1話-②


 自宅にイーヴァを一晩泊めた翌日の朝、不良じみた格好になるようしっかりと身支度を整えた俺はいつものように学校へと向かっていた。


 朝方は夕暮れ時とは違いバケモノたちの数は少なく、小さなバケモノに髪の毛を引っ張られたり、不良ぶる為に着けている腰元のシルバーアクセサリーに絡まれたりする程度のイタズラしか受けない。……のだが、今日はそんないつもの朝とは違い快適そのものだった。


 というのも俺の首に抱きつくようにして背面で浮いているイーヴァが、俺にイタズラを仕掛けようとしてくるバケモノたちを、指先で弾いたりして退けてくれているからだ。


「朝方でもこの辺りは魔なるモノが多いな」


 そう言いながらまた一匹、小さなバケモノを指先で弾くイーヴァ。


「そういえばその『魔なるモノ』って、このバケモノたちのことか?」


 夕暮れ時ほど数は多くないが、電柱の陰や住宅街の脇にある溝から俺たち二人の様子を窺っている小さなバケモノたちを指さしてみればイーヴァは「そうだ」と頷く。


「このモノらは力に飢えた負の思念体。力を得る為ならば人間を蝕み、邪なことへと誘おうともする厄介なモノだ。とはいえ普通の人間であればそう簡単にとり憑かれたり、ましてや蝕まれたりすることはない」


 浮遊しながら俺に近付こうとしていた別のバケモノ――否、魔なるモノをイーヴァは手で軽く追い払う。


「このモノらも今は小さいが、飢えに従い人間を蝕み、地脈の力を得たりすれば昨日ナツヲを襲ったような巨大なモノになり果てる」


「え、アレも元はこんな小さかったのか?」


「無論だ。魔なるモノたちも植物や動物と同じで、最初から巨大なモノなど居はしない。根幹となる種が在り、そこから徐々に発達することで大きさを得るのだ」


 「ただ、アレほどまでに巨大化しているとなると、人間に直接害を成してもおかしくはあるまい」と、イーヴァは物騒な言葉も付け加えてくる。


「……前までは、コイツらもこんなに多くはなかったし、昨日みたいに襲われるようなこともなかったんだけどな」


 今まで生きてきた中で多少追いかけまわされたり傷つけられたりしはしたが、命を脅かされていると感じるようになったのはここ最近になってからだ。


「ふむ、それはおそらく地脈が活性化しているせいだろう」


「地脈が活性化……?」


 理科か、あるいは地理の類で使いそうな言葉だが、ソレが何か関係しているのだろうか?


「してナツヲよ。龍脈という言葉に聞き覚えはあるか?」


「たしか、地面の中にある気の流れ……とか、そんな感じのモノのことだよな?」


 ゲームや漫画などの類で知った知識を言ってみれば、イーヴァは「そうだ」と頷く。


「地脈――いわば龍脈が活性化すると、龍脈が齎すエネルギーを得た魔なるモノが巨大化したり凶暴化したりすることがあるのだ。それこそ近年では都市開発と称し、その龍脈を管理するための社を取り壊すこともあるようだから、制御を失い、噴き出たエネルギーの恩恵を魔なるモノも受けているのだろう」


「そう、なのか?」


 地脈だとか龍脈だとか、それを制御するための社がどうこうという話は俺には分からない。だが本当にコイツの言う通り、ソレが理由で魔なるモノたちが巨大化したり、凶暴化したりしているのなら、納得はできる。


「まあそのおかげで、信仰心のなくなってしまっている私でもこうやって存在していられるのだが」


「えッ、今のアンタって信仰心ゼロなのか?」


 それなのに【神】を自称するだなんて、豪胆というか、傲慢な気がする。


「昔はきちんと称えられていたし望まれてもいた。だが、人間の心は移り変わるものだから仕方があるまい」


 「はぁ、」と気落ちをしたかのように息を吐き出すイーヴァ。昨日もなんとなく見ていて分かってはいたのだが、正直表情の固いイーヴァの顔は笑っているのか悲しんでいるのか判別がつかない。眼は口ほどにものを言う、なんて言われている瞳を覗こうともイーヴァは瞼を伏しめがちにしているから鮮明に見ることも出来ない。


