四 , 二人の冒険者
「はっ!」
肺の空気を勢いよく吐き出しながら、右手で握りしめた剣を左から右へ薙ぐ。
ゴブリンの首に剣がぶつかり、鮮血がほとばしる。だが僕の剣は、敵の首を跳ね飛ばすには至らなかった。
たしかに刃は首に食い込んでいる。だが、首の前に構えられた棍棒ですんでのところで防がれ、致命傷には至らない。
「グギャァッ!」
痛みに呻きながら、ゴブリンは棍棒を振るう。剣を持った右手を弾き飛ばされ、思わず剣を取り落としそうになるのを、衝撃と同じ方向に腕を戻すことでどうにか回避する。
同時に首筋に食い込んでいた刃は離れ、僕らは互いの攻撃の間合いに立ちながら、攻め時を伺う。
周囲には、四匹のゴブリンの死体が転がっている。二匹のゴブリンを倒し、遅れてやってきた三匹のゴブリンのうち、二匹を倒すまでは順調だった。
だが、その順調さが僕に油断を産んだ。痛む左手をかばいながら、
最後のゴブリンは強かった。僕が剣を振るえば的確に防ぎ、反撃する。攻めあぐねていると、今度はフェイントを織り交ぜた鋭い攻撃を放つ。
ゴブリンは最下級の魔物だが、目の前のそれは明らかにその中でも上位の存在だった。
「まさか、ロードが城壁内部の洞窟にいるなんて」
自分の心を落ち着かせるように、思考をそのまま声に出す。
ロードと呼ばれる魔物の上位種は、その名前の通り、同種の魔物の指揮官のような役割を持ち、時として大部隊を指揮して人間の領域に攻め込むことすらあるという。
また、彼らは優れた指揮官でありながら、同時に優れた戦士でもある。それは、目の前のゴブリンロードの強さから体が理解していた。
だが、こんな街の端にある洞窟にロードがいるのは妙だ。魔物の生態は謎が多いが、魔物の社会は極端な縦社会で、ロードとして生まれ、育った魔物がロードになるはず。
こんな辺境の洞窟で、ロードの血筋が存在しているはずはない。
「ニンゲン!コロスッ!」
目の前のゴブリンが鋭く叫び、棍棒を横に振るう。通常のゴブリンのそれとは違う、武術を学んだもののような太刀筋。
咄嗟に右腕の
腕は少ししびれたが、すぐに影響は消えるだろう。
追撃に備えたが、ゴブリンは僕の顔をじっとみているばかりで、攻撃してくる気配はない。
お互いの間に横倒しに置かれた松明。その灯りに照らされた灰褐色の魔物が、ゆっくりと声を開く。
「オマエ、アノトキノ、ニンゲン、ダナ」
低くしゃがれた声。
僕の隙を作るための言葉かと勘ぐるが、ロードの謎がわかるかもしれないと考え、こちらも言葉を返す。
「ゴブリンの知り合いなんていないよ」
だが、目の前のゴブリンは口角を釣り上げると、再びその独特な声と発音で喋りだす。
「イヤ、オマエ。アノトキノ、オクビョウモノ。オンナニ、マモラレテタ」
その言葉を聞いた瞬間、僕の目の前にある光景が蘇る。
下卑た笑みを浮かべ、僕の目の前に迫る二匹のゴブリン。恐怖し、力が抜け、剣を取り落としたあの瞬間。
「まさか、ルーシャと会ったあの時の」
頬を汗が伝う。目の前にいる灰褐色の魔物は、少し前の僕が恐怖に足をすくませた存在そのものだ。
じわり。手足の先から、恐怖が僕を蝕んでいくのを感じる。
「るーしゃ。ナマエ、オボエタ。ツギニアッタラ、コロス」
ゴブリンの言葉に、僕は思わず返す。
「お前なんかにルーシャが殺されるもんか」
だが、ゴブリンはさらに口角を釣り上げ、口を大きく開く。
「オレハ、ツヨクナル。オマエヲコロス。るーしゃモ、コロス。ナカマノ、カタキダ」
言葉とは裏腹に、ゴブリンはニタニタと笑っている。
「…ゴブリンにも仲間意識があるんだな」
とてもそうには見えないが、これが最も適切な返答だろう。
「チガウ。るーしゃハ、ツヨイ。ツヨイニンゲン、コロス。キケンダカラ」
その言葉に、はっとする。
冒険者は依頼を受け、人々に被害を与える危険な魔物を排除する。
では、魔物はなぜ人間を襲うのか?
深く考えたことはなかったが、目の前のゴブリンの発言を聞いた今では、答えは簡単だった。
彼らもまた、僕たちと同じように、仲間に被害を与えた危険な他種族を排除しているのだ。
生来の凶暴さは異なるものの、人間と魔物はそう違わないのかもしれない。
だが、そんなことは今はどうだって良かった。
「ルーシャは殺させない。お前は、今ここで僕が殺す」
恐怖は消えていた。いや、恐怖を上塗りするほどの使命感が僕の中に生まれ、それは既に他の感情を心の隅に追いやるほど巨大に膨れ上がっていた。
ルーシャがこいつに目をつけられたのは、僕を助けたからだ。僕を助けたのはルーシャの意志だけど、それに責任を感じるのもまた、僕の意志だった。
「オレハ、ツヨクナッタ。コレカラモ、ツヨクナル。コロセルモノナラ」
一呼吸おき、魔物の冒険者は息を大きく吸い込む。
「ヤッテミロ!」
飾り気のない、愚直な突進。対応するため、敵の武器を弾けるよう、体のばねを溜める。
だが、不意に目の前に広がっていた灰褐色のそれが姿を消す。続いて、左足に痛み。
視線をやると、低くしゃがんだゴブリンの姿と、彼が持つ木の棍棒が僕の左足にめりこんでいることを理解できた。
「く、そっ!」
息を詰まらせながら、痛みを無視して右手の剣をしゃがんだ背中に向けて振り下ろす。
ざくり、と肌が裂ける手応え。
だが、刃が食い込んでいたのは背中ではなく、それを守るように突き出された手のひらだった。瞬間、がくんという衝撃と共に剣を動かす自由が奪われる。
血をぼとぼとと落としながら、素手で剣を受け止め、そのままそれを握りしめたゴブリンが、勝ち誇ったように立ち上がる。
彼我の距離は、ほぼゼロ。
「ワルイナ、オレノ、カチダ」
剣をしっかりと握りしめたまま、もう片方の手で棍棒が振るわれる。振るわれたそれは的確に僕の側頭部に吸い込まれていき、そして――。
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