救済

 私は命乞いを繰り返すそいつを冷めた目で見つめていた。私たちのいる部屋の壁には大きな穴が開いており、そこから陽光がそいつに向かってまっすぐに降り注いでいた。冬の日光に照らされたそいつの身体のあちこちから白い煙が上がっている。陽の光に焼かれているのだ。吸血鬼。人の血を吸い夜の闇の中に生きる種族だ。

「長い黒髪の吸血鬼を知っていますか?」

 私はその吸血鬼に短く尋ねた。返答は、否。ならばもう用はない。私は陽に焼かれもはや満足に動けないそいつの心臓を持っていた杭で打ち貫いた。

 *

 吸血鬼が完全に灰となったことを確認して部屋の外に出ると、一人の男が近付いてきた。男の「やったか?」の問いに「はい」とだけ答える。この男は私の吸血鬼狩りとしての師匠である。私は、私たち一家は私が子どもの頃に吸血鬼に襲われた。両親は殺され、姉は連れ去られてしまった。見たことのないような、真っ黒な長い髪をした吸血鬼だった。

 独り残され、途方に暮れていた私の前に現れたのが師匠だった。妙に背が高く、しかし痩せぎすのヒョロっとしたそのなりに最初こそ面くらいはしたが、吸血鬼狩りを生業としていると聞かされた時にまず一番にわいた感情は怒りだった。

 どうしてもっと早く来てくれなかったのか。あの夜に貴方がいてくれたら、お父さんもお母さんも死なずにすんだのに。姉さんは連れていかれることもなかったのに。

 今思えば完全なお門違いである。しかしその男は私の恨み言を、反論するでもなくじっと聞いていた。それこそ泣きじゃくっていた私が泣き疲れて眠ってしまうまで。

 *

 吸血鬼狩りになる。翌日男に私は告げた。男は一瞬固まってしまった。そして吸血鬼狩りがどれだけ危険なのか語りだした。しかし、一度決めた私は聞く耳を持たなかった。男は根負けしたかのように、この村にしばらく滞在するから、もう一度よく考えて決めろ、と言ってくれた。実際私も悩みはしたが、迷いはなかった。姉を取り戻したい気持ちはもちろんあったし、だいたいこの村にもう私の居場所はなかった。吸血鬼に襲われた一家の生き残り。この小さな村で孤立するには十分な理由だった。大人たちは私を無視するようになったし、それまで一緒に遊んでいたはずの同年代の友達もよそよそしくなった。この村に残っても、私に先はなかったのだ。

 かくして、私は吸血鬼狩り見習いとなり、師匠となったその男と各地を巡ることになった。

 *

 吸血鬼狩りは基本的に「追う者」である。吸血鬼の仕業と思しき事件の起きた土地へ足を運び、情報を集める。周辺にまだ吸血鬼が留まっているなら見つけ出して狩る。その繰り返しである。師匠が私のいた村に来たのも、私たち一家が襲われたと聞いたからだという。私が弟子入りしてから数日、付近で聞き込みをしたが、めぼしい情報は得られなかった。この辺の土地の人間で黒髪というのはかなり珍しいので、出歩けばそれだけで目立つはずなのに。

 あの吸血鬼は既にこの村を離れたのだろう。師匠はそう判断し、私を連れて村を出ることにした。行く先はもっと大きな城下街だ。大きな街の方が当然多くの情報が集まる。そうしてまだ子どもだった私は、生まれ育った村に別れを告げた。寂しさもあったが、初めて訪れる城下街というものに少しだけ期待もあった。そこでなら、あの黒髪の吸血鬼の手がかりを、もっと言えば、姉そのものを見つけられるかもしれない。そう、私はまだ子どもだったのだ。そんな風に物事が簡単に運ぶと信じてしまうくらいには。

 *

「どうだった。お前の提案した『壁に穴を開けて日光で焼く』作戦は?」

 師匠が私に尋ねる。私は渋い顔で「イマイチです」と返した。

「まず目標の棺桶の位置と壁に開ける穴の位置の把握が面倒でした。穴もわりと高い位置に開ける必要がありましたし。そしてなにより、目標が地下室にいたらこの手は使えません」