 それでも、今イーヴァが浮かべている表情に、俺はどことなく悲しみや憂いを感じてしまった。


 もしかしたら俺は、訊くべきではないことをイーヴァに訊ねてしまったのかもしれない。


 どうにかして会話の流れを変えようと「なあ、神様って、イーヴァ以外にも居るのか?」と、別の質問をしてみれば、「ああ、居る」とすぐに答えてくれた。


「それこそ今はこの列島の地脈が活性化しているからな。古来より列島に住まう神々や、外つ国より来たる神々が自身の領地拡大とエネルギー補給を目論み争っている。いずれ近いうちに、ナツヲもその姿を目にすることになるだろう」


 俺の知らない所でそんなことがこの国の中で繰り広げられているのか。と思った反面、そんなこと知らなくて当然だろうとも思い直す。


 外に出れば魔なるモノに危害を加えられることの多い俺は、こうやって学校と自宅を行き来するか、週に一度買い物をしに行く以外碌に外出をしないから。例えそんなことが外で起きていたとしても知るわけがないのだ。


 そうやってしばらくの間イーヴァと会話をしていれば、自ずと俺の足は自宅のある住宅街を抜け、大通りへと出てしまう。そうすれば通勤途中の大人たちに紛れて、俺と同じ学校の制服を着た生徒たちの姿が目に入ってくる。


 そして、それは生徒たちの方も同じだったらしい。

 俺の姿を認めた瞬間、露骨に俺を避けるようにして走り去る生徒や、急に顔をひそめる生徒。そんな彼らを一瞥し、俺は大通りを歩きはじめた。


「ナツヲはこの一帯の子供たちに、ずいぶんと恐れられているようだな」


 俺の両肩に手を置き、上方で周囲を見渡すイーヴァも俺を見るや否や距離を取ったり、いぶかしげな表情をしたりする生徒たちの露骨な態度に気が付いたのだろう。


 というか、昨日と同じく服も着ていない全裸なイーヴァのことは、普通の人間に見えてはいないだろうな? と今更ながらに心配になってくる。もし魔なるモノとは違ってコイツの姿が見えているのだとしたら、『不良』のレッテルに加えて『変態』のレッテルも貼られかねない。というより、間違いなく通報される。


「む、案ずることは無いぞ、ナツヲ。瞳に魔なるモノさえ映せぬ唯人に、私の姿など見えはしないからな」


「ふぅん、なら良いけど」


 ほっと、胸を撫で下ろすように息を吐けば、ちらちらとこちらに視線を向けながら会話をしている同じクラスの女生徒たちの姿が目に入った。


「昨日さ、四ツ谷が誰かに追いかけられてたのアタシ見ちゃったんだけどー」


「もしかしてまた喧嘩でもして、警察に追いかけられてたんじゃない?」


「ほんっと、そういうのやめてほしいよねー。ウチらだって来年は受験なんだからさー」


 まるでわざと俺に聴かせるようにしてそう言い合う女生徒たち。彼女たちに対して「喧嘩なんてしてねぇし、そもそも警察に追いかけられるようなこともしてねぇよ」と言いたくなりはしたが、俺はソレを堪えて彼女たちの脇を通り過ぎる。


「ああいう唯人の言うことなどに耳を貸すことはないぞ、ナツヲ。お前がとても優しく、思いやりのある子であるということは、私が一番知っているのだからな」


 ぽんぽん、と俺の頭を撫でてくるイーヴァ。


「お前の『優しさ』も、お前の『愚かさ』も、お前の無垢な寝顔も。私だけが知っていれば良いのだから」


 ……俺の無垢な寝顔? まさかコイツ!


