使命

 もううんざり。私は小さくこぼした。

「どうかなさいましたかな?」

 隣の席で他の客と談笑していた壮齢の男がこちらを向く。小声で呟いたつもりだったがどうやら聞こえてしまったらしい。「いえ、何も」私は笑顔を作りながらそう返す。男はそれで私に興味をなくしたようで、また談笑の輪に戻った。

 ここはとある貴族の住む大きくて古い城。そして今は周辺の名家を招待しての晩餐会の真っ最中である。晩餐会とは言うが、料理の類は振舞われない。振舞われるのはグラスに注がれた真っ赤な飲み物だけだ。これだけ聞くと「ワインの品評会かな?」と間抜けな人間は勘違いするかもしれないが、実際はそうではない。グラスの中で揺れているその赤い液体こそ、私たちの命をつなぐもの。要は人間の「血」である。

 そう、ここに集まった者たちは皆吸血鬼なのだ。そして私も例外ではない。

 *

 我々吸血鬼は文字通り人の血を吸い糧とする種族だ。そしてそれ故か、吸血鬼にはプライドが高く、人間を見下している者も多い。まぁ、私だけはそうではない、などと言うつもりはないが。

 私の教育係によると、吸血鬼は大きく二種類に分類できるという。一つは、生まれたその時から吸血鬼だった純血種。もう一つが吸血鬼に血を吸われた人間が転化した従属種だ。現存する吸血鬼はそのほとんどが従属種であり、純血種はもう数えるほどしか確認できないらしい。

 その確認できる純血種だって、長く生き過ぎて自分が人間だったことを忘れてしまっただけなのではないかと個人的には思っている。実際、この考えを一度だけ教育係に伝えたことがあるが、ものすごく嫌な顔をされた挙句、「そのような世迷言、他の吸血鬼の前では決して言わないように」なんて釘を刺されてしまった。どうやらその辺りはデリケートな話題らしい。

 *

 晩餐会に話を戻そう。実は私はこの吸血鬼の晩餐会が好きではない。それどころかかなり嫌いな部類だ。集まった男たちの自慢話を聞きながら適当に相槌を打つ。それだけでも相当に面白くないのだが、一番の理由はもうすぐ始まるアレだ。

「お集まりくださいました紳士淑女の皆様!これよりメインイベントの始まりでございます!」

 そら始まった。壇上の吸血鬼が大きく宣言すると、会場の視線がそちらに集中する。私も自分の中の嫌悪を笑顔の裏に隠して目を向ける。

「今宵最初の献上品は、北部のアドルナート卿に贈られた、歌姫です!」

 司会の声とともに壇上に台に乗せられた一人の女が運ばれてきた。眠らされているのだ。同時に会場にいた吸血鬼の一人が壇上に上がった。先ほど紹介されたアドルナート卿だ。卿は意気揚々と女の説明を始める。その説明によると、女は人間の街にある大きな劇場で催された演劇で主役を務めた有名な歌姫であるとのことだった。

アドルナート卿が指を鳴らすと、女が目を覚ました。状況が掴めないのだろう、きょろきょろと周りを見ている。

「さぁ、その歌声を聞かせておくれ」

 そう言うとアドルナート卿はその胸に短刀を突き立てた。絹を裂くような悲鳴が上がる。会場に集まった吸血鬼たちがそれに聞き入っている。アドルナート卿は女の胸から流れる血をグラスに注いでいる。全くもって悪趣味だ。この晩餐会は、「人間の品評会」なのだ。

そして私も、かつては彼らの言う「献上品」の一つだった。

 *

 私が人間だった頃の話をしよう。物心ついた時、私はある貴族の屋敷で暮らしていた。その貴族は人間だった。彼と私に血のつながりはなかったが、彼は私を娘と呼び、慈しんだ。特に私の黒い髪にご執心のようだった。

 その屋敷で黒い髪は私だけだった。家族も使用人も、皆陽にきらめくような金色の髪をしていた。

 ある日、私は彼に呼び出された。今日は私の十五歳の誕生日なのだという。他の貴族たちに私をお披露目する晩餐会をするから、夜にでかける。準備をしなさい。そう嬉しそうに言った。

