第18話:7月6日(午前~)
どんな希望を描いて生きていけば良いのかなんて、今の私にとっては、どうしようもなく答えようがない問いだ。世界の無意味な感じが積み重なって、そして無意味を量産し続けるだけの時間軸で、描くべき希望なんて見つかりやしない。
平行世界で瑞希に出会ったのは、叶わぬ願いが不確定的要素となって、可能的な仕方で私に見せた夢のようなもの。脆くて、触れてしまえばすぐに壊れてしまうような、そんな儚い平行世界での一瞬の出来事に過ぎないと、自分の心を説得する。
私は、自分の現実世界で、最後に瑞希と会った場所を歩いていた。川沿いに立ち並んだ高層マンションが、なんとなくリアリティを失った東京の街を演出している。あの日、この歩道をゆっくり歩きながら、私たちはいろんな話をした。学校のテストの話や、うちで飼っている猫とインコの話。どうでもいいような話のすべてが、大切な時間として積み重なっている。
「明日は、七夕か……」
七夕の夜に、瑞希は地元で開催される花火大会を見に行こうと言ってくれた。『花火大会よりも遊園地がいい』なんて私が言ったら、瑞希は『子供だな』と言って笑っていた。だけれど、どっちも連れてってやると、そう私に約束してくれた。
もう二度と会えないと分かっていても、もう二度とその声を聴くことができないと知っても、きっとまた会えるという希望を、そう簡単には捨てきれなかったりする。
無情にも過ぎゆく時の中で、私は何を見つけ出して、そしてまだ見ぬ未来に、いったい何を抱くことができるだろう。あれが最後になるなんて、思ってもみなかった。耐えきれないに日常に、一つの答えを出す。「たぶんそれでいい……」と自分に言い聞かせて、そしてまた自信を失うことの繰り返し。
川沿いに並んだベンチに座って、風に揺れる川面をしばらく眺めていると、鞄の中で携帯端末が着信を知らせているのに気が付いた。
鞄の中から携帯端末を取り出すと、画面の通知欄を確認する。予想どおり、ソーシャルメディアのメッセンジャーアプリケーションの通知が点滅していた。
「うそ……」
私は着信したメッセージを開いて驚いた。現実にはありえないはずのメッセージが届いていたから。
「あり得ない」
思わずそうつぶやいた私の視線の先には、『一年の何組?』という短いメッセージと、その送信者が
私はあわててメッセージの送信時刻を確認すると、七月四日の午前一時、つまり深夜に送信されたものであることが分かった。このメッセージは、私の端末に二日以上遅れて届いたことになる。
「まさか……」
秩父の神社へと続く暗がりの石段で、瑞希は『携帯にメッセージ、送ったんだけど』と、確かにそう言っていた。夕暮れ時の公園で、この端末の連絡先を教えたのが七月三日。彼はきっとその日の夜、日付けが変わった深夜一時に、メッセージを送ったのだろう。
届くはずのないメッセージが届いている。これが意味しているのは、私の世界と、彼の世界の境界線が曖昧になっているということ。その理由はもう明らかだ。
「七月六日。時間軸にずれが無いんだ」
私の時間軸は、平行世界に比べて二時間ずつ後方にずれていく。でも、今日と明日だけは二十四時間という時間の幅を、向こうの世界とこちらの世界とで共有しているんだ。
その後、私は向こうの世界から、昨日という仕方で少しずつ消えていく。これまで時に追われていたのに、今日と明日の二日間を境に、時を追いかけることになる。決して追いつくことはできないのだけれど……。自然と頬を伝う涙に、まだ向こう側の世界に対して未練があるのだと、あらためて思った。
どれくらいここにいたのだろう。平行世界を往復していたせいか時間の感覚を失いかけていたし、あの脱線事故が起こってしまった日以来、ぐっすり眠れたことなんて一度もなかった。睡眠不足だった私は、ベンチに腰かけたまま少しだけ寝てしまったらしい。右手の中で、静かに揺れている携帯端末に気が付いて意識が戻る。
端末の画面を確認すると、「今日、会える?」という瑞希からのメッセージが受信されていた。それは、当然のことながら、こちらの世界の瑞希ではなくて、向こうの世界の瑞希。それでも、私の端末に瑞希からのメッセージが届くと、この現実世界に、彼がまだ生きているような錯覚に襲われる。端末の画面に浮かんでいるただの文字列なのに、彼のぬくもりや息遣いが、すぐそばに感じられるようで、私は無意識に「この間の公園で待っている」と返信していた。
★
耳にイヤホンを押し込んで、携帯端末に接続する。この端末に登録されているプレイリストは、いつだったか瑞希が勝手に作ったもの。だから、彼のお気に入りの曲しか入っていない。瑞希の痕跡に触れると、彼がもうこの世界に存在していないのだという現実が確かなものになってしまう。そんな気がして、このプレイリストはあれ以来、一度も再生していなかった。
団地に囲まれた静かな公園のベンチに座り、耳に流れ込む音楽を聞きながらゆっくり目を閉じる。会うべきではないかもしれない。でも瑞希には、しっかりと説明した方が良いかもしれない。たとえ存在する世界が異なるのだとしても、私のことを覚えていてほしい。浮かんでは消えていく葛藤の中で、私は『お守り』をゆっくりと握りしめ、そして大切な人を想う。
視界が少し鮮やかになるのだけれど、それほど大きな変化はない。やっぱり、今日と明日だけは、二つの世界を分かつ境界線が曖昧なんだ。ここが私の現実世界でないこと、それを唯一証明したのは私の隣に突然現れた相羽瑞希の姿だった。
「ちょっといい?」
私の返事を待つでもなく、彼はイヤホンの片方を取ると、それを自分の耳に入れる。
「良いね」
「え?」
瑞希は「ああ、ごめん」と言いながら、私にイヤホンを返して笑った。
「僕も好きだよ、その曲」
好きに決まってる。キミがこのプレイリストを作ったんだから。
「あ、えっと……。本当はここに来るつもりじゃなかった。でも、きっと……」
でもきっと、話しておいた方がいい。キミには。
「きっと?」
「うん、なんでもない。あ、ごめん、なさいです」
でも、どうやって話せばよい? 世界の複数性なんて話、誰が真面目に聞いてくれるだろう。時間のずれのことだって、私だって簡単に理解できなかった。
「どこか、行こうか?」
行きたいところ……。彼との果たされなかった約束。花火大会と……。
「遊園地……。遊園地に行ってもいいですか?」
「遊園地? って……今から?」
「うん。観覧車に乗りたくて。この街を少しだけ上から眺めてみたくて」
「街を上から……」
瑞希は高所と閉所が苦手だから、きっと観覧車には乗りたくないと言うかもしれない。でも、見ておきたかった。瑞希がしっかりと生きているこの世界の姿を。
「分かった」
「本当に?」
「嘘ついてどうすんのさ?」
彼の笑顔を見ていると、心が自然に緊張を緩めていく。想い出が綺麗なほど辛く、そして苦しくなるのだけど、それがいつか救いになると信じて、今はただ、前だけを向いていたい。
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