3話-③



 わたしは好き。


 わたしに優しくしてくれた彼が。


 わたしは好き。


 わたしを従順な駒として扱わない貴方が。



 わたしは好き。


 誰の指図も受けない四ツ谷くんが。


 わたしは好き。


 わたしを抱きしめてくれた四ツ谷ナツヲくんが。


 だからわたしはそんな彼の為に、変容する。


 わたしを厭うわたしから、わたしを好むわたしへと。


 心も身体も染め変えて、わたしは『峰産芽衣子』を塗りつぶす。


 彼の隣に立つに相応しくなるために。


 彼の瞳に映るに相応しくなるために。


 わたしはわたしを、塗りつぶす。





 結局、教師を呼びに行った後、峰産と会話することなく帰宅することに相成ってしまった俺は、様々な疑問を抱いたまま翌朝を迎えていた。


 一応帰宅した際、それらを解消すべくイーヴァに対していくつもの質問をしてはみた。だが、イーヴァはそれらに対して「案ずるな」だとか「心配するに値しない」「明日になれば自ずと分かる」と言うばかりで、まともな答えを返してはくれなかった。


「ッたく、何が分かるってンだよ!」


 悪態を吐きながら小石を蹴飛ばせば、突然俺の背後から「おはよう!」という軽快な女の声がかけられた。


 まさか俺に対して言われた言葉ではないだろうだろう。と、その声を無視し歩き続けていれば、もう一度背後から「おはよう!」と声がかけられる。しかも今回はぽん、と軽く背中を叩くような感触を付けさえして。


 おそらく、というか間違いなく、この挨拶は俺に対して発されているもののようだ。


 だが一体誰だ? すくなくとも俺は、『不良』のレッテルを貼られている身だぞ?


 半ば訝しささえ感じながら背後を睨みつけてみれば、ソコには見たことのない女生徒が一人、笑みを浮かべて立っていた。


 周囲の視線を一身に集めている見知らぬ女生徒――、いや『彼女』を俺は、知って

いる。


 むしろそれどころか昨日、会話だってした。


 だが本当に、俺の目の前に居るのはあの『彼女』なのだろうか?


 膝下まであった制服のスカート丈は太腿半ばの短さになり、三つ編みにされていた腰元までの黒髪も肩口ほどまでに短くされ、茶色に染められている。さらには傍目からでも分厚いと分かったほどのビン底眼鏡も『彼女』の顔から取り払われている。


 そんな昨日までの姿とは全く違うどころか、別人と揶揄されても仕方のないレベルにまで変貌……いや、俺個人の意見からしても周囲の視線を一身に集めてしまうほど『かわいく』なった『彼女』――こと、峰産芽衣子が、俺の後ろで笑みを浮かべていた。


「おはよう、四ツ谷くん!」


「お、おう……、おはよ……」


 改めて元気よく挨拶してきた峰産に対しぶっきらぼうに挨拶を返した俺は、背後へ向けていた自身の視線を正面へと向き直る。


 確かに俺は【姑獲鳥】がその姿を再び現さないようにするため、「峰産に自信を持たせたい」とイーヴァに望んだ。だが、峰産のこの変容ぶりはあまりにも劇的すぎるのではないだろうか!


 いや別に、この変化が悪いと思っているわけではない。むしろこの様子であれば、傷ついた峰産を守るために【姑獲鳥】が再びその姿を現す可能性は低いだろう。


 というか、昨日イーヴァが言っていた「明日になれば自ずと分かる」の言葉は、この事だったのか!


 だとしたら昨日イーヴァが縁の『事象』なるものを俺と峰産に繋いでいたことも、この事に関係しているのだろうか?


「四ツ谷くん? 大丈夫? 立ち止まったままだけど……もしかして具合でも悪い?」


 正面に向き直りはしたものの、足を動かすところまで意識が向いていなかった俺の前に峰産が顔を覗かせてくる。


「あ、ああ……。大丈夫だ」

「そう? なら良いんだけど。……あと、いいかな? もし四ツ谷くんが良ければ、今日一緒に学校行かない?」


 「だめ、かな?」と上目使いでそう俺に訊ねてくる峰産。


 他者から倦厭され続けているべき身である俺としては、ここは峰産の言葉を拒否するべきだろう。それに峰産だって、せっかくイメージチェンジなるモノをしたのだから、俺に関わるべきでもないはずだ。


 だが昨日のこともあるため、今日ぐらいは峰産の様子を確かめる意味あいもかねて、一緒に学校へ行くぐらいはしても良いのではないだろうか?


 彼女の言葉に対し、どう返事をしたモノか。と、逡巡し結局「好きにしろ」という一言のみを発した俺は止めていた足を再び動かし、学校へと歩きはじめる。


「なら、一緒に行こ!」


 嬉しいのだと。顔を見ていなくても分かるほど興奮した声色を放った峰産は、大胆にも俺の腕に自身の腕をからめてくる。


 流石に此処まで過度なスキンシップを許すつもりのない俺は、峰産のその腕を解こうと自身の腕に力を込める。――が、すぐに止めた。


 どう見ても非力な女生徒である峰産。かたや、筋トレこそしてはいないものの、年相応の筋力程度はある男子生徒の俺。その腕力の差は体格的にも如実であり、峰産の腕もまた引き剥がすことは容易だろう。


 だがもし、無理に引き剥がして怪我でもしたらどうする?


 もしそのことが原因で峰産の心が傷つきでもしたらどうする?


 もしそんなことにでもなれば、昨日の苦労が泡になるどころか、最悪の場合イーヴァが言っていたように、峰産に憑く『事象』が【姑獲鳥】から『鬼子母神』に進化してしまうかもしれない。


 だから俺は無理に峰産のその腕を解かない。


「今日の英語の時間、確か小テストをするって先生が前に言ってたけど、四ツ谷くんは勉強してきた?」


 まるで仲の良いクラスメイト同士が話すような会話を俺に振ってくる峰産。だがそんな普通の会話に慣れていない俺は、そんな彼女に対して「おう、」と必要最低限の言葉のみを打ち返す。


 本当ならば気の利いた言葉、それこそ「俺は勉強してきたけど、峰産はやってきたのか?」などと相手にも質問するぐらいの言葉を返したりするべきだったのだろう。というか、彼女の心を傷つけないようにするためにも、俺はそうしなければならなかったはずだ。


 少し、失敗したな。と自分が発した言葉を悔いながら峰産の顔を横目で見やれば、彼女は笑っていた。


 素っ気のない、ぶっきらぼうな言葉を返されたにもかかわらず、峰産は俺の腕を抱きしめたまま笑っていた。いや、むしろ「あっ、そうなんだ。四ツ谷くんって意外に真面目なんだね」とその笑顔を浮かべたまま言ってくるほどだ。


 ――峰産は傷ついていない。


 峰産は、俺の粗野な言葉を聞いても、傷つかない。


 その事実にホッと胸を撫で下ろした俺は横目で見ていた峰産から目を離し、改めて正面を向く。


 今日からきっと、学校内の噂は『連日校内で倒れている生徒や教師の話』から『たった一晩でがらりとその姿を変えた峰産についての話』でもちきりになることだろう。そしてその噂もまた数日もすれば、新たな噂に塗り替えられ、きっと誰もが忘れてゆく。


 そうなることを願い、そうなることを祈り、そうなることを望みながら――俺はチクチクと刺さる周囲の視線の中、俺の腕にしがみつく峰産と共に、学校の校門をくぐった。



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