九 , 決意をもう一度
アサギさんとアランが模擬戦をしているところを、部屋から持ってきた椅子に腰掛けて眺める。
「アラン、手に力が入りすぎ」
時々、口を挟みながら。
「そうだ、普段は自然体で。剣がぶつかる瞬間に力を入れることで、効果は何倍にも高まる」
アサギさんが、両手で構えた独特の剣でアランの攻撃を捌きながら、わたしの言葉に付け加えていく。
ドロニカさんが打った剣はまだアランの手に馴染まないようで、さっきから力の入れ具合を確かめるように何度も握り直している。
「長いなぁ」
二人はかれこれ数十分、ずっとこうして打ち合っている。
どうしてこんな状況になっているのか。
物音で目が覚めて一階に降りると、知らない男とアランがめちゃめちゃに散らかった部屋で話し込んでいて。
アサギと名乗ったその人にアランが稽古をつけてもらうことになり。
せっかくだから、と誘われて見学を始め、今に至る。
以上、回想終わり。
こうなった経緯を思い返してから、再び二人に目をやる。
アランはここ数日でかなり動きの切れが良くなったが、それでもアサギさんには今ひとつ及ばない。
手に持った独特の剣で、的確に捌かれ、鋭い反撃をどうにか防ぐ、ということを繰り返している。
アサギさんの持つ剣は、彼の故郷では単に
南方から伝わってこちらにも根付いている青龍刀と少し似ているが、西方でよく使われている青龍刀は金型に金属を流し込んで作る量産品を、分厚く幅広に作ることで強度を担保する方向に進化したものだ。
金属を精錬し、金槌で固め粘りを入れながら伸ばした和刀とは、形こそ似ているもののまったくの別物と言える…らしい。
「踏み込みが甘いぞ」
アランの斬撃を軽くいなしながら、アサギさんが言う。
体格こそアランは恵まれていないが、幾度かの戦いを経て精神が鍛えられてきた彼の成長はめざましい。
だが経験の差が出たか、今ではアランの動きは完全に見切られていて、刃がアサギさんの体に届くことはなさそうだ。
「それにしても」
どれぐらい二人を眺めていただろうか。
そして、これからどれだけの間二人を眺めることになるのか。
「長いなぁ」
再びそう呟くと、思わず大きなあくびがこぼれる。
…まぁ、こうして二人を眺めていなかったら今頃は部屋で本に齧りついて、また鬱々としていたかもしれない。
そう考えると、たまにはこんなのんびりした時間も悪くはないか。
そう思いながら、いつのまにわたしはこんなに平和ぼけしてしまったのだろう、とも思っていた。
――――――――――――――――――
「うわっ!」
これで何度目になるか、僕はアサギに攻撃を跳ね返され、後ろに吹き飛ぶ。
「ここらでやめておくか?」
和刀を僕の目に突き付けるように構え直しながら、アサギが僕に問う。
「まだやれる」
立ち上がって剣を構え直す。
もう少しでアサギの剣閃が読めそうなんだ。こんなところでやめられては困る。
「その意気やよし」
アサギは真剣な表情を崩さないまま口元だけで笑い、再びこちらに斬りかかってくる。
「はっ!」
右上段から迫る刃を、剣の根本で流す。
だが、アサギはそこから即座に手首を返し、僕の脇腹目掛けて刃を走らせる。
「くっ」
ギリギリで合わせ、襲い来る刃を剣の腹で防ぐ。
咄嗟の動きに踏ん張りが効かない。弾かれそうになるが、自分から後ろに跳ぶことで体制が崩されるのをどうにか抑える。
その後もアサギの連撃は続く。僕はどうにかそれらを躱し、防ぎながら、少しずつ後退していく。
このままじゃ駄目だ。
どこかで反撃の糸口を掴まないと。
「ふっ!」
息を鋭く吐きながらアサギが剣閃を走らせる。
ここまでのアサギの攻撃を思い返す。
剣閃が迫る。
そろそろ息継ぎが必要なはずだ。
剣閃が迫る。
握りしめていた剣を前方に投げ捨てる。
剣閃が触れる。
「今だっ!」
手のひらに焼けるような痛みが走り、鮮血が飛び散る。
アサギの目が驚愕に見開かれる。
「馬鹿な」
