第8話 エマージェンシーは突然に

 パタパタと音を立て、花子は階段から姿を消した。もっとも直道にはその後ろ姿は見えていないのだが。


『階上に霊障反応! レベルⅡ!』


 韮崎の目が険しくなる。


「花子ちゃんかっ?」

『判断つきません』

「んだよ、尻尾が3つしかないポンコツ狐が」

『2本しかない凛よりは年かさで有能ですが。ともかく追いますよ』

「追うつったって」

『嫌な予感がします。イイから立ちなさい』


 既に立っていた韮崎に睨まれ、直道は渋々腰を上げた。ボロボロで泥だらけなズボンを一瞥し、パンパンとお尻を叩く。


『霊力がないがために見えない、という直道の存在が役に立つかもしれません』

「意味がわかんねーんだけど」

『この霊障の原因究明と目的、ですかね』

「もったいぶらずに言えっての」


 ふて腐れ気味の直道が踊り場から階段に足をかけた。





 慎重に階段をクリアーしたふたりは廃校の2階にたどり着いた。登った先では左右に廊下が伸び、正面は何らかの教室のようだった。壁の掲示板には錆びついた画鋲が刺さりっぱなしだ。

 床は苔生しており階下よりも空気の状態は悪い。廃墟愛好者もここまでは到達できていないのだろう。

 右から左へと様子をうかがっていた韮崎がある一点を見つめていた。


「トイレ?」

『〝トイレの花子さん〟が逃げ込むとしたら、ここでしょう』

「女子トイレに男が入るわけにはいかないだろ」

『直道はなかなか律儀な男ですね』

「わいせつ罪で前科がついたら国家公務員は首だぞ?」

『イリーガルな武器を振り回す貴方が言っても説得力ゼロですが?』

「今はないぜー」


 両の掌をペロっと見せておどける直道に、韮崎の口からはため息が零れた。

 融合が解けてしまった直道の手からはRPG-7は既に無くなっている。さして筋肉がない直道には、かの武器は手に余るのだ。

 ニマニマと自信ありげな顔の直道から視線をずらした韮崎が見据えた先はそのトイレだ。


『ですが、行かざるをえなさそうです。霊障反応はそのトイレからです』

「都市伝説は妖怪とは別って言ったよな?」

『言いましたが、実際のところ、彼らについてわかっていることは少ないのです。我々と同類なのか、それとも別ななのか。同類であるならば、手を差し伸べたい。人間もそうではないのですか? 私がいままでに見てきた人間の多くは、そうでした』

「ニラ……」


 真っ直ぐな視線を向け続ける韮崎に、直道の心も決まっていく。直道はぎゅっと拳を握った。


「よしっ! んじゃ行くか」

『霊力がない割にはやる気ですね』

「お前はッ!」


 直道はスパーンと韮崎の頭を叩いた。





 女子トイレまでは徒歩で10歩程度だろう距離だが、直道は慎重に足を踏み出した。階段を踏み抜いた痛い思い出がそうさせるのだが、踏み抜いて下に落ちれば大怪我ではすまないかも、という恐怖もあったのだ。


『万が一の時は線香くらいあげますよ』

「助けるとか言わねえ? 普通」

『次なる相方はどんな方なのでしょうかね』

「死ぬこと前提かよ」


 馬鹿なやり取りをしている間に、女子トイレの目の前に来てしまった。扉を支えていただろう蝶番だけが寂しくぶら下がる入り口からは、木製の壁で個室が仕切られている内部が丸見えだった。

 その壁もひとつだけを残して〝壁だった〟というしかない惨状ではあった。

 

「あからさまに無事な個室に花子ちゃんがいるんだろうな」

『残念なことに、そこから霊障を感じます』

「マジかよ……」


 トイレの入り口に立ち竦む直道は、口を真一文字に噛みしめた。


「入ってこないでー! きゃー、こっちこないでー!」


 悲鳴のした個室がバッタンドッカンと激しく揺れている。突然わき起こった花子の悲鳴にふたりは色めきだつ。


「なにが――」

『霊障レベルⅢ! まだ上昇してます!』

「なにぃ!?」

「いやぁぁぁぁ!」


 悲鳴と共に、花子が泣きながら個室から飛び出てきた。直道は、その激しく揺れる赤くスカートとその泣き顔を見た。

 霊力がないために見ることができないはずの花子を見た。


「花子ちゃん!」

『直道、見えるのですか!』

「見えるってうわっとと」


 泣きながら突進してきた花子を、直道は抱きとめた。幼いながらも勢いで重さがあったが、よろけることなく抱きとめた。

 花子の背中にはどす黒い煙が纏わりついており、直道はそれが染み込んでいくのを見た。


「おにーちゃーんこわいーー!」


 花子は直道にしがみつき、泣きながら訴える。直道は花子を抱き上げた。それを見ていた韮崎は唖然とした口を隠せずにいた。


『接触も!』

「ニラ、前!」

『くっ、霊障レベル、Ⅳ!?』


 花子が出てきた個室からは、どす黒い煙が漏れ始めていた。直道が抱き上げたことで花子はその煙から隔離されたが、その煙は彼女を探すように這い寄っている。

 霊力のない直道ですら禍々しい気配を感じ、背筋に冷たい汗を流している。


「花子ちゃんを狙ってるぞ!」

『ありえません! なぜ急激に霊障レベルが上がるのか!』

「知るかんなこと! 逃げるぞ!」


 理解不能の事態に戦慄く韮崎の腕を引き、直道はトイレを飛び出した。そして廊下を走る。直後、トイレが破裂した。

 砕けた木の破片を押しのけて姿を現したのは、漆黒の坊主だった。

 はだけた袈裟。醜く肥えた腹。垂れ下がった目玉。

 ドスンと床を踏み割り、ニタリと笑うおぞましい顔を直道に向けてきた。


「なんだありゃ!」

「こわいよー」

『黒坊! 何故ここに!』

「やばいのか?」

『百鬼夜行に巻き込まれたくなかったら逃げるしかありません』

「まじかよ!」


 直道は階段を転がるように駆けた。床を踏み抜き足を切っても止まることは許されない。

 アドレナリンで痛覚を隔離した直道は階下まで辿りついた。

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