最近同居しはじめた自称【神】が×××な件について!

威剣朔也

1話 俺を助けてくれたのは、全裸の自称【神】でした!

1話-①



「ハァ、ハァッ」


 辺り一帯の風景が橙に染め上げられている中、俺は猛スピードで走っていた。


 夕暮れ時の時間帯。それも仕事終わりの大人や学校帰りの学生が行き交う大通り。そんな時間と場所において、俺の姿はただの帰路を急ぐ学生に見えていることだろう。しかしそれは、俺の後ろを追いかけて来ているバケモノを認識出来ない普通の人間にとっての話だ。


 それなりに人が行き交う大通りを走り後方を振り帰ってみれば、相変わらず黒い粘性のバケモノ――巨大なスライムとでも呼べそうな物体が、俺の方へと迫ってきていた。


 先週の終わりに姿を現したソレは、日に日にその体積を肥大化させ、移動速度さえも早めてきている。それこそ昨日までであればそれなりの距離を保って家まで帰ることができていたのに、今日のソレは俺の走る速度にほど近い。最悪の場合、家に辿りつく前に捕まってしまう可能性すらあるだろう。


 着実に距離を狭めてくる黒い粘性のバケモノから目を背け、俺はまっすぐ前を見すえて走る。


 決して頭が良い部類とは言えない俺でも、一度アレに捕まってしまったが最後、逃げることが叶いそうにないことぐらい、その姿から容易に予想が付けられる。だから、そうなってしまわないよう出来るだけ素早く足を動かすのだ。


「ンなヤツに捕まってたまるかよッ!」


 他の誰でもない、自分を奮い立たせるように言葉を吐き捨てれば、横を通り過ぎた同じ学校の制服を着た女子たちが身を寄せ合いひそひそと話し始めるのが分かった。だがそんな女子たちを無視し、俺は大通りから伸びる細い脇道に足を踏み入れる。


 今まで走っていた大通りから一変して、ひと一人の姿さえないその道。閑静というよりかはどんよりとした陰鬱な雰囲気さえ出てしまっているそこは、俺の自宅もある住宅街の入り口だ。


 大通りに隣接してはいるものの、この一帯の住宅街は空き家が多い。そのためほとんどの家の窓は一様に閉めきられ、茫々と伸びる雑草が塀から飛び出している。しかも空を染める橙の夕焼け色も相まって、その住宅街の色も異様に黒く影っているような印象さえ俺に与えてくる。


 そんな閑散とした住宅街の道を走りながら、改めて後ろを確認してみれば、相変わらず巨大な粘性のバケモノが俺を追いかけてきていた。しかも大通りで見た時よりも着実に、俺との距離を狭めさえして。


 少なくとも、今すぐに捕まってしまうような距離ではない。だが、自宅まではまだまだ距離があるし、気を抜くべきではないのは明らかだ。


 視線を前へと戻し、俺は最短距離で家へと帰る道を辿る。


「ッ、何だって俺がンな目に合わなくちゃいけねぇンだ!」


 最近になってから、やたらとその数を増し続けているバケモノたち。ソレらはおそらく世間一般的には怪異や、妖怪などと言われる類の存在だろう。


 夕暮れ時になった途端、大量に姿を現すバケモノたちの対処をするためネットや文献で調べた時に当て嵌るモノたちも居たから、少なくともソレらの一部は昔からいる存在であり、見える人間には見えるに違いない。だが大通りですれ違っていた人々の目にはおろか、俺の両親にでさえ認識できていないということを鑑みるに、今の時代、見える人間は限りなく少ないのだろう。


「チッ、鬱陶しい! 邪魔、だッ!」


 電柱の陰や塀の隙間から現れ、俺の足へまとわりついてくる小さなバケモノたち。ソレらを足の遠心力のみで振り払えば「バチュン!」と弾けるような音を立てて近隣の塀へと叩きつけられる。だがその程度の事ではその小さなバケモノたちは怖気づかないらしい。いや、そもそも恐怖心を抱くほどの知能を携えているかさえ怪しいソレらは、改めて俺の足へとまとわりつきはじめた。