投げ捨てた剣を足で蹴り上げ、刀を挟み込んでいた手を離し、宙を舞う剣に伸ばす。
左手が、剣を――――。
だが、僕の左手にそれ以上力が篭もることはなかった。
下腹部に衝撃が走る。
自然と視線が映る。
僕のお腹に、アサギの拳がめり込んでいるのが見えた。
「がはっ」
呼吸が止まる。
肺の中の酸素が、僕の意志に反して外に逃げていく。
膝を付き、げほげほとえずく。伸ばされたアサギの手を掴もうと、手を伸ばす。
「あれ」
世界が回る。
視界が、外側から少しずつ黒く染まっていく。
意識が溶けていく――。「はっ!」
起き上がると、部屋のベッドで寝かされていた。
「アラン、気がついた?」
椅子に座ったルーシャが、こちらを心配そうに覗き込む。
「僕は…」
思い出す。
最後にアサギを出し抜いたと思ったが、結局やられたのは僕の方だった。
「また、負けたのか」
思わず手に力が入る。毛布に皺が寄り、ルーシャの瞳の心配の色がより濃くなる。
そんな僕に、壁に背を預けて立っていたアサギが声を掛ける。
「最後の場面、剣に頼りすぎたな。あの状況から、足技が出ていればやられていたのは俺の方だったかもしれん」
アサギの拳の威力を思い出し、再びお腹が痛み始める。
「いてて…。アサギ、素手でも戦えるんだ」
「いざという時にしか使わないがな。あくまで刀で戦うのが俺の主戦術だし、そもそも無手で武器に勝つのは難しい」
「やっぱり、強くなるには剣だけじゃ駄目なのかな」
思わず項垂れる。
「実戦の場では利用できるものはなんでも利用する。それだけだ」
アサギはなんともないようにそう言う。
「だが、あの場面で一度見ただけの白刃取りを再現した事には驚いたぞ」
感嘆するアサギに、僕は思わず言葉を返す。
「あ、あの時はただ必死だっただけなんだ。なんとか反撃の糸口が掴めれば、って思って」
わたわたと説明するが、アサギは首を横に振る。
「立ち会いの前に言ったと思うが、俺は白刃取りをまともに使えるようになるまでかなり時間が掛かったんだ。この短時間で成功させたのは、ひとえにお前の力だよ」
アサギの目が僕を捉える。
僕に比べて圧倒的に強い彼に認められたような気がして、嬉しいが少し照れくさい。
「そうかな」
照れ隠しにそう言って、思わず頬を掻く。
「これからの成長が楽しみだ」
アサギはそう言って笑うと、壁から背を離す。
「さて、そろそろ鍛冶場に戻らんとな。ドロニカ師匠にどやされちまう」
冗談めかしてそう言うと、アサギは荷持を持って帰り支度を始める。
「そういえば、アサギは旅人なんだよね。なんで鍛冶場で修行してるの?」
ドロニカが剣の達人…というのは、足運びや空気感から考えにくい。
「ああ、そういえば言ってなかったか」
アサギは腰から外して立てかけていた和刀を紐で括り付けながら答える。
「敵の数が多すぎて刀が駄目になった、という話はしただろう」
手の甲で腰に括った和刀の柄を叩きながら、アサギは言葉を続ける。
「その時に思ったんだよ。刀ってのは誰にでも打てるものじゃない。駄目になった時、近場に打てる鍛冶師が運良く居るとは限らない」
荷物が入った麻袋を肩に背負い、完全に帰り支度を終えてから、事もなげに言う。
「だから、自分で打てたほうがいい。幸い、師匠は駄目になった俺の刀を見ただけで修理してみせるほどの腕だった。弟子入りするにはもってこいというわけだ」
確かに、アサギの持つ武器――和刀は、今まで見たことのないものだった。
しかし、武器に気を使うのは冒険者の基本ではあるが、そこまでするとは驚きだ。
「色々納得したよ。でも、専門外の知識も学ぶなんてアサギは熱心だね」
そう言って言葉に出すが。
「俺の旅は趣味や行楽とは目的が違うからな。なりふり構ってられないのさ」
アサギは、やはり事もなげに笑う。
「尤も、旅人ってやつはそういう人間の方が多そうだが」
そう言って、アサギはルーシャの方をちらりと見る。
