第16話光が暗きにまさるように~

(原文:第2章13~15)

13 光が暗きにまさるように、知恵が愚痴にまさるのを、わたしは見た。


14 知者の目は、その頭にある。しかし愚者は暗やみを歩む。けれどもわたしはなお同一の運命が彼らのすべてに臨むことを知っている。


15 わたしは心に言った、「愚者に臨む事はわたしにも臨むのだ。それでどうしてわたしは賢いことがあろう」。わたしはまた心に言った、「これもまた空である」と。


ソロモン王は、知恵は愚痴に勝り、知恵者は自分の行き先がしっかりと把握できるけれど、愚者はどこに行きつくのかわからない状態で生きているだけという。

ただ、結局は同一の運命、すなわち「死」という現実は、避けられないと語る。

愚者にも与えられる死は、賢者である私にも与えられる。

それでは、どこに違いがあるのか。

あれほど栄華と学問を究めた自分は、真の意味で、「賢い」などとは、とても言えないではないかと思う。


そして得られた結論は「知恵者であろうと愚者であろうと、そんな区別はない、つまり、そんなことを考えること自体が、空しい」と、自覚したと語る。



なかなか、難問である。

どれほどの栄華を極め、知識を身に着けたところで、結局は努力もせず、愚かな言動のままに暮らした人と同じ、「死」という結果を賜るのみである。

確かに、それでは、懸命な努力は、何の意味があるのか、そんなことをしても、空しいだけではないのかと。


よくよく考えれば、大いなる神、全知全能の神から見れば、人間程度の賢い、愚かなどは、大差がない。

そのことに思いを寄せずに、賢いだとか愚かとか、人間が判断することは、おこがましいこと。

同じように賜る「死」にしても、決定権は神にある。

神の決定権の適否を人間が判断すること、それ自体が無意味であり、空虚なことになるのだと思う。








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