七 , 後日談と少女の恋

ゆっくりと目を開く。ぼやける視界が少しずつクリアになっていき、視界いっぱいに広がっていたものが、木製の天井だということに気付いた。


「ルーシャ…」


呟く。似たような光景を、少し前に見た気がする。


ルーシャの旅立ちに間に合うよう、無理に自分を鍛えようとして気絶するなんて、なんとも馬鹿らしい。


僕はどれぐらい寝ていたんだろう。部屋の内装から、また僕は酒場の二階に寝かされていたらしい。


「女将さんに聞くしかないか」


ルーシャが既に街を発っていたらどうしよう。その時は、後から追いかけるしかないだろうか。


旅の経験どころか、冒険の経験すらろくにない僕に追いつけるのかはわからないが、ルーシャの体質を考えると可能性はゼロじゃない、と結論付ける。


後ろ向きなんだか前向きなんだか、自分でもわからない。


ベッドから起き上がり、床に足をつける。少しばかりの柔軟を済ませて、ふと自分の体を見る。


ゴブリンの返り血に塗れた僕の服と革鎧は、どうやら脱がされている。


洗濯のお礼も女将さんに言わなきゃな、と思いながら、部屋のドアを開ける。


「わっ」


少女の声。続けて、目の前の布の塔が、声の主に向けて倒れる。尻もちをついたであろう少女は、そのままそれに埋もれてしまう。


「ちょっと、突然なに」


大量の布に埋もれてもがくその声を、僕は知っていた。


「ルーシャ!」


シーツやら、シャツやらに埋もれて見えなくなったその姿を探し、布をかき分ける。やがて、布の中から、かつて生活を共にした少女が顔を出す。


ぺたりと床に座り込んだ姿勢のまま、彼女は僕を見つめる。


「アラン」


彼女の唇が震える。僕が言葉を探していると、突然、腰のあたりになにかがぶつかるのを感じる。


遅れて、彼女が僕に抱きついていることに気付いた。僕は立っていて、彼女は膝立ちになっているので、丁度、彼女の顔が僕のお腹に埋もれる。


「ル、ルーシャ。どうしたの」


突然のルーシャの抱擁に、僕は取り乱す。しかし、ルーシャは少しずつ両腕の締め付けを強くしていき、やがて僕も、抵抗をやめた。


すん、と鼻をすする音がする。彼女の肩は、震えていた。


ルーシャは何も言わない。僕は、静かに彼女の言葉を待つ。


やがて、彼女は涙声で僕に話しかける。


「わたしの旅に、ついてきてくれるんでしょ」


僕は震えるルーシャの肩に手を置き、答える。


「うん」


ただの肯定。それだけで、ルーシャの両腕にさらに力が入る。


「そっか」


両腕の抱擁が解かれ、ルーシャは僕から離れ、目を合わせる。


「よかったぁ」


それは、僕が今まで見た、どこか自分を抑え込んでいるような静かな笑いではなくて。


ルーシャという少女の、本当の笑顔。


そんなふうに感じられる。


不意に、階下から声が張り上げられる。


「ルーシャー?洗濯の取り込み終わったら、ご飯たべりー!」


女将さんの声だ。ルーシャと顔を見合わせる。


「行こう、ルーシャ」


僕は彼女に言う。


だが、彼女は動き出す気配がない。僕が顔を覗き込むと、その顔は少し、熱っぽく見えた。


「ルーシャ、熱があるの」


心配になり、僕は問いかける。だが、ルーシャは顔を真っ赤にしたまま、それを否定する。


「ち、ちがうよ」


深呼吸をして、再び彼女は口を開く。


「アラン、これからわたしがすることは、なんでもないことだから」


彼女らしからぬ、有無を言わさない早口。


「わたしの生まれ故郷では、普通なの。だから、なんでもないの。わかった?」


その迫力に、僕は思わず頷く。一体、彼女は何をするつもりなんだろうか。


再び真っ赤な顔で深呼吸をすると、彼女は手元のシーツを僕の顔に叩きつける。当然、僕の視界は白に染まる。


「わわっ」


突然のそれに、僕は後ろに倒れ込んでしまう。視界を自由にしようともがくが、ルーシャが僕の腕をシーツごと抑え、やがて抵抗をやめる。


ルーシャのやることだ、危険はないだろう。


そう結論づけ、僕はルーシャにされるがままになることにした。


軽い何かが僕の上にのしかかり、それがルーシャだとわかる。一体、何が起こるのか。


彼女の体重が僕から離れ、そして。


――シーツ越しに、唇にやわらかいものが触れた。


それが離れると同時に、僕は慌ててシーツを弾き飛ばす。


自分の顔が真っ赤に染まっているのが、わかる。僕に馬乗りになっていたルーシャも、顔を真っ赤にしている。


「なんでも、ないから」


先程よりもさらに顔を赤くしたルーシャは、そう言い残すと、立ち上がって階段を駆け下り、階下に消えていった。

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