ある吸血鬼にまつわる三つのお話

石野二番

解放

 妹の手は震えていた。それこそ手に持っているそれを取り落としてしまいそうなほどに。その手を見ながら、私はぼんやりと昔の事を思い出していた。この状況に至る、全ての始まりとなったあの夜の出来事を……。

 *

 寒い夜だった。私の家は吸血鬼に襲われた。両親を殺したその吸血鬼は、私たち姉妹を前にして笑いながら言った。

「お前たちのどちらか、私の従者となれ。そうすれば、もう片方は助けてやる」

 泣きながら私にしがみつく妹の腕はひどく震えていた。誰に向けたものでもないのだろう、小さな声が妹の口から漏れていた。

「死にたくない、死にたくないよぅ」

 正直、ズルいと思った。こんなに泣いて、怯えて、私にすがる姿を見せられては、私が弱音を吐くわけにはいかないではないか。

 私はその吸血鬼に告げた。

「私が貴女の従者になる。生涯を懸けて貴女につくす。だから、妹は助けてほしい」

 その言葉を聞いた吸血鬼は満足そうに頷き、私を根城に連れ帰った。そうして私は吸血鬼になった。

 *

 私の主となった吸血鬼には、私以外に従者はいなかった。それまで必要だと思ったことがなかったらしい。では何故私を、と問うたところ、私たち姉妹があまりにも怯えた姿を見せていたので少し意地悪をしてみたくなっただけだと言う。あんまりと言えばあんまりな話だ。この吸血鬼のちょっとした悪戯心で私たちはバラバラにされてしまった。恐らくもう二度と会うこともないのだろう。私はしばらくの間、妹がこれからどうやって生きていくのかを思い泣いていた。

 *

 主は私を従者と呼ぶが、実際に何かを命じることはほとんどなく、吸血鬼としての心構えを説いたり、獲物(もちろん人間のことだ)の狩り方の手ほどきをしたりと、なんというか、主従というよりは師弟と言った方がしっくり来そうな間柄だった。最初こそ戸惑いも大きかったが、何しろ服従を誓ってしまった私である。面と向かって反抗するわけにもいかずにただただ流されるままに吸血鬼としての在り方を身に付け、気が付けば人間を狩ることへの抵抗もなくなっていった。

 *

 そんな風に過ごして四十年ほど経った頃、主が殺された。私が珍しく主の命を受けて他の吸血鬼のところへ向かっている最中だった。吸血鬼といえども完全な不死ではない。どうやらいわゆる吸血鬼狩りの人間にやられたようだった。

 私は二重の意味で驚いていた。一つは、あんなに自分の強さや長寿を常々自慢げに語っていた主が呆気なく殺されてしまったことに。もう一つは、灰になった主を見て、「悲しい」と思った自分に。

 彼女は私を従者と呼んでいたが、だからと言って不当に虐げるようなことは一度もなかった。時々意地悪ではあったが、私が一人前の吸血鬼になるためにそれこそかいがいしく面倒を見てくれていた。そんな主のことがどうやら私は好きだったらしい。出会い方は最悪だったのに。妹を独りにした張本人なのに。それなのに。

 *

 吸血鬼は葬式をしない。しかし、死した同類を悼む心がないわけではない。主の訃報を聞いて、私のところに多くの吸血鬼が哀悼の意を告げに訪れた。中には意外にも残された私の身を案じてくれる者もいた。私はそれらにお礼を述べながら、一人で生きていくことを伝えた。主の残した物を守りながら、主に教わった生き方を続けていく、と。しかし、主の死を知った時から、私には一つの予感があった。きっと、次に狩られるのは自分なのだろう。

 直感とかそんなものではない。主の根城には私がいた痕跡がいくつも残っている。恐らく人間たちはそれらをたどって遅かれ早かれ私にたどり着くのだろうという、現実的な分析だった。そして数日後、その分析は思わぬ形で的中することになる。

 *

 棺桶のふたを開ける音で目を覚ます。まだ日が沈む時間ではない。何より、この根城にはもう私しかいない。あぁ、来たのか。そう思いながらまぶたを開いた。そこには、涙を浮かべて顔をくしゃくしゃにしながらこっちを見ている女がいた。女は泣きながらつぶやく。姉さん、と。それで気が付いた。この女が自分の妹であることに。

 妹の顔には、深いしわといくつかの傷痕が刻まれていた。苦労したのだろう。私の記憶が正しければまだ歳は五十にも満たないはずなのに、髪の色は真っ白になっていた。

 姉さん、と妹は再び呟く。そしてぽつりぽつりと話し始めた。両親が死に、私が連れ去られてから村にいられなくなったこと。そんな時に村を訪れた吸血鬼狩りに半ば強引に弟子入りしたこと。苦しい時も辛い時も、それこそ死にかけた時も何度もあったけど、吸血鬼を狩り続ければいつか私に会えると信じて戦ってきたこと。そして私の主を狩った時に、私が吸血鬼になっていることを知ったこと。

 そこまで聞いて、私は思い知った。あの時の私の選択が、吸血鬼の従者になることを選んだことが、妹を縛ってしまったことを。私を取り戻す。それだけを原動力に妹はその後の人生を生きてきた。生きてきてしまったのだ。私のことなんて忘れて、人並みの暮らしに戻って、人並みの幸せを得る選択肢だってあったはずだ。でも、妹はそれを選ばなかった。私にはそれがとても辛かった。せっかく拾った命なのだ。あんなに怖い思いをしたのだ。だったらその分幸せにならなければ。

 妹は泣きながらずっと「どうして」を繰り返している。この子を楽にしてあげたいと思った。私から伸びるこの鎖から、呪縛から自由にしてあげたかった。だから、私は短く告げた。

「私を殺しなさい」

 妹の目が見開かれる。何度も首を振る。全く、そういうところは変わっていない。しかし、それでは駄目なのだ。私は妹が握っていた白木の杭に手を伸ばし、自分の心臓の上にそえた。杭を握る妹の手は震えていた。杭を通して感じるその震えを感じながら、主に出会ったあの夜の出来事をぼんやり思い出していた。

「さぁ、務めを果たしなさい、吸血鬼狩り」

 私の意志が変わらないこと、もう私を救う方法はそれしかないことが妹にも伝わったのだろうか。長い長い逡巡の後、彼女は唸るような泣き声を口の端からこぼしながらもう片方の手に持っていた木槌を杭めがけて振り下ろした。

 *

 心臓に白木の杭がめり込み、私の身体は末端から灰に変わっていっていた。そんな風に自分の死を緩やかに感じながら、それでも最後に願わずにはいられなかった。目の前で泣きじゃくっている妹の幸せを。私からの解放を。

                了

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