第18話

『どうやって中に入る気? 忍び込むには無理があるんじゃない?』

「何を言っているんだ、私は今、可愛いルカちゃんなんだぞ」

 にやりと笑うとコー・リンはその鉄の扉を遠慮なく叩いた。

「姐さま、いらっしゃいますか? ルカです。ご相談があります。姐さま?」

 しばらくの間の後、ゆっくりと扉が開いた。微かだった芳香が強く匂う。鼻につくとまでは言わないが、しかし、かなり強い香りだった。

「どうした、ルカ。困りごとか?」

 細く開いた隙間から女の声がする。低いが思いやりのこもった優しい声だった。

 これが女傑と畏れられるダイヤモンド・エルの声か?

 意外に思ったコー・リンは一瞬、言葉が詰まり、返事が遅れた。

「ルカ?」

「あ、すみません。あの、二人きりで落ち着いてお話しがしたいんですけど」

「……そうか。少し待て」

 一度、扉が閉まった。

 しばらく待たされた後、再度、開いた扉から現れたのはすらりと背の高い、それは美しい女だった。柔らかく波打つ黒髪をふわりと片手で払うとダイヤモンド・エルは微笑んでコー・リンをみつめた。

「どうした、思いつめた顔をしているな、ルカ」

「あ、あの、私……」

「入れ。甘いものもあるぞ」

「え。よろしいのですか?」

 部屋に入り込む目的で来たくせに、あっさりと目の前で大きく扉を開かれてコー・リンは思わず躊躇した。それをどう取ったのか、ダイヤモンド・エルは笑って言う。

「トーイのことなら気にするな。あいつがここにいるのはいつものこと。付属品のようなものさ」

「あ、はい」

 トーイ? 誰か部屋にいるのか。だとしたら仕事がやりにくくなるな……。

「さあ、構わないから入れ」

 ダイヤモンド・エルに優しく背中を押され、コー・リンは部屋に入った。

 そして、ほうっと声を上げそうになる。

 一歩、部屋に足を踏み入れたところで思わず立ち尽くし、部屋の様子をまじまじと見渡した。

 緋色の絨毯が敷きつめられたそこは、いかつい扉からは想像できない美しい部屋だったのだ。

 置かれている家具は見るからに高級品で、特に天蓋付の大きなベッドはその存在感を鮮やかに示していた。クリーム色の壁には誰の手によるものか、妖艶なダイヤモンド・エルの姿を映した大きな肖像画が飾られており、部屋を訪れる者の目と心を奪った。奥の壁は一面が本棚で、難解そうな分厚い本がぎっしりと詰められている。

 驚いたな。こんなに本を読んでいるのか。

「ルカ、どうした? 驚いた顔をして。初めてここに来たわけでもないだろうに」

「あ、はい、ええっと……いつ来ても、きれいな部屋だなあと思いまして」

「そうか? おかしな子だな。さあ、こっちに来て座れ」

「はい」

 勧められるまま、円座になったソファーに座ろうとして、コー・リンはぎくりと足を止めた。そこには既に先客がいて、刺すような目でコー・リンをみつめていたのだ。

「どうしてルカがここにいるんだ」

 低い声で彼はダイヤモンド・エルに問うたが、視線はしっかりとコー・リンに注がれている。

「話したいことがあるそうだ」

「話し? 客はどうした? ここに怠け者の居場所はないぞ」

「トーイ、そんな言い方はおやめ」

 ぴしゃりと彼女が言うと、仕方なさそうにトーイと呼ばれた男は黙った。

「それより、この子にお茶と菓子を頼む」

 まだ若い彼は不服そうにダイヤモンド・エルを一瞥したが、それ以上は何も言わず仕方なさそうに立ち上がると衝立で仕切られている奥に消えた。耳を澄ませていると、かちゃかちゃと食器の触れ合う音が聞こえてくる。奥に小さな厨房でもあるのだろう。

 用心棒が言っていた隠し部屋ではないようだな。

 とにかく、あのトーイという男が戻ってこないうちに仕事を終わらせなくては。

「それで話しとは何だ、ルカ」

 コー・リンは慌てて笑顔を作ると言った。

「あ、あの、ええっと、仕事のことなんですけど」

「うん」

「お、お客、あ、旦那様が……すぐに寝てしまうんです」

「は?」

「ええっと、その、私って、た、退屈なんでしょうか?」

 一瞬の間の後、ダイヤモンド・エルはぷっと吹き出すと、豪快に笑い出した。

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