 私は跳び上がらんほどに喜んだ。屋敷の外に出るなんて初めてだった。散々教え込まれた社交界でのマナーも、立ち居振る舞いも、全て今夜のためだったのだと思った。

 自室に戻り、使用人たちにドレスを着せてもらい、お化粧もした。鏡に写る私の姿はまるでおとぎ話に出てくるお姫様のようだった。

 馬車に乗り向かった先は、見たこともないお城だった。喜びと緊張で胸の鼓動が高鳴る。どんな人たちが集まるのだろう。失敗しないようにしないと。

 *

 城の大広間に通される。私を連れてきた彼はまっすぐに一人の男の方へ向かっていく。慌てて私もそれに続く。男が私を見て感嘆の声を漏らす。

「素晴らしい。黒い髪か。考えたものだな」

「はい。この娘を一目見た時から、きっと貴方のお気に召すと思っておりました。マナーやしつけも完璧です」

「ますますもって素晴らしい。黒髪の淑女とは、これほど我々にふさわしい者もおるまい。今回はこれを受け取ることとしよう」

 男が満足そうに頷く。それを聞いた彼の顔がほころぶ。話の内容はよく分からなかったが、どうやら私はこの男のお眼鏡にかなったらしい。

「それで、貴公の望みはどちらだ?我々の仲間となるか、それとも金か?」

 金?今、金と言ったのか?耳を疑う私の隣で彼は自分の要望を伝えた。

「貴方たちの仲間など、私には過ぎた望みでございます。この娘を育てるのにかけた元がとれれば十分です」

 私の聞き間違いでなければ、私は売られたらしい。信じられなかった。あの優しくも厳しかった彼が、私を娘と呼んでくれた彼が、私を、金で売った……?

 唖然とする私に彼は話しかける。今まで同様、優しい口調で。

「良かったじゃないか。やはり私の目は間違っていなかった。お前は今から、このお方のものだ」

 このお方、と呼ばれた男の方を見る。男は笑顔でこっちにひらひらと手を振っている。言いたいことがあり過ぎて、そのどれも言葉にできずに口をパクパクさせている私の前に男が立つ。

「さて、言いたいこともあると思うが、君はもう私のものだ。暴れられても面倒だし、少し眠っていてもらおうかな」

 そう言って私の目をのぞき込む。男の紅い目が視界いっぱいに広がったと思った瞬間、私の意識は闇に落ちた。

 *

 気が付くと、薄暗い部屋でベッドに寝かされていた。それも屋敷の自室にあったものよりいくぶん大きい。傍らにある椅子にあの男が座ってこっちを見ていた。手許には分厚い本を持っている。

「お目覚めかな、黒髪の君よ」

 そう言って本を横に置くと、男は私の髪に触れてきた。

「何度見ても素晴らしい。まるで闇に愛されたかのような黒髪だ。こんな人間がいたとは、本当に世界は広いものだな」

 褒めてくれていることは分かったが、少しも嬉しくなかった。この男に金で買われたことを思い出したからだ。

「……名乗りもせずにレディの髪に触るのがここでの作法なのですか?」

 険のある声で抗議する。男は苦笑しながら手を引っ込めた。

「おっと、これは手厳しいな。では名乗らせていただくとしよう。私はカッリスト・オリヴェーロ。この辺りの吸血鬼のまとめ役をしている」

 突然出てきた吸血鬼という単語を聞いて呆気にとられる私に男、カッリストは続ける。

「状況の説明も必要かな?君は彼に売られてここにいる。あぁ、あれから二日経っているよ。眠るよう暗示をかけたのは確かに私だが、まさかここまで長く眠ったままとは思わなかった」

 君は暗示への耐性が少々弱いようだね、なんて言いながら笑っている。その笑い声が癇に障る。

「そして私としてはここからが重要なのだけど、三日後、君を我々の晩餐会に連れていく。そこで君は死ぬことになる」

「死ぬ?どうして?」

「次の晩餐会はこの間のものとは趣向が違う。我々吸血鬼の中でも本当の名家の者だけが集まり、人間から贈られた献上品を披露するものだ。で、人間の中にあるもので我々にとってもっとも価値のあるものが、血だからだ」

