六 , 夢の中で

暗い闇の中に、わたしの足音だけが響く。


なんのためかもわからず、しかしただ足だけはひとりでに前へと進んでいく。


不意に、目の前に薄汚れた白いシャツを着た少女が現れる。


「こんばんは、未来のわたし」


少女が口を開く。


「久しぶり、昔のわたし」


わたしも口を開く。


「幸せに慣れないようにね」


わたしに釘を刺すように、少女が言う。


「全然慣れないよ」


そう返すが、思わず笑みがこぼれる。


「そうやって自然に笑えるのが、慣れてるってことなんだよ」


少女が憎々しげに言う。少しずつ、少女を取り囲む闇が大きくなる。


「そうなのかな」


そう言いつつも、確かにそうかもしれない、とも思う。わたしは再び口を開く。


「そうだね。アランが居てくれれば、わたしは幸せかな」


わたしの言葉を聞いて、少女は白いシャツの裾をぎゅっと握る。


「いつか失うよ。そうなる前に、ひとりになったほうが傷つかないで済むよ」


そう言ってわたしを睨みつける少女。


「そうならないように、アランを守るよ」


少女に言葉を返すが、返ってきた言葉を聞いた少女はにたりと、下卑た笑みを浮かべる。


「本当に、守れるかな」


ぽつりと、呟くように少女が言う。その言葉に応えるかのように、足元の闇が崩れていく。


闇そのものに呑まれていく――――。


――――――――――――――――――


「ルーシャ、起きて」


わたしを呼ぶアランの声でぼんやりと目を覚ましたわたしは、続く突き上げられるような揺れで思考を覚醒させる。


「もしかして、寝不足?」


隣に腰掛けるアランが、心配そうにわたしの顔を覗き込む。


周りを見ると、馬車の中で座ったまま寝てしまっていたらしい。


夢を見ていた。


心配そうにわたしの顔を覗き込むアランに言葉を返す代わりに、いつものように腕を天井近くまで伸ばして筋肉をほぐす。


アランを見つめて微笑むと、彼も表情をやわらげ、わたしに微笑みかえす。


直後。


「魔物だ!魔物が出たぞ!」


御者の叫び。慌てて馬車の外に飛び出ると、上空に翼を携えた巨大な人形の魔物が飛んでいた。


髪はなく、全身が黒くのっぺりとしており、目や鼻、口などの器官は存在しない。


腕は筋肉で膨れ上がったように膨張しており、手はそれだけで肉を削ぎ落とせそうなほど鋭利な鉤爪となっている。


魔物は、わたしを認識すると即座に上空から降下し、勢いのまま右腕の鉤爪を振り下ろした。


鉤爪状のそれを剣で受け止めるのは難しい。咄嗟に横に跳んで避ける。魔物の顔がわたしに向けられ、そのまま連続して鉤爪が振るわれる。


魔物の大振りな攻撃を、最小限の動きで躱す。同時に体を縮ませ、地面を蹴って跳躍。空中で抜剣し、そのまま魔物の横腹を狙う。


だが。


魔物の翼が、折り畳まれてわたしの剣を防ぐ。剣と鎧がぶつかりあったような不愉快な金属音と共に、腕が弾かれる。


「しまっ…」


翼を持つ魔物は多い。特異な形状の鉤爪に目が向かっていたばかりに、翼への警戒を怠った。


だが、もう遅い。魔物の左腕が視界の端から迫る。


そして、鮮血が宙を舞うのが見えた。


だが、痛みはない。


遅れて、わたしと魔物の間に、アランが割って入ったことを理解する。


魔物の左腕が、アランを斬り裂いていた。


続けて、右腕でアランの頭が掴まれ、彼の体が宙吊りになる。


「え」


間抜けな声が口からこぼれる。


ぼたぼたと血が流れ、背中越しにでもアランの腹が大きく裂けているのが理解できる。


ぼとり、とアランから何かが落ちた。


臓器だった。


「うそ」


言葉が漏れる。少しずつ、周囲が闇に覆われていく。


完全な暗闇に包まれ、魔物と、アランと、わたしだけが残る。


体が動かない。不意に、くすくすという笑い声が脳裏に響く。


「ほら、守れなかった」


少女の声が脳内をこだまする。


「アランは死んだ。未来のわたしを守って死んだ。未来のわたしと出会ったせいで死んだ!」


アランの体が掻き消え、魔物がわたしに近づいてくる。


体が動かない。


「未来のわたしもきっと死ぬ。アランを殺して自分も死ぬ。ひとりで死ねば、誰も巻き込まなければよかったのに!」


鉤爪が迫る。


「あのときに死んでおけばよかったのに」


それは少女の声であり、同時にわたしの声でもあった。

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