 私が所感を述べると、師匠は表情を変えずに「まぁ、そうだろうな」と呟いた。

「まさか、この作戦の欠点、気付いてたんですか?」

 まぁな、と師匠はこちらから視線を逸らしながら言う。

「まぁ、目標は狩れたんだろ?ならそれでいいじゃねぇか。これで金も入ることだし」

 師匠は悪びれもせずにそう言いながら近くの町までの道を歩き始めた。

 *

 私が師匠に弟子入りし、村を出てから二十と数年の月日が経っていた。なのに、私はまだ半人前の烙印を押されている。そしてなにより、あの黒髪の吸血鬼と姉の行方は掴めていない。今回の目標も情報は持っていなかった。

 これは師匠に聞いた話なのだが、吸血鬼にも社会があり、とりわけ序列や階級に厳しいらしい。先ほど狩った吸血鬼は町の近くにある森の廃屋を根城にしていた。そのような下級の吸血鬼では顔を見ることすらできないほど、あの黒髪の吸血鬼は高貴な(もちろん吸血鬼の社会の中での話だが)存在なのだろうか。もしそうなら、もっと大物を狩らなければ……。

 そこまで考えたところで師匠に頭を小突かれた。あまり思い詰めるな、ということらしい。師匠について長年一緒に旅をしてきて分かったことの一つが、意外と人の心の機微に鋭いということだ。私のことに限らず、狩りの依頼をしてくる人の、話していない事情まで察してしまう。自身は表情を変えることがあまりなく、何を考えているのか他人からはほとんど分からないが。

 陽が落ちる頃、町に着いた。依頼人から報酬を受け取り、夕食をとるために適当に食事のできそうな店に入った。

 *

「お前の創意工夫というのか、そういうところは俺も買ってるんだ。でもな、考えるならもう少し深く考えろ。今回の壁に大穴開けたこともそうだ。お前には可能性に対する考慮と対策が欠けている」

 グラス片手に師匠が淡々と語る。師匠について分かったこと、その二。酒が入るとよく喋る。素面の時はむしろ無口な方なのに、酒が入ったと思うとやたら饒舌になる。本人曰く、酔わないと言いたいことも上手く伝えられない性質なのだとか。しかし、いくら酔っ払って口数が増えても、表情だけはいつもの仏頂面のままなので傍から見ているとちょっとだけ不気味だったりする。

「で?お前の目標には近付けたのか?」

 無言で首を横に振る。それを見て師匠は大きくため息を吐いた。

「そうかぁ。また外れかぁ。もう二十年以上になるか。ここまで足取りが掴めないとはなぁ。ちゃんとメシ食ってんのかね、その『黒髪の吸血鬼』とやらは」

 全く面白くなさそうに、全く笑えない冗談をこぼす師匠。実際、私が村を出てからこれまでに黒髪の吸血鬼の目撃情報は全くと言っていいほどなかった。たまにそれらしい噂話を耳にすることもあったが、見間違いや確認が取れないものばかりだ。

「……そろそろ切り上げ時なんじゃぁ、ねぇのか」

 いつにも増して神妙な顔をして師匠は切り出した。

「お前の姉さんとやらのことだよ。生きてるかも死んでるかも分からねぇ。最悪、吸血鬼になってるかもしれねぇ。そんな姉さんのためにお前はこれから先の人生を費やすつもりか?」

 師匠がそんな風に考えていたなんて、思いもしなかった。驚きで目を丸くしている私に師匠は続ける。

「お前は、自分の幸せを見つけてもいいんじゃねぇのか?二十年以上頑張ってきたんだ。今諦めても、誰もお前を責めたりしねぇよ」

「師匠、飲み過ぎじゃないんですか?突然そんなこと言い出して……」

 そう言ってこの話題を切り上げようとする私だが、師匠は私の目をまっすぐ見つめながら言う。

「これはお前の今後っつー、大事な話だ。俺だってもう若くない。昔ほど身体が言うことを聞かなくなってきているのをそれこそ痛いほど感じてる。分かるか?引き上げ時が近いんだよ。なのにお前ときたらいつまで経っても半人前の仕事しかできない」

 俺はお前が心配なんだよ。手の中のグラスを傾けながら師匠が呟く。私はその言葉にどう返すべきなのか迷っていた。それを察したのだろう。師匠は、

「今すぐ決めなくてもいいが、自分のことだ。よく考えろ」

 とだけ言ってグラスを空けると先に店を出ていった。

 *

 結局、店が閉まる深夜になるまで一人で考えたが、答えは出なかった。私の今後。今まで姉を助け出すことだけ考えて生きてきた。きっと私のために吸血鬼の従者となる道を選んだ姉。そんな悲壮な選択をさせてしまったことを悔いていた。いつかあの黒髪の吸血鬼を倒して、姉を解放する。それが私の生きる目的のはずだった。その決意が、今夜の師匠の言葉でいとも簡単に揺らいでいる。