 俺を追う後ろのバケモノよりかなり小さい分、やたらと俊敏で、そのくせいやに重たいソレら。流石にがんじがらめにされて動けなくなるほどの数が居るわけではないが、ソレらの重みは確実に俺の足から速度を奪っている。


 足が重い。思うように走れない。


 このままでは後ろの大きなバケモノに、捕まってしまう。


 そんなタイミングで振り返るべきではないだろう。だが念のため後方に居るだろうバケモノの様子を確かめれば、案の定ソレは俺の後ろに居て、その距離を著しく詰めて来ていた。それもずるずるという鈍い音が俺の耳に届いてしまうほど近くにまで。


 このままでは逃げ切るどころか、此処で捕まってしまう。


 そして捕まってしまったが最後、俺はいったいどうなってしまうのだろう。


 死ぬのだろうか? それとも、生きたままその粘性と思しき身体の中に取り込まれてしまうのだろうか?


 ずるずると音を立てて俺へと近付いてくる黒い粘性のバケモノ。しかもソレが近付けば近付くほど生ごみのような腐臭が鼻を突きさえしてくるから、俺は余計に恐ろしくなる。


 こんな腐った臭いを放つバケモノに捕まったら、すぐに殺されるにしろ、生きたまま取り込まれるにしろ、人生の結末として喜ばしくない終わりなのは明白だ。


 そんな喜ばしくない終わりから出来るだけ逃れようと必死に足を動かすが、やはりそのバケモノとの距離を広げることはできない。それどころか着かず離れずの時間が長引けば長引くほど、俺の中でそのバケモノに対する恐ろしさが徐々に大きくなってゆく。


 怖い、恐ろしい、絶対に捕まりたくない。


 小さなバケモノたちに群がられ、重たくなった身体を引きずるように逃げていれば、唐突に『さみしいん、で、しょう?』と可愛らしい少女の声が聞こえてきた。


『だれ、も、いなく、て、さみしいん、で、しょう?』


 口と思しき部分を僅かに揺らし、生臭い腐臭と共にそう俺に声を掛けてくる黒い粘性のバケモノ。流石にソレ相手に言葉を返すことはしないが、見た目や臭いからは考えもつかないほど優しい声に対し、俺は内心で「そう、俺はさみしいんだ」と答えていた。


 学校へ行っても楽しいことなんて何一つない。


 友達なんて者、居もしなければ、周りの生徒はおろか教師たちでさえ俺のことを手の付けられない『不良』として扱い、近付きもしない。


 そうなるように仕組んだのは俺自身だから、その現状に不満があるわけではない。だけど俺だって、別に好きでそうなるように仕組んだわけじゃない。


 ただ、そうするしか方法がなかっただけ。


 物心ついた頃から既にバケモノたちの姿が見えていた俺は、必然的に目が合うことになるソレらに興味を持たれ、追いかけまわされたりしていた。だがそのバケモノを見ることが出来ない周りの人間たちは、ソレらから逃げ惑う俺を、あるいはソレらに対抗しようとする俺の行動を異常だとみなした。


 俺の両親は初めての子育てということもあり、俺のその行動を『個性』だと尊重してくれていた。だが小学校に上がる頃合いとなると、その『個性』があまりに強すぎると見かねたらしい。母親が「できるだけヒトの行動だけを見て行動するように」と教えてくれたことは、俺の中で強く記憶に残っている。


 しかし今も尚俺の記憶に残っているからといって、当時の幼い俺にはその言葉の意味を理解することは出来なかったし、その言葉に従いきることも出来なかった。


 というのも例え俺がバケモノに興味を示さないようにしていても、俺に気付いたソレらが一方的に俺にちょっかいをかけてきたり、危害を加えてきたりするからだ。


 それ故に、俺はどうしても異常な行動を取らざるをえなかった。


 そしてその結果、俺は中学校に上がった頃には既に『喧嘩による生傷の絶えない、やや独り言の多い不良少年』というレッテルを周りの大人、そして子供たちから貼り付けられていた。


