五 , 似た者同士の結末

僕の脳裏に、これまでの半生で見てきた情景が次々と浮かび、消えていく。


父と母が二度と帰らなくなった日。


生きるための肉体労働をこなしながら、巻藁に木剣を打ち込んだ日々。


英雄の伝記を読んで、夢に思いを馳せた夜。


酒場で仲間を募り、はじめての冒険に出かけた日。


そして――オレンジに照らされる、気怠げなルーシャの顔。


僕に別れを告げた、孤独な表情。


ベッドに腰掛け、静かに微笑む彼女の顔。


浮かんでは消え、また浮かぶ。


視界の端から、ゆっくりと、だが着実に、僕の命を奪う木製の凶器が迫る。


――まだ、死ねない。


僕の脳が。身体が、魂が、生きることを諦めたくないと叫んでいる。まだ死ねないと吠え猛る。


ルーシャをひとりにしてはいけないと、僕の全てが強く感じる。


咄嗟に、剣を握り締めていた右手の力が緩む。


肉体が、筋肉が、脳からの命令を無視し、独りでに動き出す。


だらりと脱力し、体は地面へ吸い込まれていく。倒れる直前に、手を床に付き姿勢を制御。同時に、足元に転がされていた、オレンジの灯りを放つ"それ"を手に取る。


側頭部に吸い込まれ、確実に僕の命を奪うはずだった赤黒い鈍器が、空を切る音が、まるで遠くにいるかのように遅れて聞こえる。


「うわあああああああああ!!」


限界を超えた肉体の動作を維持するための、命を燃やすための叫びを上げ、拾い上げたそれを、既に負傷した左手で支えながら目の前の魔物に突きこむ。


「グ、ギャアアアア!」


肌が焦げ、肉が焼ける音がする。


、ゴブリンの顔を焼き、怯ませる。


不意の攻撃に怯んだその隙に、僕は松明から手を離し、右手で剣を掴んで引き戻す。ゴブリンの手から血が吹き出し、さらに絶叫が聞こえる。


壁を蹴って跳躍する。空中で体を捻り、ゴブリンの肩目掛けて剣を叩きつける。


「いっ、けええええええええ!」


たった数秒の跳躍が、数分にも感じられる。ゴブリンの絶叫が少しずつ遠のいていく。


――――――――――――――――――


目を覚ますと、オレンジの灯りに照らされた薄暗い洞窟の天井が目に入る。直後、頭に凄まじい痛みが走り、蹲る。


頭を抑えて、必死に痛みを堪えながらゆっくりと立ち上がる。唯一の光源である松明の火に照らされて、右肩から先を失った一匹のゴブリンが目に映る。


どうやら僕は、着地に失敗して頭を打ち付け、一瞬だけ気を失っていたらしい。


僕が目を覚ましたことに気づくと、ゴブリンはゆっくりと目を開け、僕に語りかけてきた。


「ナゼ、ソンナ、カオヲ、シテイル」


その言葉を聞いて始めて、自分が彼に対して、敵意以外の感情を抱いていたことに気づいた。


「君は強い。少し前まで、僕が斬ったゴブリンとそれほど変わらなかった君は、どうしてそこまで強くなれたんだ」


僕の問いに、ゴブリンは口角を釣り上げ、ニヤリと笑って答える。


「ツヨクナッタノハ、オマエモダ。アノトキノオマエハ、オレヨリ、ヨワカッタ」


確かにそうだ。でも――


「今は、ひとつでも強くなるための手がかりが欲しいんだ。もし君が、僕と同じように、僕に対して殺意以外の何かを持っているんなら。君が強くなれた理由を、教えてくれないか」


少し逡巡してから、彼は口を開く。


「オンナダ」


「…は?」


「ダカラ、オンナダ。ニゲカエッタオレヲ、ワラッタオンナガイタ」


話の流れが、少し怪しくなってくる。


「ソイツヲコロスタメ、ツヨクナッタ。ダガオレハ、ヤガテホントウノキモチニキヅイタ」


つまり、目の前の彼は。


「オレハ、ソイツニ、ホレタンダ」


好きな女の子を自分に振り向かせるために、強くなったのか。


僕に向かって、この場で始めて、敵意を全く感じさせない表情で、彼はニヤリ、と口角を釣り上げる。


そして――


「オマエモ、ソウダロ。オレノブンマデ、るーしゃヲ、タイセツニシロ」


そう言い残して、呼吸を止める。


僕は複雑な思いで、彼の亡骸を見つめる。たしかに敵であり、命を奪い合った間柄であり、しかし最後には、友のように語らった、不思議な魔物の亡骸を。


ふと、彼の亡骸が首飾りを下げていることに気がつく。


少し迷い、手に取る。藁を編んで作った紐に、穴を開けた木の板を通しただけの簡素な首飾り。


表にはなにも書かれていない。裏側をめくると、拙い文字で「ザザ」と掘られていた。


首飾りから手を離し、松明を拾い上げ、壁に手を付きながら立ち上がる。


麻袋から予備の松明を取り出し、杖代わりとしながら出口へ歩く。


歩きながら、ザザの最後の言葉を思い返す。


「違うよ、ザザ。僕とルーシャは、そういう関係とは違うんだ」


右手の杖代わりの松明で体重を支えながら、歩く。


「ルーシャは、僕の恩人だ。だから、助けたいって思う。それだけなんだよ」


本当にか?心の奥底から、僕自身の声が響く。


「…正直なところ、本当はわからない。けれど、今はとにかく、ルーシャを助ける。自分の気持ちを思いやるのは、それからでも遅くないよ」


自問自答を繰り返しながら、僕は薄暗い洞窟を歩き続けた。

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