「姉さん、私、私は、自分の幸せを選んでもいいのかなぁ?」

 届くはずのない言葉がこぼれる。そんな時だった。短い悲鳴が上がったのを聞いたのは。

 *

 悲鳴はすぐそこの路地裏から聞こえた。思わず飛び込むと、そこには若い女を抱きかかえる男の姿があった。女に意識はないようでぐったりしている。

「食事中なんだがね」

 その言葉を聞いて直感する。吸血鬼だ。森の吸血鬼を狩ってからそのまま店にくり出したため、狩り道具はある程度揃っている。腰のベルトには白木の杭と木槌だってある。単独での狩りは初めてだが、私だってやれるはず。

「その人を離しなさい!」

「イヤだね。見たところ、我らが同類を狩る者のようだが、今夜の私は機嫌がいいのだよ。見逃してやるから、おとなしく帰るといい」

 何を抜け抜けと、と思ったところで、女を抱えた吸血鬼の頭上からもう一つ、人影が下りてきた。その姿を見た瞬間、全身の血が凍り付くのを感じた。

 下りてきた人影は女性だった。そして、そいつの髪は、深夜の路地裏においてなおはっきりと分かる、長く黒い髪だった。

 吸血鬼の男女が目の前で何やら言葉を交わしている。何を言っているのか聞き取れない。ただ、目を逸らすことができない。できるはずがない。長年追い続けてきたあいつが、目の前にいるのだから。

 私は叫びながら黒髪の吸血鬼に向かって走り出す。しかし次の瞬間には二人の吸血鬼は高く跳び上がり建物の屋根の上にいた。

「この野郎!下りてこい!姉さんを返せ!」

 私の言葉に怪訝そうな顔をしていたのは男の方だけで、黒髪の吸血鬼はすぐに察したらしかった。

「あぁ、貴女。あの時の従者の妹ね。まさか狩猟者になっていたとは。でも駄目よ。レディに向かってこの野郎だなんて」

「うるさいうるさいうるさい!いいから下りてこい!」

「まぁ、怖い。近寄ったら噛み付かれそう。吸血鬼は噛む側ですのに。でも、そんなに私を殺したいのなら、来るといいわ。私はこの方の城にしばらく身を寄せていますから。だけど、早く来ないと……」

 またいなくなっちゃうわよ。そんな言葉を残して屋根の上の人影は消えていった。残された私は、自分の口角がつりあがるのを感じていた。笑っていた。最初はクスクスと、次第に大きな声で。それこそタガが外れたように笑っていた。

 *

 宿に戻るやいなや、師匠の部屋に飛び込んだ。既に寝ていた師匠をたたき起こして私はまくし立てた。

「いた!見つけた!ハハハハハ!間違ってなかった!私の旅は!無意味なものじゃなかった!」

 突然乱暴に起こされて大声で叫ばれた師匠は珍しく目を白黒させている。興奮冷めやらぬ私はそんなことおかまいなしで告げる。

「師匠!私は吸血鬼狩りを続けます!ヤツに遭いました!手がかりを見つけました!来るといいとまで言われました!辞める理由がありません!」

 唖然としていた師匠の顔がいつもの仏頂面に戻る。どうやら状況が飲み込めたらしい。

「そうかよ。決めたんなら、好きにしな」

 それだけ言うと師匠はまた寝入ってしまった。私は、あの男の方の吸血鬼の情報を今すぐにでも集めに行きたいのを我慢しながら、夜が明けるのをずっと待っていた。

 *

 その夜に手がかりを見つけて以降、私の旅の行く先もある程度明確なものになった。あの黒髪の吸血鬼はどうやら名のある吸血鬼の根城を転々としているようで、そこを去る時もご丁寧に次の行き先を私宛に言付けているのだった。

 遊ばれている。最初に死にかけの吸血鬼からその言付けを聞かされた時ははっきりそう思った。しかし、それでもよかった。分かりやすく手がかりを残していってくれるのだ。今に見ていろ。いつか必ず追いついてやる。