 勿論幼少のころからの異常行動に加えて、不良少年というレッテル。周りからの歪んだその悪評は俺にとってかなり不本意なものだった。


 しかし、それでも俺がそのレッテルを受け入れ周りから倦厭されているおかげで、俺以外の誰かがバケモノに襲われてはいないという事実は俺の誉れであり慰めでもあった。だから俺は高校に進学すると同時にその悪評を利用し、自ら率先して人に避けられるよう仕組みさえしているのだ。


 それこそ見た目から倦厭されるよう、不良の格好を真似して箇所にシルバーアクセサリーをつけてみたり、言葉遣いも不良ぶったものを意識してみたり。俺自身の性分として少しばかり無理をしている部分もあるが、その努力の甲斐あってかバケモノたちの被害にあっているのは今も俺、一人だけだ。


 だが――目の前のバケモノが言った通り、俺はさみしいのだ。


 せめて友達の一人ぐらいは欲しかったと悔やむほど、俺は他人との関係に飢えているのだ。


『なら、いっしょに、いよ、う?』


 まるで俺の意思を汲みとり、俺が望む言葉を放つバケモノ。


 確かに俺は他人との関係に飢えてはいる。だがそれでも、此処まで俺を育ててくれた両親の為にも、高校ぐらいはきちんと卒業しなくてはならないという気持ちもあるのだ。


 例え周りから『不良』だと言われても。そのことにひどく悩み、家の中で荒れていたことがあっても。両親は変わらず、ずっと俺の『個性』を認め続けてくれていた。それに、仕事の都合で遠方に行っている今も、おそらく認めてくれているのだから。


 だがその一方で、目の前に居るバケモノから発される誘いに心が惹かれないわけでもないのだ。


 いいや。むしろ見た目こそ好きになれそうにはないが、このままコレと一緒になってしまっても案外悪くないのでは? と思ってしまうほどに、強く惹かれてしまっている。


『いっしょ、に、いよ、う? そした、ら、もう、さみしく、ない』


 俺の心の揺らぎを目ざとく察知したのだろう。畳みかけるようにしてそう言ってきたバケモノは俺のすぐ傍まで寄ると、今まで僅かに揺らすだけだった口と思しき箇所を大きく開いた。


 巨大な黒のスライムを思わせる外観とは裏腹に、その内部は人間の咥内と同じ生々しいまでの赤い肉。しかもその内部には黄ばんだ歯さえ並び、咥内では糸を引く唾液が夕日でテラテラと輝いている。


 多分、こういうモノこそ、『醜悪』という言葉がピタリと当てはまるのだろう。と、目の前に示された現実を冷静に判断してしまう。だがそのバケモノが口から腐臭を更に強烈にした匂いを吐き出した瞬間、俺が抱いたのは純粋な『恐怖』だった。


 ――こんなモノに食われるなんて、絶対に嫌だ。


 しかも悪いことに、俺が思っているより俺の脳はこの現状に驚いていたらしい。ストン、と糸の切れた操り人形のように俺の腰が抜け、その場から一歩も動けない状態になってしまった。


「ッ……!」


 こんな所で腰を抜かしている場合ではないというのに!


 目の前のバケモノから逃げなければならないというのに!


「い、いやだ」


 こんなところで、死にたくない。


 動けなくなった俺に更なる恐怖でも与えたいのだろうか。俺を追い掛けていた時とは違い、にじり寄るようにゆっくりと俺との距離を狭めてくるバケモノ。


 腰を抜かしてしまっているため立ち上ることこそ儘ならないが、それでもなんとか動く手を使い、迫りくる巨大な口から遠ざかろうとする。だが例え僅か数センチ遠ざかることが出来たとしても、すぐにその距離は狭められてしまう。


「死にたく、ない」


 楽しいことなんて、何一つなくとも。


 誰とも会話することなく、一日が終わってしまおうとも。


 誰かの笑みを見たのが、いつだったか思い出せなくとも。


 こんなところで死にたくなんかない。


 それも、得体の知れないバケモノに食われて死ぬなんて、絶対に嫌だ。


 だから、誰でも構わないから俺を――、


「……助けてくれ」


 恐怖と共に、死を眼前にしているせいだろうか。絞り出すような、それこそ風が吹きでもすれば掻き消えてしまうようなか細い声しか出せなかった俺は「いやだ、嫌だ」と顔を振る。