 要するに私は献上品で、その晩餐会で血を吸われて死ぬ、ということか。

 そこまで聞いて、私は悔しくなった。そんなことのために私は生かされ、育てられていたのか。自然と涙がこぼれる。カッリストはその涙をじっと眺めていた。

 *

 それから三日後、カッリストの言う通り私は彼らの晩餐会に連れていかれた。もう抵抗する気も起きなかった。会場はまた吸血鬼の住むお城なのかな、とぼんやり考えていたが、私の予想は外れ、馬車は大きな街の中を進んでいく。そういえば、屋敷を出たことがなかったから、こんな街の風景も初めて見るな、と思った時、馬車が止まった。そこは大きな劇場の前だった。カッリストが口を開く。

「ふむ。劇場か。今回の主催は自分の城に客を呼ばないと聞いていたが、どうやら本当らしいな」

 彼も今夜の晩餐会の会場を知らなかったらしい。私はこの劇場が自分の墓標となるのか、みたいなことを考えていた。

 *

 劇場に入ってから、カッリストとは別の部屋に案内された。きっと本来は役者の控室として使われているのだろうその部屋には私以外にも何人かの姿があった。眠っている者もいれば、暗示をかけられたのか、焦点の合ってない目でぼんやりと天井を見上げている者もいる。その誰もがはっとするほど美しい顔立ちをしていた。これが吸血鬼の趣味なのだろう。思えば、カッリストも整った容姿をしていた。

その時、一人の男が部屋に入ってきた。その男は口ひげをたくわえた老紳士に見えたが、それ以上に奇異な見た目をしていた。髪と口ひげは真っ白なのに、それ以外真っ黒なのだ。服装だけでなく、顔も浅黒い。恐らく、服で隠れている肌も同じ色をしているのだろう。部屋の前で見張り役をしていた男が続いて中に入ってくる。

「困ります、お客様。こちらは献上品の部屋でして、勝手にお入りになられては……」

「いいじゃないか。今回の品物の中に黒い髪の少女がいると耳にしたものでね。一目見ておきたいのだよ。私が何と呼ばれているか、知らないわけではないだろう?」

 しかし……と言いよどむ見張り役を無視して黒い男は部屋を見渡す。そして私を、正確には私の髪を見た瞬間、目を輝かせた。

「これは美しい!人間にしておくのはもったいないほどの黒髪だ。これほどのものをただただ殺してしまうなんて、私からすれば損失以外の何物でもない」

 つかつかと私の前に歩み寄って来ると彼は私に声をかけた。

「見たところ、暗示はかかっていないようだね。良し良し。君、いいかね。私のものにならないか?このまま死ぬのもイヤだろう?私のものになって、我が城に来てほしいのだがね」

「それは、私に吸血鬼の仲間になれ、ということ?」

「そうだ。何不自由ない暮らしを約束しよう」

 これはもしかして、千載一遇のチャンスなのではないか。人の身を捨てることになるが、少なくともこの劇場で死ぬことは免れる。

 その時、部屋の奥から声がした。

「貴方、ここの客なの?だったらお願い。私を助けて。なんでもする。そんな小娘よりずっとずっと貴方につくすわ」

 声の主は女だった。私よりいくつか年上に見える彼女は手足に枷をはめられていた。暗示が効かなかったのだろうか。

 その声を聞いて黒い男の表情が一気に不機嫌になる。

「悪いが、お断りするよ。君にはこの娘以上の価値が見出せない」

 なおも女は何か言いかけるがそれより先に見張り役が口をふさいだ。

「さて、邪魔が入ってしまったが、どうするね?私としては、色よい返事を期待するが」

「分かりました。私は貴方のところに行きます。それで助けてもらえるのですね?」

「吸血鬼となることが、君の助けになるのならね。ともかく、これで契約成立だ」

 言うが早いか、男は踵を返して部屋から出ていってしまった。助けてくれるのではなかったのか。呆然とする私をよそに、晩餐会が始まった。

 *

 一人、また一人と控室から人の姿が消えていく。彼ら彼女らは、もうこの世にいないのだろうか。私は酔狂な吸血鬼に化かされたのだろうか。そんなことを考えているうちに私の順番が回ってきた。

