私は悪くない

 失礼します。初めまして、ライラと言います。今日は、よろしくお願いします。はい、少し緊張しています。私、こういうカウンセリングを受けるのは初めてで。夫に勧められて来たんです。私はどこも悪くないと思ってるんですけど。

 *

 えぇと、どこから話せばいいのかしら。とりあえず生い立ちから?分かりました。

 私は孤児院で育ちました。両親の顔も名前も知りません。その頃のことは、あまり思い出したくありません。良い思い出がほとんどないものですから。

 学校を卒業してからアルバイトを始めて、安アパートで一人暮らしをするようになった頃も同様です。

 そんな私の人生を変えてくれたのがパーシヴァル、今の夫でした。

 彼は仕事を紹介してくれて、私が本を買いに行きたいと言った時も嫌な顔一つせずに着いてきてくれて、私はすぐに彼に惹かれていきました。それで、私の方から想いを伝えて、お付き合いをするようになりました。

 思えば、あの頃が一番幸せだったかもしれません。私たち二人が世界の中心のようでした。

 それから、彼にプロポーズされて、私たちは結婚しました。そして、子どもを授かりました。

 妊娠が分かってから、喜びよりも先に不安を感じたのを覚えています。

 自分の独占欲を自覚したのもその時です。ちゃんとした母親になれるのか、生まれてくる子どもを愛せるのか、それもありましたが、何より心配だったのは、夫を子どもに取られてしまうことでした。

 それまで、夫の愛情は私だけに向けられていました。それが他の誰かにも向けられるなんて、考えるだけで胸が苦しくなりました。

 ……生まれてきた子どもが男の子だった時は少しだけ安心しました。もし、女の子だったら、極端な話、殺してしまっていたかもしれない。

 彼の愛が私以外の女に向けられる。そんなこと耐えられない。あってはならないんです。それが仮に実の娘であっても。

 安心したのも束の間、あの子は生まれつき身体に障害を持っていました。

 障害のことが分かってから、ある日義父が夫のいない時間に訪ねてきてこう言いました。

「あいつの身体の件はお前のせいなんじゃないのか、ライラ。お前がパーシヴァルに、うちの家系に相応しくない証拠なんじゃないのか」

 義父は言いたいことだけ言って帰っていきました。その言葉は、今でも棘のように心に刺さっているように感じます。はい、このことは夫には話していません。話せばきっと夫は私の味方をしてくれる。でも、もし万が一、夫も義父と同じことを思っていたとしたら。そう思うと、話せませんでした。

 夫が転職し、貿易会社に入ったのもこの頃です。彼は、仕事で各地を回りながらあの子の身体の治療法を探すと言っていました。

 私は反対しましたが、彼も譲りませんでした。それほどまでに夫は息子を大事に思っているようでした。

 夫のいない間、私は家で息子と二人っきりでした。そんな生活が何年か続きました。私はある意味で必死でした。必死にあの子のことを愛そうとしていました。

 この子は私と夫がいるから生まれてきた、私たちの愛が形になったものなのだと。自分にそう言い聞かせていました。

 でも、あの日息子が言ったんです。

「僕のこの身体は誰のせいなの?」

 それを聞いて、暗に私のせいだと言っているように思えて。私に注がれるべき夫の愛情を奪っておいて、私を責めるなんて信じられない。それからです。あの子の世話ができなくなったのは。

 家政婦を雇いました。その方に世話は全て任せました。私は、あの子の顔を見ることさえなくなりました。

 しばらくして、夫が帰ってきて、言いました。治療法が見つかったと。そうして、あの子は治療のために家を離れました。私はベッドに横たわったままのあの子が輸送用の乗り物に運ばれていくのを窓から見ていました。息子を見たのは、それが最後になります。

 数日が過ぎて、あの子に会いに行った夫がひどい顔色で帰ってきました。その顔を見ただけで分かりました。手術は失敗したのだと。

 それからの夫は見ていられないぐらい憔悴していました。ショックを受けているというより、自分を強く責めているようでした。

 そしてある日、彼は私に告げました。あの子はもう戻ってこない、と。

 私にとって大事なのは、もういない息子より、すぐそばにいる夫でした。傷付いた彼の心を癒してあげたいと思いました。

 二人の時間が戻ってきました。でも、それも長くは続きませんでした。

 あの子の治療を担当したという女性が不意にうちを訪ねてきて言いました。あの子が施設を抜け出した。ここに向かっているかもしれない、と。夫はそれを聞いて真っ青な顔をしていました。女性が、今のあの子の姿だと言って私に見せた写真には、見たこともない赤い生き物が写っていました。私には意味が分かりませんでした。

 次の日の夜、その生き物がうちの前に姿を現して、施設の職員たちに捕らえられました。

 その生き物は、私を「お母さん」と呼びました。おかしいですよね。私のことをそう呼ぶのは息子だけで、もうその子もいないのに。

 カウンセラーさん、私、聞いてみたいことがあったんです。

 私、悪くないですよね?何も悪くないですよね?息子の身体のことも、あのバケモノのことも。

 はい。はい、そうですよね。私に責任なんてないですよね。ありがとうございます。安心しました。

 質問ですか?はい、何でしょう。え?息子の名前?さぁ、なんだったかしら……。

                  了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

変貌 石野二番 @ishino2nd

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る