 こんなか細い声では。こんな小さな声では。誰の耳にも届くわけがない。


 だというのに、どうしてだろう。そんな俺の小さくか細い声に応えるように、声が聞こえた気がした。


「――お前がそう、望むなら」


 そう望まれることを待っていたかのような言葉に、男とも女とも取れる声色。どこかひんやりとした冷たさを纏う声を認識した次の瞬間、「ゴウッ」と頬を切るかと思うほどの突風が俺の周りで巻き上がった。


「ッ!」


 突然の風に目を閉じ、収まった頃合いで見開けば俺の目の前には全裸のヒトが居た。


 整えられていない癖のある白髪に、わき腹に並ぶ肋骨が如実に見て取れるほど痩せた身体。血が通っていないのではないかと思うほどの白い肌には、今にも発光しそうな青い蛍光色の刺青が描かれている。


 コスプレの類か? と思ったが、俺と対峙するようにして目の前に立っているこの『ヒト』は衣服らしい衣服を着ていない。そう、正真正銘の全裸であり――何故かその上半身にも下腹部にも、ついているべき物体がついていなかった。いやむしろ、よく見てみれば足元が数センチ地面から浮きさえしている。


 まさか、コイツも俺に襲い掛かって来ていたバケモノと同じ類のモノなのだろうか?


 ゾッと鳥肌が立つ中、俺を守るような立ち位置で現れたヒトと思しきモノが邪魔だったのだろう。俺へ襲い掛かろうとしていた黒い粘性のバケモノが改めて醜悪な口を開け、バケモノに対して背を向けているソイツへ食い掛かる。


「ッ、アンタ、後ろ!」


 誰かに助けてはもらいたかった。でも俺を助けようとした誰かが――例えそれが、ヒトではないモノであったとしても、犠牲になるなんてことはあるべきじゃない。助かるならば、俺を助けようとした誰かに被害があるべきではないんだ。


 腰は相変わらず抜けたままでろくに立ち上がれそうにもないが、俺は咄嗟に目の前に居るソイツに手を伸ばす。そうすればその意図を察したのかソイツは半歩俺に近付き、寸前のところで背後に居るバケモノの歯牙を避けた。


 そしてほんの僅か視線を動かし、自分へと襲い掛かって来たバケモノの方へ手を一振りする。コイツはいったい何をしたんだ? と疑問を抱こうとした次の瞬間、何処からともなく赤と黒の模様が描かれた帯状の物体が現れ、バケモノの身体を締め上げた。


「久しいな、ナツヲ。順当に育っているようで何よりだ」


 ナツヲ――、名乗っていないはずの俺の名前を呼んでくるヒトと思しき誰か。どうしてコイツは俺の名前を知っているのだろうか。


「病弱であった頃よりずっと良い肌艶だが……寝不足か? あまり健康的な目元ではないな」


 俺の疑問を知る由もないソイツは腰を抜かした状態で居る俺の前に屈みこむと、自身の細い指で俺の目元を撫でてきた。


 バケモノに対しては愚か、初めて会った人間に対してでさえ顔を触られるなど、普通怖気が走る代物だろう。だが不思議と目の前のソイツに触れられても嫌な気持ちになることはなかった。それどころか不思議と懐かしい気持ちにさえなってくる。


 俺はコイツと、どこかで会ったことがあるのだろうか?


 少なくともコイツは俺の名前も知っていたから、もしかしたら俺が幼い時に出会っているのかもしれない。


「ふむ、お前が私のことを覚えていないのは当然のことだからな」


 まるで俺の考えていることを読み取ったかのような発言をしたソイツは、「故に、私はお前に名を告げよう」と、俺の耳元に自身の顔を寄せる。


「私はイーヴァ・ニーヴァ。はるか昔、外つ国(とつくに)で創られた【繋ぐ神】。気軽にイーヴァと呼んでくれて構わないぞ、ナツヲ」


 自らを【神】と称した全裸のヒトと思しき者。改め、イーヴァは俺の耳元から顔を離し、背後に居たバケモノの方をやっと正面から見定めた。


 そのバケモノはイーヴァが出していた帯に縛られている様ではあったが、バケモノの力が強いのか、あるいはイーヴァの帯が拘束に向いていないのか。帯には既にいくつもの亀裂が入ってしまっている。