 手がかりがあるとは言え、実際に追いつくまでにはかなり長い時間がかかった。その間に多くの吸血鬼を狩っていった。それこそ、師匠に「人が変わったようだ」と評されるぐらいに。

 十年が経った頃、師匠が引退すると言い出した。私は止めなかった。その前の狩りで師匠は右脚を失っていたからだ。「一人でやれるか?」の問いに私は短く頷いた。そうして私たちは別れた。

 それからも私のやることは変わらなかった。吸血鬼を狩り、得た手がかりを元にまた次の吸血鬼を狩る。その繰り返しが十年ほど続いた。そして、終わりが来た。ついに私は、あの黒髪の吸血鬼の根城をつきとめた。

 *

 その根城は山の中腹にある古城だった。中は冷え切っていて、動くものは自分以外に何もない。ただ、日光に弱い吸血鬼の根城らしく、窓という窓全てが塞がれていた。そして、人間が使っていた頃は謁見の間だったのであろう大きな部屋の奥に据えられた玉座に、あの黒髪の吸血鬼が気だるそうに座っていた。

 *

「あら、いらっしゃい。やっとご到着ね」

「姉さんは何処だ」

「あらら、私には興味なし?なんだか寂しいわ」

「お前は殺す。姉さんも返してもらう」

「聞く耳なし、か。なら、いいことを教えてあげましょう。貴女のお姉さん、私の従者はここにはいない。おつかいに行ってもらってるの。あと数日は帰ってこないわ。そして、これは貴女にとって悪いことかもしれないけど」

 そこで吸血鬼は言葉を切った。そしてもったいぶるように、残酷な事実を告げた。

「貴女のお姉さんも私たちの同類、吸血鬼なの。私がそうした」

 それを聞いても、私は変わらず吸血鬼を睨みつけていた。動揺なんてしてやらない。

「あら?驚かないのね。ちょっと意外だわ」

「可能性の考慮。師匠の教えよ」

「ふ~ん。面白くないわね。じゃあ、吸血鬼になっちゃったお姉さんも殺すの?もしかして勘違いしてたらかわいそうだから教えてあげるけど、お姉さん、人の血を飲むのを最後まで拒絶するような聖人ではなかったわよ?」

「さっき言った師匠の教えには続きがあるの。可能性の考慮。その次は対策。吸血鬼には吸血鬼への対策を」

 それを聞いた吸血鬼が笑い出す。

「それって結局殺すってことじゃない。返してもらうんじゃなかったの?」

 ヘラヘラしながら尋ねてくる吸血鬼。しかし私の我慢は限界のようだった。お喋りはおしまいと言わんばかりに玉座に座る吸血鬼目がけて走り出す。

 事が為されるのは一瞬だった。吸血鬼の胸には白木の杭が刺さっていた。彼女は走りくる私に対して文字通り逃げも隠れもしなかった。初手で決まるなんて有り得ない。私は何かの罠かと思い咄嗟に間合いを取る。しかし想定された追撃は来なかった。その代わり、吸血鬼の手や足の先が灰になっていくのが見えた。

「は~い。よくできましたぁ」

 おどけた口調で吸血鬼が呟く。そして全身が灰と化し、崩れ去った。

 しばらくの間、何が起こったのか分からなかった。殺した?あの憎い吸血鬼を?私が?本当に?

 どれだけの時間そうしていたのか。不意に私は思い立った。そうだ。姉さん。姉さんを。

 *

 その後、古城の中を調べて姉のものであろう、棺桶を見つけた。きっと「おつかい」から戻ってきた姉はこの中で休むはずだ。あの吸血鬼の話が本当なら、まだ戻ってくるまで猶予がある。私は一度、今回の拠点にしていた山村に戻ることにした。

 *

 それからしばらく、古城には近付けなかった。というのも、方々から吸血鬼が集まってきていたからだ。しかし、遠目から監視していると、長く居座る者はいないようでたいてい一日二日すると去っていく。それが落ち着いてから、私は再び古城を訪れた。これが最後の吸血鬼狩りになることを願いながら。