「それじゃ、俺は鍛冶場にいるから何かあったら声を掛けてくれ。といっても、もうすぐお前たちは旅に出るそうだから、これでお別れかもな」
アサギが部屋から出ていった後、ルーシャが椅子から立ち上がる。
「わたし、玄関まで送ってくるから」
そう僕に言い残して、ぱたぱたと部屋から出ていく。
静かな部屋に一人残された僕は、再びベッドに倒れ込み、左手を伸ばす。
「あの時、間に合ってたら…」
その先を想像しそうになって、首を横に振る。
仮に剣を掴めたとしても、そこから振り下ろすまでにはさらに時間がかかる。
今後、剣に頼らずに戦う手段も身に着けていくべきかもしれない。
アサギの拳の重みを思い出す。
体格差や経験差があるとはいえ、一撃で気絶させられるほどの威力。
あれだけの剣技を持ちながら、格闘術にも長け、戦闘以外の旅に必要な技術も広く学んでいる。
旅というのは、ただ剣を振って戦えるだけでは駄目なんだ。
「難しいな」
なんとなく、居ても立っても居られずにベッドから降りる。
下腹部に気を遣いながら立ち上がると、どうやら体のダメージはそれほど大きくないらしいことが分かる。
かたり、と部屋の扉が静かに開き、ルーシャが戻ってくる。
「アラン、もう動いて大丈夫?」
ルーシャがいつもの無表情でこちらに歩いてくる。
言葉とは裏腹に、あまり驚いてはなさそうだ。
「もう平気かな。さすがに激しい運動は今日一日控えたいけど」
体を一通り伸ばして、ルーシャに声を掛ける。
「アサギさん、何か言ってた?」
そう聞くと、ルーシャはアサギさんからの伝言を僕に伝える。
「アランによろしくってことと、それと」
そこで一旦言葉を区切り、じとっとした目をこちらに向ける。
「アランがドロニカさんに打ってもらった剣の料金の支払いと、剣の特徴と手入れの仕方を纏めたメモを貰ってきた」
そう言ってこちらに羊皮紙を突き付ける。
そういえば、アサギさんに稽古をつけてもらうのに夢中になっていて、剣のことをすっかり忘れていた。
「そ、そういえば忘れてたかな。ルーシャ、ありがとう」
動揺しながら受け取ると、ルーシャは小さくため息をついて言う。
「自分の技だけじゃなくて、道具にも気を遣って一人前だよ。アサギさんもそうでしょ」
これからは気をつけなきゃ、と言ってルーシャは再びため息をつく。
厳しく注意されながらも、なんとなく、最近のルーシャは感情が表に出るようになったな、と思って少し嬉しくなる。
泣いたり、笑ったり、怒ったり。
顔を真っ赤にしたり――――これは忘れろって言われたんだった。
「アラン、なんか嬉しそう」
「え?」
ルーシャに言われて、自分の顔に手で触れる。
どうやら、笑っていたらしい。
「うん、嬉しいかな」
今度は、ルーシャに向かって笑いかける。
「これからルーシャと旅するんだって改めて思ってさ」
準備は整った。明日にでも出発できるだろうと思う。
「…そうだね」
僕に対して、ルーシャは表情を曇らせながらそう答える。
ここ数日、ルーシャは旅に出るために色々と準備をしてきた一方で、旅のことを話題に出すと、いつもこうして表情を曇らせていた。
…ルーシャが抱えている重石が、これからの旅で取り除かれるんだろうか。
いや。きっと、ルーシャはそれを取り除くために旅を続けたがっているんじゃないだろうか。
旅をすることで重石の存在をより感じることになっても、それを取り除きたいと思っている――というのは、僕の考え過ぎかもしれないが。
とにかく、ルーシャにとってこれからの旅は、アサギさんと同様、趣味や行楽とは違うなにかを持っているのは間違いない。
僕は、できる限りそれを支えるだけだ。
ルーシャがくれた色んなものを少しずつ返しながら、沢山の人を助けたい。
僕を育てた両親や、あの時僕の命を助けてくれたルーシャのように、僕もなるんだ。
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