二 , ぼくらのこれから
酒場の一階で乾いた黒パンに野菜のスープという簡素な食事を済ませ、親指で口を拭おうとして、ルーシャをちら、と見てやめる。
ポケットから手拭き用の布を取り出して、改めて口を拭く。
ルーシャも柔らかそうな布を取り出し、口を拭いてから、やがて口を開く。
「それで、わたしの事なんだけど」
結局、食事中はまったく会話をしなかった。お腹が減っていたので夢中になっていたというのもある。だがそれ以上に、ルーシャがずっとスープの水面に視線を落とし、僕の方を見ていなかったので…要するに、声を掛けるタイミングがなかったのだ。
ルーシャは、言葉を探すように少し逡巡して、再び言葉を紡ぐ。
「わたしは、旅人なの。目的があって、色んな街を移動しながら、冒険者をやっている」
旅人。冒険者というそもそもが不安定な職業に就きながら、さらに不安定なその生き方を選ぶ人間はあまりに少ない。
そもそも冒険者というのは、国の近郊や内部にある洞窟や森、旧時代の遺跡などを探索し、財宝を持ち帰って売り捌いたり、民間や国など対象を選ばず、危険な魔物や動物の排除を請け負うなどして生計を立てる職業だ。
危険に飛び込む専門の何でも屋、といったところだろうか。
そんな冒険者にとって、自分の収入を高め、安定させる上で欠かせない付加価値がある。
信用だ。
小さな依頼を積み重ねていくうち、この冒険者は信用できる、と判断されれば、より危険な依頼、秘密保持の必要な依頼など、重要度の高い依頼を頼まれるようになる。
当然、そういった依頼は見返りも大きく、聞くところによると龍退治を成功させた四人組の冒険者は、一生遊んで暮らせるほどの金を得たという。
だが、旅人はそうではない。
「旅人は、依頼側からしたら得体の知れない冒険者。だから、当然収入も少なくなる」
僕の考えを読んだように、ルーシャが語る。
「そのうえ、旅は普通の冒険よりも消耗品も増える。正直、楽じゃないよ」
でも、と言葉を区切り、彼女は続ける。
「それでも、やらなきゃいけない。目的があるから」
はっきりとした声だった。
ルーシャは、僕の想像のつかないなにかを背負っているのだろうと、肌で感じる。しかし、僕はそれでも。いや、だからこそ、こう思うのだ。
「ルーシャ。僕も、君の旅に着いて行っちゃだめかな」
僕はルーシャの目を真っ直ぐに見つめて言う。だが、ルーシャの返事は冷たいものだった。
「気持ちは嬉しいんだけど。でも、わたしと旅をするのは危ないから」
にべもない返答に、僕は言葉に詰まる。続けるようにルーシャが口を開く。
「初めて会った後、洞窟から出るまでにたくさん休憩を取ったでしょ?」
言われて思い返す。たしかに、あの小さい洞窟の中から脱出するまでに、ルーシャは四、五回ほどの休憩を挟んでいた。
「あの休憩は、アランの体力を気遣ったわけじゃなくて、わたしの体力を維持するために取っていたの」
なるほど。それなら、あのとき僕が反論しても無理に休憩を取っていたことは納得できる。だが、そうすると別の疑問が湧き上がる。
「ルーシャって、体力ないの?」
僕よりもずっと長い経験を積んでいるルーシャが、僕よりも体力がないというのは考えにくい。
「全然ないよ。ちょっと理由があって、鍛えようにも鍛えられないから、体力とか筋力とか、身体能力に関しては全部諦めてる」
ルーシャの長いまつげが揺れる。目を伏せた彼女は、憂いげでどこか悲しそうにも見える。
「それと旅の危険に、なんの関係が?」
僕は続く疑問をルーシャにぶつける。
「あの頻度で休憩を挟んで、しかもいざというときに走って逃げられない。危険じゃないはずがない」
鋭い目で、張り詰めた声音でルーシャは言う。
「わたしが全力で走れるのは、せいぜい一、二分。しかも、その後に戦ったり、さらに歩いたりすることはできない」
僕が思っていた以上に深刻な、ルーシャの低体力。彼女が今までそんな素振りを見せなかったこともあり、頭を殴られたような衝撃を受ける。
「そういうことだから、わたしはひとりで旅を続ける。アランも、冒険者として頑張って」
席を立つルーシャを思わず引き留めようとするが、目が合った彼女の顔を見つめたとき、僕は何も言えなかった。
だって、何が言えるだろう。
ルーシャは強い。これまでも、一緒に旅をしたいという旅人は多かったはずだ。
だが、ルーシャはひとりだった。誰かに誘われるたび、今のように断ってきたんだろう。
席を立ったときのルーシャの表情を思い出す。
孤独を無理矢理に受け入れて、誰かと時間を共にすることを諦めてしまったかのような表情。
誰かを危険に晒さないために自ら選んだ孤独の道を、彼女はこれからも歩き続けるのだろうか。
――――――――――――――――――
広く静かな部屋で、わたしは少ない荷物を纏める。暫くの生活に必要な荷物は運んでもらっていたが、殆どはまだ、この街に来たときに借りた物置小屋に置いたままになっている。
麻袋を持ち上げ、改めて部屋を見渡す。わたしとアランが、ふたりで過ごすには十分すぎる広い部屋。そこで聞いた、アランの夢。
「僕は、英雄に憧れてるんだ。ただ強いんじゃなくて、虐げられてる人々を救って、悪人を倒す。魔物に困ってる人がいたら、助ける。そんな、正義の英雄に」
ベッドに横たわりながら、それでも輝く瞳で夢を語る彼が、わたしには眩しかった。
自分自身の目標。それを改めて思い出すと、わたしは心に影が差す。
アランという光を知ったからこそ差す、どす黒い影。
だが、今更生き方は変えられない。
夢の中に現れる、幼い自分を思い出す。
わたしは、周囲の人間とは明確に異なる点があまりに多すぎた。そして、それを生み出したものを、許すことはできない。
「――必ず、殺す」
自らを戒めるように呟く。
がちゃり。
扉が開く音がして、アランが部屋に入ってくる。聞かれてしまっただろうか?
だが、もう会うことはないだろう彼に聞かれたところで、問題はない。
麻袋を持ち上げ、部屋の出口に向かう。アランは視線を泳がせるが、やがて私に道を譲った。
「さよなら。きみと過ごしたこれまでは、すごく楽しかった」
目を合わせないまま別れを告げ、部屋を後にした。紛れもない、本心だった。
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