 俺の心を癒すような言葉に紛れてとんでもない単語を入れてきたイーヴァに対し、俺は静かに「……アンタまさかとは思うが一晩中俺の顔を眺めてたとか、そう言うのはねぇだろうな」と問いかける。


「あるが、どうかしたのか」


「あンのかよ!」


 イーヴァに対してだけの突っ込みのつもりだったが、俺の声はかなり大きく響いてしまったらしい。周りの視線が一斉に俺に集中したことを自覚した俺は、一目散に学校の方へと駆け出す。


「ナツヲよ、今更ではあるが普通の生活がしたいのであれば人前で私と会話することは避けた方が良いだろう」


「ンなこと、今ので十分身に染みたわ!」






 初めて誰かと――、とはいっても普通の人にはその姿を認識することも出来ないイーヴァと共に学校へやって来た俺は、授業もまた共に受け、昼食時も共に行動していた。


 いつものように人目につかない屋上近くの階段にイーヴァと共に腰掛け、俺は購買で買った焼きそばパンに齧り付く。


「イーヴァはさ、俺が授業を受けてる間ずっと教室に居るけど退屈じゃねぇのか?」


 授業中、俺以外の誰にも見えていないのを良いことに、教室内を気ままに浮遊していたイーヴァ。その様子を思い出しながら、隣に座る本人に訊ねてみれば、「私はお前と一緒に居られればそれで良いからな。退屈ではないぞ」という答えが返ってくる。


「な、なら良いけどよ……」


 何を考えているのか、何を思っているのかさっぱりわからないイーヴァに、「俺と一緒に居られればそれで良い」だなんてことを言われるとは思っていなかった俺は、気恥ずかしさを紛らわそうと再び焼きそばパンに齧り付く。


 こんなまっすぐな言葉を受けたのは初めてだ。


 否。それどころかこんなにも長く誰かと喋ったのも初めてだし、こんなにも長く誰かと行動したのも初めてだ。


 イーヴァとは昨日の夕方に会ったばかりだが、そんなコイツと行動をしたり、会話をしたりすればするほど、俺は『もしも』からなる淡い期待を抱いてしまう。


 もしも、俺が魔なるモノにイタズラを掛けられたり、引き寄せたりする体質でさえなければ。


 もしも、俺がありのままの自分で他人と接していられたならば。


 もしも、他人に魔なるモノたちの害が及ぶことを厭わなければ。


 もしも、魔なるモノに襲われ、困っている誰かが見えなければ。


 俺はクラスメイトたちと仲良くなれたかもしれない。それこそ、友達の一人や二人だってできていたかもしれない。


 でも俺にはどうしても他人を見捨てるような非道なことは出来なかった。


「だからお前は自らを犠牲にし続けた。そして、【繋ぐ神】たる私に『普通の人間と同じ、普通の生活を送れるようになりたい』と望んでいる」


 言葉を発することなく、もぐもぐと焼きそばパンを食べながら考え事をしていた俺に対して、そう応えてくるイーヴァ。詳しいことは実際に訊いてはいないが、やはりコイツは俺の考えていることや思っていることを明確に読み取っている節がある。


「ナツヲは相変わらず、愚かなまでに『優しい』な」


 褒め言葉にならないような言葉を言いながら「ふ、」と息を軽く吐き、緩やかにその瞼を細めてくる。おそらく今コイツが浮かべている表情は笑みだろう。


 そんなコイツに対して反論の一つでもしてやりたくはあったが、ここでイーヴァとの関係をこじらせてはまずいだろうと思い、咀嚼していた焼きそばパンと共に反論の言葉を飲み下す。


「……それで、学校が終わったら家に帰ることになるわけだけど、どうすンだ? 多分昨日のヤツ、今日も来ると思うぞ」


「もしそうなったら、昨日同様私の外殻で縛り、動きを封じる。そしてその間に距離を稼ぐかお前を運べば良いだろう」


 平然とした口調でそう言うイーヴァに、一瞬俺も賛同の声を上げそうになる。だが俺がアレから早々と逃げることにより、別の誰かがアレの被害にあうのではないだろうか? という一つの疑問が頭をよぎった。


 学校へ来る途中、昨日俺を襲ったあの粘性の巨大な魔なるモノについてはイーヴァも「ただ、あれほどまでに巨大化しているとなると、人間に直接害を成してもおかしくはあるまい」と言っていたから、その可能性は大いにあるに違いない。