 まっすぐに姉の棺桶のある部屋に向かう。棺桶の中に気配がする。いる。この中に。やっと会える。でも見たくない。あの吸血鬼の言葉が真実だったらどうしよう。確かめたくない。いっそこのまま立ち去ってしまおうか。そんな思いとは裏腹に、両の手はゆっくりと棺桶のふたに手をかけていた。ふたが開かれる。私は思わず息を飲んだ。姉が眠っていた。あの吸血鬼に連れ去られた時と変わらない姿のままで。視界が涙で滲む。姉は吸血鬼になっていた。覚悟はしていた。していたはずだった。しかし実際に目にするとショックを隠し切れなかった。眠る姉の頬に涙が落ちる。姉が目を開いた。私は震える声で「姉さん」と呼びかけた。それで、姉の方も分かったようだった。私が誰か。何のためにここへ来たのか。それでも、自分の言葉で伝えたくて、今までのことを聞かせた。姉は何も言わず、ずっとそれを聞いていた。全ては語り切れなかった。ただ、最後に私の口から出た言葉は、「どうして」だった。

 どうしてこんなことになったのか。何がいけなかったのか。そんなことを繰り返し考え続けた。その時、姉が口を開いた。

「私を殺しなさい」

 目を見開く。できない、と思った。あの吸血鬼の前で吐いた言葉が頭を巡る。可能性の考慮と対策。吸血鬼には吸血鬼への対策を。あれが虚勢であったのだと今更ながらに気付く。無理だ。だって姉さんだ。やっと見つけた、やっと会えた姉さんなのだ。

 そんな私の姿を見かねたのだろう。姉は私の震える手に自分の手をそえる。私の手には白木の杭が握られている。姉はそれを自分の心臓の上に導いた。

「さぁ、務めを果たしなさい、吸血鬼狩り」

 私には、この結末が到底受け入れられなかった。しかし姉は違うらしい。この手の杭を、全てを放り出して姉の手を取って逃げ出したかった。二人で知らない土地で静かに暮らそう。姉の姿は少女のままで、私はもう歳をとりすぎてしまって、姉妹には見えないだろうから、親子ということにすればいい。そんなことを考えた。でも、無理だ。それは無理なのだ。だって姉は吸血鬼だから。人の血を吸わねば生きられないのだから。絶望。これを絶望と言わずして何と言おう。

 だからせめて、私の手で終わらせよう。そんな、決意と呼ぶには脆すぎる気持ちだけを腕に込め、私は木槌を杭に叩きつけた。最後の瞬間、姉は微笑んだように見えた。

 *

 山村に戻ってからしばらくの間、私は宿の一室に引きこもっていた。誰にも会いたくなかった。まるで魂が抜けたかのようだった。姉と一緒に私の一部も死んでしまったのかもしれない、と思った。

 そんな風に過ごしていたある日、部屋の扉が乱暴に開けられた。何かと思い視線を向けると、そこには何年も前に別れたっきりの師匠がいた。顔に深いしわが刻まれているが、ひょろ長い体格は相変わらずだった。

 師匠は私の部屋に入ってくるとドッカと椅子に座った。そしてそれっきり黙り込んでしまう。沈黙と視線が痛い。先に口を開いたのは師匠だった。

 別れてからの私の動向を、師匠は他の吸血鬼狩りたちから聞いていたらしい。そして、この山村に向かったという情報を最後に行方が知れなくなったので探しに来た、というのだ。

 確かに、古城から戻ってきてずっと宿にこもっていたら、その後の行方もあったもんじゃないだろう。

 それから師匠は、「やったのか」とだけ尋ねた。黒髪の吸血鬼のことを言っているのか、それとも姉のことか。分からなかった私は「はい」と答えるのが精いっぱいだった。そして姉の最期の笑顔を思い出し、また泣いた。師匠は初めて会った時のように、私が泣き止むまでずっと待ってくれていた。

 *

 ひとしきり泣いて落ち着いたところに、再び師匠が口を開いた。

「うちに来ないか?」

 空気が凍った気がした。うち?それってもしかして、プロポーズのつもりなのだろうか?このタイミングで?だいたい師匠いまいくつだっけ?

 固まっている私を見て察した師匠はやんわりと私の思っていることを否定した。詳しく聞くと、あの時別れた街で小さな料理屋をしているらしい。つまりそこで働かないか、という申し出だったのだ。

 自分の勘違いに気付いて赤面する私に、今すぐ決めなくてもいい。そう言ってくれた師匠とともに山村を後にしたのは、それからすぐのことだった。姉さん、私、吸血鬼狩りじゃない、別の生き方を見つけるよ。だから、見ててね。一度だけ、姉の眠る古城の方を向いて、私は歩き出した。これから始まる、今までと全く違う生き方への期待と少しの不安を胸に。


                  了

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