 劇場の舞台に上がる。続いて私を連れてきたカッリストが私の隣に立ち芝居めいた口調で話し始めた。

「今回私が披露いたしますのは、世にも珍しい漆黒の髪の乙女でございます!今宵はこの夜闇に溶けるような黒髪を見ながらこの娘の血を皆様にごちそうしたく存じます!」

 あぁ、やっぱり私はここで血を吸われて死ぬのだ。そう思って全てを諦めようとした瞬間、劇場の観覧席から声が飛んだ。

「それはダメだな」

 声のした方を見ると、そこにはあの黒い男が立ち上がっていた。彼は一瞬霧のようにかき消えたかと思うと次の瞬間には舞台の上にいた。カッリストが唇を震わせながら抗議する。

「ダメ、とはいったいどういうことでしょうか。『漆黒卿』」

 怒りを隠そうともしないカッリストに、漆黒卿と呼ばれた男は答える。

「その娘は私のものだ。私が連れて帰る。お前たちにはこの娘の髪の毛一本とて渡す気はない」

「そんな勝手は許されない!この娘を連れてきたのは私だ!貴方にどうこうする権利はない!いかに貴方が……」

 そこまで言いかけたところで漆黒卿はカッリストに近づき、軽く肩を叩いた。するとカッリストは突然倒れこんでしまった。みるみるうちに手の指先から徐々に灰に変わっていっていく。そして漆黒卿は観覧席に座る大勢の吸血鬼たちに向かって言い放った。

「どうやら彼の寿命が尽きてしまったようだ。では、この娘は私がいただいていくが、異議のある者はいるかね?」

 観覧席からは何の声も上がらなかった。その沈黙を肯定と受け取ったのだろう。漆黒卿は満足げに頷くと私の方に向き直って言った。「では、帰ろうか。ついておいで」

 私の返答を待たずに歩き出す。置いていかれないように私も慌ててその後に続いた。

 *

 これが、私が吸血鬼になった顛末である。後から知ったことなのだが、漆黒卿と呼ばれた今の私の主はカッリストが足元にも及ばないほど長く生き、権力も実力も相当なものなのだという。あの劇場で異議を唱える者がいなかったのも、その力を恐れてのことらしい。そしてもう一つ。主が漆黒卿と呼ばれている理由も明らかになった。

 彼は古今東西の「珍しい黒いもの」を集めていた。よく分からない大きな黒い仮面が飾られている部屋もあったし、庭園には黒いバラが咲いていた。確かに私も自分以外に黒髪の人をみたことがなかったが、まさかそんな収集家に気に入られるほどだったなんて思いもしなかった。要するに、私は主のコレクションの一つに加えられたということだ。

 主の城での暮らしは、人間だった時の屋敷での暮らしとあまり変わらなかった。私に優しい、というか甘い主。その意向のためか、他の従者たちも私に敬意を払ってくれているようだった。しかし、ただ一人、教育係を任された吸血鬼だけは別だった。

「貴女の不作法、無教養のせいで主が恥をかくことはあってはなりません」

 口癖のようにそう繰り返す教育係。私はマナーについては人間の頃から教え込まれていたから、彼女の役割はもっぱら吸血鬼としての教養を教える、いわば先生だった。

 彼女には多くの事を教えてもらった。主、漆黒卿のこと。この城のこと。また吸血鬼として生きる上でのルール。暗示や身体の変化といった能力の使い方。そして人間の狩り方も。

 教育係が言うには、狩りの方法は一応知っておいた方がいい程度で、この城にいる限り人間を狩る必要はないという。それを担当する従者がちゃんといる、とのことだった。私は主の一番のお気に入りらしいが、主の従者が全部で何人いるのか、はたまた誰が何をしているのかも何も知らなかった。知る必要もなかった。