 だとしたら――俺は、イーヴァの提案に頷けない。


 何故なら俺は、俺のせいで周りが傷つくのが許せないから。


 何故なら俺は、俺以外の誰かが傷ついているのを見過ごすことが出来ないから。


 だから俺は、逃げるべきではない。


 俺は、逃げてはいけない。


 それに今の俺には足止め程度なら出来るイーヴァが居るのだから、せめて人気のないところにまであの魔なるモノを誘導してくるぐらいはするべきだ。そしてその際に起きるかもしれない俺への被害も、死んでしまうような代物でさえなければ受け入れる覚悟はある。


「……ナツヲよ。何故お前はそうしてまで他人を庇い、自らを犠牲にしようとする? お前は他人に優しくされたことさえ無いのだろう?」


 確かにイーヴァの言う通り、俺は家族以外の誰かに優しくされたことがない。だが、それでも他者に優しくありたいと思ったり、陰ながら優しくしたりすることは、なにもおかしなことではないはずだ。


「理由なんていらねぇだろ。俺はそうしたいから、してンだよ」


 理由はない。そう言った俺をじっと見つめてくるイーヴァ。その金の瞳は俺の考えていることだけではなく、本心でさえも見抜こうとしているように見えて、俺は続けて唇を開いてしまう。


「……俺は、これ以上自分を偽りたくねぇンだよ」


 ただでさえ自分自身を偽ったり、他人に偽りの自分を見せたりしているのだから。せめて陰ながらの行動だけでも、ありのままの自分で居たいのだ。


「だとしてもお前の犠牲と、他人の犠牲が釣り合うとは到底判断できない」


「そうだとしても、俺は……、俺は誰かの為に、何かをしたい」


 後半部分は消え入りそうな声になってしまいはしたが、おそらく隣に居るイーヴァの耳にはしっかりと届いていることだろう。


 俺は、例え昨日の魔なるモノを倒すことが出来なくても。昨日のモノなんか比ではない存在が今後現れたとしても。自分が抱くこの意思だけは、変えたりはしない。俺は、俺が出来ることをしたい。俺の出来る範囲で、誰かを守りたい。


 そんな俺の意思に根負けしたのだろうか。隣に居るイーヴァは再び「ふ、」と息を軽く吐き、緩やかにその瞼を細めた。しかし浮かべる表情は先ほどまで浮かべていた笑みとは違い、真剣なものになっている……気がする。


「……昨日お前を襲ったあの魔なるモノを倒すことをお前が望み、お前が私を信じるのであれば、強大化してしまった魔なるモノを命の巡りに還すことも不可能ではない」


「本当か!」


 イーヴァからの思わぬ提案に、ぐしゃり、と音を立てて握っていた焼きそばパンの袋が中身のモノと共に握り潰される。


「――ただし、それなりの覚悟が必要になるぞ」


 真剣な表情、と思しき顔つきで俺を見つめるイーヴァ。まるで俺にその覚悟があるのか問いかけてきているソレに、俺は頷き返す。


「覚悟なら、ある」


「……ならば私はナツヲの覚悟と、愚かなまでの『優しさ』に期待し応えるとしよう」


 一区切りついた俺たちの会話を見計らったかのように、授業開始五分前を告げるチャイムが響き渡る。


「やッべ、もう時間か!」


 うっかり握り潰してしまっていた焼きそばパンを全て口に入れ、俺は立ち上がる。そして未だ階段に腰掛けているイーヴァへ振り向き、手を伸ばす。


「ほら、行くぞ」


 ごくん、とパンを飲み込みそう言えば、イーヴァは真剣だった表情を緩め俺が差し出す手へと自身の手を伸ばし、握った。


 きっと。きっと友達とは、こういうことを当然として行える存在なのだろう。ということは、イーヴァも俺にとっては友達のようなものなのだろうか?


 誰かとの交流が初めてである俺には、友達の線引きが分からない。それにイーヴァが俺に対して何を思っているのか、計りかねている部分だってある。でも、少なくとも。俺が勝手にイーヴァの事を友達だと思うぐらいは――許されるのではないだろうか。


 俺の手を握ってくれたイーヴァの手を引き、俺はイーヴァと共に階段を下りる。


「してナツヲよ。午後の授業とやらは何をするのだ?」


「今日は数学と英語。あー、もし俺が寝そうだったら起こしてくれよ」


「なるほど、了承した」




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