんだ?」

「それは、ボスに『悩み事があるなら、集会に来ないか』と誘われたからだ。あのまま外に居ても私一人では反省できなかっただろうからな。勿論身の危険があることは重々承知してはいたが、『反省』できずナツヲに嫌われるのは『困る』からな」

「ならどうして猫たちの中に埋まって寝てたンだ? 集会が終わったらすぐに帰ってこれば……」

「私としても彼らに悩み事を解消してもらったら、すぐにでも家に帰るつもりだったのだ。だが……」

「だが?」

「猫たちを撫でていたらいつの間にか寝てしまっていてな……あのやわらかな毛は、良い」


 目を細めて、とろりと表情を緩ませたイーヴァの顔は、今でも容易に思い出せる。おそらく相当心地よい思いをしたに違いない。


「なあナツヲ、彼らに水とおやつをやってもいいか?」


 テラス戸から顔を出して庭に居る猫たちと会話をしていたイーヴァが、俺の方へと振り向く。


 その表情はどこか穏やかであり、嬉しげだ。


「良いけど、ほどほどにな」

「ふむ、だそうだお前たち。少し待っているといい」


 猫たちに声をかけリビングから浮遊しキッチンの方へと移動するイーヴァ。外に居る猫たちは家の中に入ってくることなく、大人しく庭の方でイーヴァが戻ってくるのを待っている。


「平和、だなぁ」


 開かれたままのテラス戸。ソコから入る温かな風と明るい日差しに俺は目を細め、ゆっくりと閉じた。



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