 *

 吸血鬼になってから五十年ほど生きて、だいたいのことは受け入れてきたし順応したつもりだったが、あの晩餐会だけはどうしても好きになれなかった。人間に人間を献上させて、それをさも自分の手柄のように披露するその行為が、私にはどうしようもなく悪趣味に映った。主は、私を他の吸血鬼に見せびらかすためだろう、この手の催しに参加する時は必ず私を連れて行った。こっちの気も知らないで。

 *

 晩餐会から帰路につく。馬車の中で主は私の髪をなでながら

「今夜も、お前以上の者はいなかったな」

 まぁ、そうそういてもらっても困るが、と呟いた。実際、私の黒髪のような特徴の持ち主が他に現れたら主は力ずくでも自分のものにするだろう。それこそ、私を得るためにカッリストを殺した時のように。その時、私はどうなるのだろう。お役御免とばかりに放り出されてしまうのだろうか。私は自分の従者を持つことを許されていない。たった一人で野に放たれてしまえば、何日と生きられないだろう。

 *

 そんな私の心配をよそに、主の下での生活はそれからも変わらず続いていった。変わったことといえば、主の従者とともに狩りに出るようになったことぐらいだ。与えられたものをただ受け取るだけでなく、自分の食べる分ぐらいは自分で狩りたい。そう主に申し出たところ、あっさりと許可は下りた。これもまた成長か、などと言って喜んでさえいた。私は城から出たかっただけなのだが。

 いかに城が広いと言っても、さすがに百年近く過ごすとその代わり映えのしない風景に飽きてしまう。そんなわけで私は息抜きを外に求めたのだった。

 街に着くや否や従者たちは獲物を探して散ってゆく。すぐに残っているのは私と教育係だけになる。いつものパターンだ。彼女は護衛もかねているから、私の傍を離れることはない。

「でも、考えてみたら大事なコレクションの護衛を一人で任されるなんて、先生は随分主に信頼されているんですね」

 ふと疑問に思ったことを聞いてみる。

「主とは、彼が人間だった頃からの付き合いですからね」

 さらっとすごいことを言う教育係。

「主が人間だった頃ですか……。その頃から主の肌ってあんな色だったんですか?」

 私は気になっていたけど誰にも聞けなかったことを聞く。

「あんな、という言い方は感心しませんね。しかし、あの頃から肌の色は変わっていませんよ。それで若い頃は苦労していたようですが」

 主の思わぬ昔話が聞けてしまった。こういう話は本人には直接聞けないから、まさかこんな形で知ることになるとは。

 もっと主の話を聞きたかったが、そこでこちらに歩いてくる人影に気が付いた。右に左によたよたと歩いている。酔っ払いだろう。見たところ、中年の男のようだ。こういうのは趣味じゃない。教育係に目配せし、私たちは身体を霧に変え、男が通り過ぎるのを待った。男は私たちに気付かず路地の向こうに消えていった。

 話の腰を折られてしまった。やはり道端で立ち話は控えた方がいいのかもしれない。誰が聞いているかも分からないし。教育係も同じことを考えていたのだろう。早く狩りを終わらせるよう、急かされてしまった。

 結局、その辺を歩いていた青年を見つけたので、今夜のディナーとした。言葉巧みに路地裏へ誘い込み、暗示をかけて声を出せないようにしてから首筋に牙を立てる。これで今夜の狩りは終了だ。私たちは他の従者たちとの合流地点に向かった。しかし、夜が明ける間際まで待っても、従者たちは誰一人戻ってはこなかった。

 翌日、陽が沈んでから私は主に昨夜のことを報告しに行った。

「我が主、昨夜の狩りですが……」

「教育係から聞いている。戻らなかった従者たちは恐らく狩猟者にやられたのだろう」

 狩猟者。俗にいう吸血鬼狩りだ。昨夜狩りに出た従者は四人。恐らくあの街にはそれ以上の数の狩猟者がいるとみるべきだろう。

「人間風情が、我が領地を荒らすか」

 主が苦々しく呟く。

「狩猟者とはいえ、人間なのでしょう?それならば、主が行けば一ひねりなのでは?」

 私の問いに対して、主もまた問いで返した。

「お前たちは私を何と呼ぶ?」

「それは……もちろん、主、と」

「そうだ。私はお前たちの主である。そして主とは上に立つ者だ。そんな私がやすやすと人間の相手をすることがあろうか」

 つまり、自分が出るようなことではない。狩猟者の始末は他の従者にやらせるということらしい。考えればもっともなことだ。

「しかし、全く危険がないでもない。お前はしばらく他のコレクションとともに別の城に避難しておれ」

 それは、主にしては珍しく弱気な言葉に思えた。後になって思えば、主にも何か察するものがあったのかもしれない。ともあれ、私は主の言う通り、他の黒い品々とともに主の所有する別の城に避難することになった。護衛は変わらず、教育係だ。