「ふむ、現状ではいささか分が悪いな」


 だがそんな状態の帯を放置し、イーヴァは俺の方へとすぐさま向き直る。そして腰を抜かして動けないでいる俺の脇に自身の細い両手を差し入れ、持ち上げた。


「え、なッ?」


 立ち上がれないでいる俺を立たせるつもりでそうしたのかと思ったが、瞬時にその考えは無くなった。何故ならそう、俺の足が地面から離れたのを感じ取ってしまったからだ。


「さあナツヲ。家に帰るのだろう? あの魔なるモノが私の外殻を壊しきってしまう前に、私をお前の家の場所まで案内してくれ」


 イーヴァがそう言っている間にも、確実に俺の足元から地面が遠のいていく。


「さあ、早くナツヲの家を私に教えてくれないか?」


 俺の顔を覗き込むように俺を見下ろしてくる人間の形をしたバケモノ。伏し目がちな瞼の向こうある金色の瞳が、まるで脅迫でもするように俺の瞳を射抜いた。


 ――このまま何も答えずに居たら、きっと落とされる。


 俺を覗き込んでくるイーヴァから目を逸らし恐る恐る下を見てみれば、既に住宅街の屋根を超えた所にまで持ち上げられていた。


 ――そして、落とされたが最後多分死ぬ。


「ナツヲ、まだ教えてくれないのか?」


 焦れているのだろうか。再び俺を脅迫するような言葉を言ってくるイーヴァ。


 もしかしたらコイツ本人には、俺を脅迫しているという意図はないのかもしれない。否、そもそも俺の命を握っているのだという自覚もないのだろう。だが、コイツに俺の生死を握られている身としては、「脅迫されている」と感じずにはいられない。


 死にたくない。殺されたくない。その一心で俺は自分の家の場所をイーヴァに告げる。


「なるほど、ではそちらへ早速向かうとしよう」


 空を飛ぶ。というよりかは、クレーンゲームのアームに運ばれでもしているかのような状態でイーヴァに運ばれている俺は、ひたすら自分自身の安全を祈った。


 どうか無事に家へと帰ることが出来ますように、と。





 閑散とした住宅街の上空を通り、俺を家の前まで送り届けてくれたイーヴァ。運び方こそ雑な気もしたが、ゆっくりと俺を労わるようにして地上へと下ろしてくれたところを鑑みるに、多少は気遣いが出来るヤツのようだ。それにイーヴァに運ばれている間に、抜けていた腰も戻ったらしく、特に問題なく立ててもいる。


 「ぱたぱたぱた」と自分でも驚くほど足取り軽く家の敷地へと入り、俺は鞄から自宅の鍵を取り出し玄関を開ける。


「ただいまー」


 そう帰宅の声を発するが、明かりの一つもついていない家の中からは返事はない。まあ、両親不在の今、この家に住んでいるのは俺一人なのだから当然だろう。


「なぁ、アンタ……」


 バケモノに襲われ殺されかけていた俺を助け出し、家まで送り届けてくれたイーヴァに声を掛けようと振り返れば、ソイツは呆然と家の前の道路で立ち尽くしていた。まあ、正確に言うのであれば、足が地に着いていないから『呆然と浮かび尽くしている』と例えた方が良いのだろうが。


「家に入らねぇのか?」


「……入っても、構わないのか?」


 俺の問いかけに逡巡するかのように、僅かに家の外観を眺めるイーヴァ。見知らずのヤツ――それも、おそらくバケモノと大差ない存在に違いないモノを家内に招こうとする俺が戸惑うならまだしも、イーヴァ自身が家の中に入ることに何か躊躇いでもあるのだろうか?


