第20話:7月7日(宵闇)

 花火大会を締めくくる最後の尺玉が、夜空を鮮やかに染めると、辺りは徐々に静けさを取り戻していく。


「まだ、時間、大丈夫か?」


 夏虫の声が聞こえ始めた河川敷で、瑞希はそう言った。腕時計を確認すると時刻は二十時を回っていたけれど、きっと深夜0時まではこの世界にいることができるのだと思う。


 微かにうなずいた私に、瑞希は「公園で、少しだけ花火をやって行かないか?」と言った。花火がしたいわけじゃない。ただ、私は話をしなければいけない。もう会うことができない、それだけでもしっかりと伝えないと……。


 人混みであふれかえる河川敷を足早に抜け、先を歩く瑞希は、堤防のすぐ横にある空き地に向かっていく。止めてあった自転車の鍵を外し、サドルにまたがった彼は、私を振り返ると後ろ乗るよう促した。


「ちゃんとつかまってろよ」


「うん」


 瑞希が住むこの街は坂道が多い。川は街の低い場所を流れていて、いつもの公園に向かうには、いくつかの上り坂を超えなければならない。急な坂道を自転車で超えていく瑞希の呼吸が荒くなる。夏の夜の空気を伝わって、その息遣いが私まで届く。夜空には、微かに灰色の雲がかげりだし、結局アルタイルの瞬きを見つけることはできなかった。二人は再会できたのだろうか。それとも……。


「降りようか?」


「だぁ~いじょ~ぶっ」


 降りた方がきっと早いのに、でもありがとう……。


 そっと彼の背中に触れてみる。暖かさと、そして心臓の鼓動が確かに感じられる。この世界で瑞希は生きている、ただそれだけで十分なはず。


 コンビニで手持ち花火とペットボトルの飲料を買った私たちは、昨日待ち合わせをした公園に向かった。団地に囲まれた公園は、花火大会の喧騒とは対称的に、とても静かだった。この場所からでは団地に阻まれて河川敷上空に舞い上がる花火は見えないのだと思う。だからこの時間に、公園に来る人はほとんどいない。


「あれ、雨……」


 花火に火をつけようとした瑞希はそう呟き、暗い上空を見上げた。灰色の雲が闇に張り付くようにして、夜空を覆い尽くしている。地上に降りそそぐのは、ゆらめく星の瞬きではなく、空中の湿気を大量に含んだ重たい雨粒だった。


 雨脚はすぐに本格的となって、私たちは急いで公園を後にする。雨よけになるような場所が近くに無いのだ。足早に小学校の裏を抜け、その隣にある小さな神社へ向かった。降りたての雨で、ひどくぬかるんだ参道を抜けると、拝殿の軒下に潜り込む。


「ごめん、花火なんてしようって言ったから……」


「大丈夫。気にしないで」


 雨水で額に張り付いた私の前髪を、瑞希はハンカチでぬぐってくれた。この先もずっと時間が一緒に積み重なっていくのなら……。


「瑞希くん。話がある……」


 雨脚は弱まるどころか、さらに強くなっていく。時折、空気を激しく揺らす雷鳴と、地面を騒がす雨粒の音に阻まれ、心が怯みそうになる。


「私は、この世界の人間じゃない」


 瑞希は何も言わず、ただ黙って私を見つめていた。きっと彼もどこかで分かっていたのだと思う。私がこの世界には存在していないということを。


「瑞希くんは、私の世界で死んでしまったの」


 雨音に阻まれ、世界は孤独に包まれる。それでも私は伝えなければいけない。


「あの列車事故で、あの事故で、瑞希くんは死んでしまったの」


「いや、俺は確かに生きている。ってか、お前が俺を助けて……」


「そう、私は願った。瑞希くんにもう一度だけ会いたいって、そう願ったの」


 雨にまみれた生暖かい夏の夜風が、神社の境内に掛けられた七夕の短冊たちを激しく揺らしている。願いは必ずしも幸福をもたらすものではない。それは時に絶望をもたらすことさえある。自分にとっても自分以外の誰かにとっても。


「それは、どういう……」


「もう会ってはいけない。願いは叶ったのだから。これから先、私たちが会っても、きっと誰の幸せにもつながらない。だから……」


 私の願いは、きっと誰も幸せになんかしない。


「だから、もうさようなら、です」


 このお守りが全ての始まりだった。でも、これはもう私がもっているべきではない。その力の使い方を私は知らないから。最初から願ってはいけなかったのかもしれない。私はお守りの入ったピンク色の巾着袋を掴むと、それを瑞希の手の中に押し込んだ。私の痕跡として、私の大切な存在と共に……。


「おいっ、ちょと待てって」


 彼の声を振り払って、私は夜道を駆ける。どこか遠くに行きたい。ただ、どこまでも。時間と決別をするために。


――きっと、これでいい。

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