 仮の住まいとして訪れた城は、主の住む城よりだいぶ小さかった。山の中腹にあることもあって、大きくするにも限界があったのだろう。それでも、教育係と二人だけなら十分過ぎるほど広い。彼女は積んできた主のコレクションを一人で城内に運び入れている。どうせすぐ帰ることになるのに。私はそう思いながらせっせと歩き回る彼女を見ていた。

 *

 結果として、私が主の城に帰ることはなかった。私たちがこの城に着いてしばらくの後、主の城が陥落し、焼き払われてしまったという報せが届いたのだ。私は信じられなかった。城には主だけでなく多くの従者がいた。彼らが全て殺されてしまったというのか。教育係も同様だったようで、確かめに行く、と言って外に出た。そしてそのまま戻らなかった。唐突に私は独りになってしまった。

 *

 教育係が戻らないまましばらくが経って、私は意を決して城の外に出た。用心しながら周囲を見て回ると、この辺りには小さな山村しかなく、街からかなり離れたところであることが分かった。あの程度の山村で人を狩れば、すぐに噂が立ってしまうだろう。あの城があることも知られているかもしれない。

 考えた私は、思い切って城を放棄することにした。完全に捨てるわけではない。あそこには主の遺したコレクションが眠っている。それらの様子を見に、時々は帰ることにしよう。こうして、私の放浪生活が始まった。

 *

 最初の数年は誰にも頼らずに生きてきた。人を狩りながら街を目指した。街に着いてもあまり長居せず、すぐに次の街へ。そうやって姿も知れぬ狩猟者に怯えながら過ごした。

 そうしているうちに、ある街で一人の吸血鬼に出会った。彼は私のことを知っていた。いつかの晩餐会で話をしたらしい。私は少しも覚えてはいなかったが。彼は私の主が死んだことも知っていた。そして私に援助を申し出た。自分の城に匿ってくれるというのだ。その時の私には、断る理由がなかった。

 それからの十年は、他の吸血鬼の城を転々とした。あの時助けてくれた彼が知人の吸血鬼に私のことを話したのがきっかけだった。彼らは次々と私を自分の城に招いた。私はその言葉に甘え、だんだんと交友関係を広げていった。

 *

 自分の従者を作ったのもこの頃だ。狩りのために立ち寄った村で出会った姉妹のうちの姉の方だ。

「お前たちのどちらか、私の従者になれ。そうすれば、もう片方は助けてやる」

 完全に気まぐれで発した私の言葉に、彼女は気丈にもこう答えた。

「私が貴女の従者になる。生涯を懸けて貴女につくす。だから、妹は助けてほしい」

 生涯を懸けて、とまで言われてしまった。まるでどこぞの騎士のようだ。実際はただの村娘だと言うのに。そこまで言われては私も引っ込みがつかない。そんなわけで、私は彼女を連れ帰り、従者とすることにした。

 *

 私の初めての従者は、私の前では毅然と振舞っていたが、一人になるとよく泣いていた。妹のことを考えているのかもしれない。その姿をこっそり見ているうちに、妹の方も連れてくるべきだっただろうか、とも考えた。しかし、村に戻って狩猟者に見つかるリスクは冒せなかった。

 *

 始まりが戯れだったとしても、主となった以上は従者の面倒ぐらい見れなければ。せめてこの娘が一人前になるまでは。次の十年はそうやって従者に吸血鬼としての生き方を教えることに費やした。

 彼女は飲み込みが私に比べてよい方ではなかった。要領が悪いのだろうか。こんなことでは、私が教育係に怒られてしまう。そこまで考えて、彼女がもういないことを思い出す。その繰り返しだった。