 だがあまり玄関の扉を開けたままにはしておきたくない俺が「……早く入れ。外にいたらまたあんなヤツが来るかもしれないだろ」と言えば、ソイツは「それもそうだな」と一つ頷き、家敷地を跨いで、家の中と入ってくる。


 イーヴァを家に招き入れた後、念のために家の鍵を閉めておこうと扉の方を向けば、俺の背にひんやりとした重たさが伝わってきた。


「ああ、ナツヲ……」


 首元に腕を回し俺を抱きしめてきたイーヴァが、耳元で吐息混じりに俺の名を呼ぶ。


「なッ!」


 俺は、家に招き入れてしまってはいけないモノを入れてしまったのではないだろうか。


 嗚呼ッ! 危機的状況から助けてもらったとはいえ、気を許したりするべきじゃなかったんだ! 得体の知れない相手に、無防備になるべきじゃなかったんだ! それに、もしかしたらコイツが俺に向けた優しさは、俺に気を許させるための演技だった可能性だってある!


 得体の知れない相手に絆されてしまっていたことを激しく悔いながら。しかしそれでも、コイツが俺に優しくしてくれたことが演技で、嘘だなんてことあってほしくはないと思いながら。俺は抱きついているその腕を拒絶する。


「離せッ!」


 多少、抵抗されるだろうと思いそれなりに強く跳ね除けたのだが、ソレは杞憂だったらしい。いとも容易くイーヴァの細い腕は解け、俺から離れた。


「……ナツヲ」


 拒絶され、ほんのわずか表情に悲しみの色を浮かべたイーヴァが俺の名を切なげに呼ぶ。


 俺は、誰かを傷つけたいわけじゃない。


 俺は、コイツに悲しい顔をさせたいわけじゃない。


 俺はただ、コイツの優しさを疑って、自分本位に動いてしまったに過ぎない。


 勿論、いきなり抱きついてくるなどという、突拍子もないことをしてきたイーヴァにも問題はある。だがそれでも、きっと悪いのは俺だ。


 しかし他者との会話はおろか、人付き合いも碌にしたことのない俺の口からは「驚いただけ」などという弁明も、「ごめん」という謝罪も出はしない。嗚呼、日頃から他者との交流に慣れていないと、とっさの言葉さえ吐き出せないのだろうか。


「……やはりお前は私を覚えてはいないのだな、ナツヲ」


 イーヴァの言葉に、俺は歯噛みする。


「別段、そのこと自体を悲観しているわけではない。むしろ私がそうなるようにと望んだのだから、こうなっていることは当然のことだろう。……だが、こんな拒絶の仕方をされると私は『悲しい』。私はただ、お前に触れ、お前の『優しさ』を享受したいだけなのだ」


「イーヴァ……」


 正直言って、目の前にいるイーヴァが何を言っているのか俺にはさっぱり理解が出来ない。だが名前ぐらいは呼んでやらねばならないと感じ、謝罪の念も込めて目の前のモノの名前を口にする。


「……されど、お前はそうやって再び私の名を呼んでくれる。内包する心こそ変わってしまったが、あの時と変わらぬ声と――愚かなまでの『優しさ』で」


 青い蛍光色の刺青が描かれている手を伸ばし、イーヴァは冷たい指先で俺の頬をなぞる。


「お前は愚かだ。だから私に、こうやって付け入られる」

 イーヴァの金の双眸が食い入るようにして俺を見つめ、近づいてくる。


 これは、まずい。まずいまずいまずい! なんというか目がマジだし、瞬き一つしないし、イーヴァの顔が徐々に俺に近付いてくるのもまずい!


 逃れるには、叫んだだけではどうにもなるまい。というかもし叫んだことでコイツが離れてくれたとしても、それを拒絶と受け取ったコイツ自身が再び悲しげな顔をするかもしれない。そんなことになれば本末転倒も良いところだ!


「イッ、イーヴァ! まずはアンタの話を聞かせろ!」


 碌に考えもせず、とっさに出た言葉。こんなものでこの場を凌げるかどうか怪しいところだったが、目の前のコイツには十分効果があったらしい。


 瞼を二度パチパチと瞬かせ「ふむ、わかった」と了承すると、イーヴァは俺の顔に近づけていた自分の顔と、俺の頬に触れていた指先を静かに離した。






「で、アンタはいったい何者なんだ?」


 玄関で立ち話をするのもどうかと思い、リビングまでやって来た俺はテーブルを挟んで向かいに座るイーヴァにそう訊ねた。


 一応目の前のコイツは出会った時に自分の事を【繋ぐ神】だと説明していたが、俺はソレを信じていない。というよりそもそも俺は、俺に害成すバケモノと【神】を自称するモノの違いが分かっていないから、信じることが出来ないのだ。


