七 , 隣に

昨日の倉庫整理の結果、冒険道具の大半は経年劣化で使えなくなっていたので捨てることになり、本はルーシャが持っていったものを除いて神殿に寄付することになった。


本を運ぶために神殿と往復を繰り返したこともあって、疲れていたので昨日はかなり早くに床に就いたのだが、それでも今日はかなり寝坊してしまっていた。


最近はルーシャの勧めで日が出る少し前に目を覚まして体を動かすようにしていたし、僕が起きない場合はきまってルーシャが起こしに来るのがこの家での日常だったのだが。


「ルーシャが寝坊なんて珍しいな」


今日はルーシャも起きていないのか、起こされることもなく日が出るまでぐっすりと眠ってしまっていたようだ。


ルーシャも完璧ではないわけだし、これからは彼女に頼らずに起きられるようにしたほうが良さそうだ。そんな風に思いながら、ルーシャを起こすために両親の部屋改めルーシャの部屋に向かう。


「ルーシャ、起きてる?朝だよ」


ノックを数回して、声を掛ける。しかし、返事はない。


「ルーシャ、朝だよ」


先程より大きな声で、強く扉を叩く。やはり返事はない。


「開けるよ」


小声でそう言いながら、ゆっくりと扉を開く。隙間から中を覗いてみると、ベッドの中にルーシャの姿はない。


「あれ、居ない」


扉を開ききると、扉で隠れていた位置に、机に突っ伏して寝ているルーシャが目に入った。


「なんだ、本を読みながら寝ちゃってたのか」


ルーシャの頭と机の間に、昨日倉庫から見つけた本が目に入る。


時間を忘れて読み耽るほどの本なのか、と少し気になった僕は、ルーシャを起こす前に開かれていた頁を流し見る。


怪しげな模様が図として描かれ、どうやらその模様について解説されているらしい。


ルーシャの腕で隠れて大部分は見えないが、やはり魔術に関することが書かれているらしい。頁の端に、"刻印魔術"と書かれているのがわかる。


聞いたことのない単語だ。


ルーシャはこの刻印魔術というものについて調べているのだろうか。なら、これ以上はルーシャを起こして直接聞くのが早いか。


そう思い、ルーシャを起こしにかかる。


「ルーシャ、起きて」


肩を掴んで揺する。


「…ううん」


目を閉じたまま、額に皺を寄せて唸る。


そのまま何度か揺するが、よほど深く眠りについているのか、何度も唸るだけでまったく起きる様子がない。


「仕方ない、とりあえずベッドまで運ぼう」


ルーシャを抱き上げるために、ルーシャの肩に腕を伸ばす。


その時、ルーシャの首筋がじっとりと汗で濡れていることに気付いた。


額に皺を寄せたまま、唸るように体を縮ませる。


表情はさらに苦しそうに歪ませ、激しく歯ぎしりをする。


「ルーシャ」


うなされているルーシャの肩を揺する。


「起きて、ルーシャ」


悪夢の中を彷徨うルーシャに、必死に呼びかける。


だが、どれだけ大きな声を上げてもルーシャは目を覚まさない。


仕方なく、ルーシャの両肩を掴み、上半身を机から引き剥がして強く揺する。


「ルーシャ!」


そうしながら大声で名前を呼ぶと、ようやくルーシャはゆっくりと瞼を開く。


――――――――――――――――――


暗闇の中で、ひとりで膝を抱えている。


どれだけ長い間ここに居たのか分からない。


数年のようにも感じるし、一生のようにも感じるし、たった一分のようにも感じられる。


永遠にも感じられる一瞬の中で、少しずつ少女の声も聴こえなくなり、やがて一人で闇を漂う。




ふと、声が聞こえた。


わたしの名前を呼ぶ、少年の声。


少しずつ大きくなっていく声に、聞き覚えがある。


その声を聞いて、なによりもまず、安心した。そして、次にそれよりも大きな不安がわたしを包み込む。


声が近付いてくる。


だめだよ、こっちに来ちゃいけないよ。


きみもしんじゃうよ。


それでもきみはやさしいから、きっとわたしをまもろうとするんだね。


あぁ、ほんとうに。わたしなんか。


「しんでしまえばよかった」


――――――――――――――――――


ぼやける視界の中に、必死の形相でわたしを見つめるアランの顔が浮かぶ。


アランが生きている。


「良かった」


呟いて、目の前のアランを抱き締める。


慌てたようなアランの声が耳をくすぐる。


「アラン」


彼が離れていかないように、腕の力を強くする。


「死なないで」


そのまま、抱き締め続ける。


――――――――――――――――――


これはどうしたものだろうか。


うなされていたルーシャを起こしたら、抱きつかれて。


そのまま、かれこれ数十分ほど、ルーシャは僕のお腹に顔を埋めて泣きっぱなしだった。


その間ずっと立ったままだったので、足が疲れてきた。朝起きてから何も口にしていないので空腹もあるし、そもそもずっとこうしているわけにも行かない。


「ルーシャ、そろそろ離して」


そうルーシャに話しかけるが、背中に回された腕により力が篭もるだけだ。


無理に引き剥がすのも気が引ける。


仕方なく、泣く子供をあやすようにルーシャの頭を撫でる。


髪留めを外した銀髪はさらさらとしていて、触っていて心地が良い。


そうしていると、すん、と鼻をすする音がして、ゆっくりとルーシャが顔を上げる。


真っ赤に泣き腫らした目が、僕の目を見つめる。


再び鼻をすすってから、ルーシャが口を開く。


「アラン、死なないで」


一体どんな夢を見ていたんだろう。


気にはなるが、思い出させたくないので、聞くのはやめておく。


「死なないよ」


そう言うと、またルーシャの目に涙が浮かぶ。


「わたしと居ると、死んじゃうんだよ」


顔を歪めてまたぽろぽろと涙をこぼし、俯くルーシャ。


「だから、もうわたしに構わなくていいよ」


そう言って、両手で顔を覆う。


「この間と言ってることが違うよ」


そう言って、ルーシャの隣に腰掛ける。


「弱くて、心配かけてごめん」


僕の言葉に、ルーシャは髪を揺らしながら、小さく首を横に振る。


「違うの。弱いのはわたし」


ルーシャが僕を見つめる。


「わたしが弱いから、きみを死なせちゃうんだよ」


声を震えさせて。


「きみに側に居て欲しいよ」


涙を溢れさせながら。


「でも、わたしの側にいるときっときみは死んでしまうから」


僕に縋りながら。


「わたしの側に居ないで」


ルーシャはそう言った。


だから僕は。


「嫌だ」


ルーシャを抱き締める。


「ルーシャが僕に居て欲しいのなら、どんなに危険でも僕は側に居る」


離れていかないように、強く。


「僕は弱いから、君を不安にさせてしまうから。だから、一緒に強くなろう」


安心させるように、優しく。


「僕の側に居てくれ、ルーシャ」


僕の思いが、鼓動が、全てが伝われと願いながら。


「…ばか」


ルーシャは絞り出すようにそう言って、また泣いた。

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