 *

 そうこうしているうちに事件は起きた。私の城が荒らされ、我が主のコレクションの一部が持ち去られていたのだ。私は憤慨した。あれらは全て我が主のものだ。誰も触れてはならないものだ。必ず取り戻さねば。そう思い、しばらく私は従者とともに城から出ずに見張りを続けた

 数日後、賊はあっさりと捕まった。人間だった。脅して口を割らせると、金で雇われただけだという。そしてそいつらの雇い主の名前は、数十年前に私に援助を申し出てきたあの吸血鬼のものだった。

 *

 何故?どうして彼がそんなことをする必要が?一人で考えても答えは出ない。なので直接確かめに行くことにした。従者を残し、一人で彼の城へ。城門からではなく、身体を霧に変えて窓から入り込む。目的のものはすぐに見つかった。主の庭園に咲いていた黒いバラを植えた鉢植だ。しかし、それ以外に黒いものはない。すると、ちょうどあの吸血鬼が部屋に入ってきた。彼は私に気付くとびくりと肩を震わせた。私が鉢植が何故ここにあるのか問い質すと、観念したように話し始めた。

 我が主のコレクションは、他の吸血鬼から見てもたいへん価値のあるもので、皆それを奪おうと虎視眈々と狙っていたこと。そして私の今の根城にそれが残っていることをしり、何人かの吸血鬼と結託してそれを人間に盗ませたこと。

 私は愕然とした。彼らが私を城に招き、匿ってくれたのは、善意からではなかったのだ。

 私は主のコレクションを盗んだ他の吸血鬼の名前を無理やり聞き出した。そうして、コレクションを奪い返すために動き始めた。

 *

 それから何年かした後、私は意外な人物と再会した。従者の妹である。彼女は狩猟者となっていた。私にとっては些細なことだったが、不意にある一つの案が浮かんだ。この娘に我が主のコレクションを狙う者たちを駆除してもらえばいいのだ。そうして、私は彼女に自分の滞在している城を教えて去った。案の定、彼女は城にたどり着き、城主を殺してくれた。これでいい。我が主のコレクションは誰にも渡さない。盗んだやつも、コレクションの在処を知っているやつも皆殺しにしなければ。あの狩猟者、従者の妹は、そのための私の死神ちゃんだ。

 *

 そんな風に、自分自身をエサにして死神ちゃんに賊どもの駆除をさせているうちに数十年が経った。残されたコレクションは、あと一つ。

 コレクションが盗まれて以降、私は自分の城の話は一切しなくなったし、最後の一人を消せば、もはやその在処を知る者はいなくなるはずだ。

 そして首尾よく最後の賊が狩られ、盗まれた物全てが我が城に戻ってきた。さぁ、最後の仕上げだ。死神ちゃんに私を殺させる。これで我が主のコレクションはもう他の誰かの手に渡ることはなくなる。それから従者を返してあげよう。これは今まで頑張ってくれた死神ちゃんへのご褒美だ。

 そんな風に考えながら、自分の城で死神ちゃんを待つ。従者には適当なおつかいを言い付けて退場してもらった。主のコレクションも、私以外に知る者のいない隠し部屋にしまった。これで準備は万端だ。

 *

 死神ちゃんが姿を現した。平静を装ってはいたが、それらしい言葉で煽るとすぐさまこちらに向かって駆け出してきた。それを抱きとめるように両手を広げて迎える。心臓に白木の杭が突き刺さる。

「は~い、よくできましたぁ」

 おどけたように言った。そしてもう一つだけ言葉を紡ごうとした。ありがとう、と。しかし、それは言葉になる前にほどけて消えた。

 *

 身体がだんだんと灰になって崩れてゆく。そんな中、懐かしい顔ぶれを見た。主と教育係だった。二人が優しく微笑みながらこちらを見ていた。

 主、先生。私、頑張りました。主のコレクションを頑張って守り抜きましたよ。きっと、褒めてくれますよね……。


                  了

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ある吸血鬼にまつわる三つのお話 石野二番 @ishino2nd

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