「私はイーヴァ・ニーヴァ。はるか昔、外つ国で創られた【繋ぐ神】だ」


 俺と会った時と同じ言葉を言い放つ目の前の自称【神】。


 勝手な偏見になってしまうのだが、【神】といえばもっと尊い存在――それこそバケモノに襲われている俺を救うだなんてこともしなければ、こうやってリビングで向かい合うようなこともしないような気がする。……というより、そう考えなければ「どうして今まで俺を助けてくれなかったんだ!」と、掴みかかってしまいそうになる。


 どうして、今まで苦しんでいた俺を助けてくれなかったんだ。


 俺は何度も誰かに、あるいは何かに助けを求めて、この状況をどうにかしてほしいと望んでいたのに。


 だがそんなことを知らない目の前の自称【神】は、【神】なるモノに対しての信仰心の欠片もない俺を助け、今こうやって俺の前で椅子に座っている。


 普通、自分の信者でもない人間を【神】は救うだろうか?


 否、救いなどしないだろう。日本固有の八百万の神であるならまだ可能性はあるかもしれないが、それでも外つ国で生まれたと自称する【神】であるならば、自身の信者を救うだろう。勿論例外も居はするのだろうが、俺が優先されるようなことは無いはずだ。それに……。


 向いに座るイーヴァに、俺はまっすぐ視線を向ける。


 白い髪に金の瞳、ヒトの肌とは思えない程白い肌には青い蛍光色の刺青。今まで俺が見てきた有象無象のバケモノとは違う、人間と見まがうほど近しい姿。


 だがそんな見た目だけの理由で、イーヴァが俺に害を成すバケモノではないという理由にはならないし、【神】であるという理由にもならない。そしてそれらと同時に、俺がイーヴァをバケモノであると一方的に決めつける理由にもならない。


 ひとまず今のところは【神】とバケモノの違いが何たるかなどは置いておいて、話を進めるべきだろう。


「で、その【繋ぐ神】であるアンタが、なんで俺なんかを助けてくれたんだ?」


 「助けてほしいと思ったのは事実だし、助けてくれたことに感謝しはするけれどさ」と、申し訳程度に言えば、「私にとってお前は特別だからな」と目の前のイーヴァは言い放った。しかも「出来ることなら、力になってやりたい」と付け加えさえして。


「でも、俺はアンタにそう言われるだけの理由を知らねぇし、覚えもねぇ」


 自分でも冷たい言い方だったかもしれない、と思うほど感情の伴っていない言葉を発した途端、俯くイーヴァ。整えられていない癖のある白髪に隠されその表情こそ見えないが、おそらく悲しい顔をさせてしまったに違いない。


「でも、助けてくれてありがとうな」


 「イーヴァ」と続けて目の前の【神】の名を呼べば、顔を俯けていたソイツがパッとその顔を上げる。


 白の睫毛の奥に埋め込まれた、きらきらと輝く金色の瞳が俺を食い入るように見つめてくる。その表情には悲しみの色など無く、むしろほんの僅か、微々たる程ではあるが喜びの色が浮かんでいるように見えた。


「それで……、アンタは『出来ることなら、俺の力になってやりたい』って言ってたけどさ、具体的には何が出来ンだ?」


 これ以上イーヴァを疑うようなことや、追い詰めるようなことは言うべきではないと判断した俺は、思い切ってイーヴァを信じる方向で質問をしてみることにする。


「お前が望むのなら、私はどんなことでも叶えてやる所存だ」


「例えば大金持ちになりたいとか、強くなりたい、とかっていう望みでもか?」


 本当に大金持ちに成ったり、強くなったりしたいわけではないのだが、具体例として俺はその二つを上げてみる。


「そうだな。お前が本当にそれを望むのであれば、それが叶うよう私は尽力しよう。ただし、本当にお前がそれを望むのであれば、の話だがな」


 まるで俺の考えていることを読み取りでもしたかのようにそう言ったイーヴァ。


 【神】を自称している程なのだから、ただの人間でしかない俺の考えを読み取ることぐらい、容易いことなのかもしれない。


 ならば嘘偽りを言ったところでどうしようもないだろう。


 ひとまず正直に話してみるか、と思い直し俺は口を開く。


「なら、普通の人間と同じ、普通の生活を送れるようになりたい。っていう願いは叶うのか?」


 バケモノに干渉されない生活。あるいはバケモノの見えない世界。それさえ叶えられれば、きっと俺も周りの人間とそれなりに交流を持って――それこそ友達の一人ぐらい、出来るかもしれない。


 淡い期待を持ってイーヴァに訊ねてみれば目の前のソイツは「お前がそう望むなら、私はそれを叶えるため尽力しよう」と答えた。


「ホントかッ!」


 がたたっ、と音を立てて俺は椅子から立ち上がる。だが、そんな俺の挙動を抑えるようにイーヴァは腕を伸ばし、人差し指を俺に差し向ける。


「ただし、現状ではその望みを叶え切ることは難しい」


「は?」


「私はお前の望みを叶えてやりたい。だがな、現状の私にはナツヲが抱くその望みを叶えてやるだけの力が無い。先程も、ただの人間でしかないお前に容易く腕を振りほどかれてしまったしな」


 確かに玄関でイーヴァに抱きつかれた時は、あっけなくコイツの腕が離れて拍子抜けもしたが――それほどまでに、今のコイツには力がないのだろうか?


「でも、外で俺を助け出せたじゃねぇか」


 それも俺を掴んで宙に浮かんだり、帯のようなものを出したりして。あの力があれば、少なくとも普通の学生生活を送れると思うのだが。


「お前を持って宙に浮かぶことと、力があるということは比例しない。そして帯状をした私の外殻もまた、魔なるモノの動きを一旦封じたり、外殻としての役割を果たしたりする物体でしかない」


 思い返してみれば、イーヴァはあのバケモノを帯で縛って逃げただけで、攻撃らしい攻撃は一度もしていなかった。ということはコイツ、もしかしたら戦闘に向いていないハズレ【神】なのではないだろうか?


「ハズレ【神】とは不敬だな、ナツヲ。だが戦うという事柄に関して著しく不向きであることは認めよう。そしてそれ故に、私は『普通の人間と同じ、普通の生活を送りたい』というお前の望みを、叶え切ることが難しいのだ」


 「お前が普通の生活を送る為には、魔なるモノからお前を守るという事象がついて回るだろう?」と、俺の細やかな希望と思い込みを叩き潰してくるイーヴァ。


「なら、どうしたら俺はアンタに望みを叶えてもらえンだ?」


 世間一般的な、普通の生活。


 ソレは、俺一人の力では絶対に手に入れられない代物。


 それこそ神頼みでもしなければ、決して叶えられることのない願い。


 だからこそ、俺は目の前に居る自称【神】に希望を託さずにはいられないのだ。


 例えソレが今日出会ったばかりで、信用もまだ出来ない自称【神】であったとしても。


「私を望め」


「は?」


 イーヴァの唐突な言葉に俺は呆けた声を出す。


「【繋ぐ神】たる私を信じ、私に願い、私に望み、私に祈れ。さすればお前の信仰心が私の力となる」


 目を細め、笑みと思しき表情を浮かべるイーヴァ。だが、その口元に笑みは無い。


「信じ、願い、望み、祈れ。その信仰心こそ【繋ぐ神】たるこのイーヴァ・ニーヴァを【神】たらしめる根源だ」


 【神】たるイーヴァを信じる心。いわば信仰心が、イーヴァの力になる。だから俺がコイツを信じ、願い、望み、祈れば、コイツは力を得て俺の望みを叶えられようになる。


 今のところ自称【神】のナニカでしかないコイツの事を信じ、望みや願いを託せるかと言えば否だ。だが俺が目の前に居るコイツを信じるだけで、俺のどうようもない望みが叶うのであれば――俺のすることは一つだろう。


「俺はアンタを、イーヴァを信じる。だからアンタは俺の望みを叶えろ!」


「良いだろうナツヲ。お前がそう、望むなら」




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