第10話 能力試験① 体力測定

「――改めて、登塔者訓練学校クライマーズスクールへの入学を歓迎する! 本日は貴様らの大好きな体力検査だ!全力を尽くせ!!」


 翌日の早朝、ジグラット一階外にあるグラウンドではメイサ教官らによる能力試験が行われようとしていた。集まった訓練生達はコートなしの制服で集合していて、半袖タートルネック、カーゴパンツにコンバットブーツという装いで綺麗に整列している。

 種目は懸垂十回、腹筋を二分間に40回、3キロのミニマラソンを二十分以内。これらをクリアすることが学校では推奨されており、入学の次の日に現状を知るために体力測定が行われるのだ。

 二人組を作って記録を行うのだが、奇遇にも男子と女子の人数が奇数同士だったためヒロとフェテレはペアを組むことになった。 


「これはもう何かの呪いだ!」


 フェテレは呆れ返っているようだ。ただそれはヒロも同じである。


「はぁ……こっちの台詞だ。ここでまでお前のこと見とかなきゃならんとはな」

「こんな試験クリアして飯だ飯!」


 気持ちを切り替えるように威勢良く言い放つフェテレだったが、ヒロは釘を刺すように指摘する。


「この後は魔力測定だからな。勝手にどっかに行くんじゃないぞ」

「知ってた!」


小さい声量だが強い語気でフェテレが薄っぺらい反論をしていると、罵声を浴びせるのが終わったのか教官が訓練生の列を解散させる。


「さっさと行けウジ虫ども!!」

「「「アイマァム!!!」」」



 懸垂。

「ぐぬぬぬ……んぎぃぃぁぁぁぁあああ!!」

 フェテレ――――記録なし。


 腹筋、

「ぬおああああああああ!!!」

 フェテレ――――12回。


 ミニマラソン。

「ぜはぁ…ぜはぁ……ぜはぁ……ヒロ、何分だ……」

「30分42秒だ」


 フェテレの記録は絶望的なまでに低かった。格闘センスが一丁前にあるせいで気がつかなかったが、筋力も持久力も致命的に足りていない。ここまでくるとヒロの方が不安になってくる。


「えぇ…………」

「この身体がっ……悪いのだっ」


 地面にへたりこんで倒れるフェテレはまだ息が上がったままなようで瀕死も瀕死。最後のマラソンがあまりにも遅くメイサ教官に併走されながら『ダンジョンでは動けなくなったノロマから死んでいく!戦場ならお前はもう死んでいるぞまな板チビ!!!』と罵倒され続けた結果、心も体もぐったりとしていた。


「まあその……なんだ……追試がんばれよ」

「……なんて日だ…………」



 記録係を交代して今度はヒロの番だった。

 この測定は男女ともに同じ数値で設定されたもの。女子でもクリアできるように考えられた数字は、男のヒロにとってそう難しくはない。

 あっさりと懸垂と腹筋をパスすると最後のミニマラソンへ移る。

 訓練生の半分がスタート位置の白線からぞろぞろと並び出す。ニックとミリエッタもこの後半のグループだ。

 ヒロが身体を捻ひねりほぐしていると、ニックがこっちに近づいてきて話しかけてくる。


「やっぱりこのブーツ走りづらいね。ヒロの言うとおり中敷なかじきだけでも買っておけば良かったかも」

「すごい今更だな」


 ヒロはこのミニマラソンのことを実のところ楽しみにしていた。

 それには訳がある。

 異世界にくる以前、中学生三年生までの二年少しの期間をヒロは陸上部で過ごしていた。全国駅伝でも名を馳せるほどの記録も保持してはいたのだが、周囲の期待ややっかみに押しつぶされて退部。

 しかし、走るときの苦しさを超えた高揚感を忘れきれず、朝にときどきやる往復12キロのランニングがやめられなかった。それゆえ、こっちにきてから忙しさで走ることが叶わずにいたヒロにとって、体力測定は体を動かすいい機会だったのだ。

 が、支給されたコンバットブーツ。ここにきてこの靴底が実に走ることに向いていなく、衝撃を吸収できる作りでも素材でなかった。

 楽しみにしていたあまり嘆いたヒロは昨日ニックと一緒に売店に出向き、支給されたチケットの三分の一を使って運動用の中敷きと通気性の高い靴下を購入。

 そこではニックにも勧めておいたが呆気なく断られ、彼は即断でエロ本を買っていた。ニックらしいといえばニックらしい。


「よし、全員揃ったな」


 後半グループの点呼が終わったようで、教官の一人が合図に入る。


「よーーーい…………」


 あたりは一瞬静まりかえる。

 そして、彼が手を振り上げて言った。


「――始め!!!」


 全員の呼吸が“動”に転じたと同時、ヒロの背後から影が駆け抜けた。

 ビルの隙間を吹き抜ける風のような彼女はミリエッタ。

 ポニーテールを揺らして走り去っていく姿はさながら競走馬だ。

 20分以内にゴールできれば良いので全然問題はない。だが、それにしても飛ばしすぎだ。


「はえ~……」


 スピードも留まることを知らず、ぶっちぎりでトップのミリエッタ。あんなに走れたらどれだけ気持ちが良いだろう。

 その頃ヒロはというと、先頭集団と400メートルトラック三周を走って体を温めた後、ギアを上げて徐々に突き放していた。 

 速さを上げる度に心臓は高鳴り、地面を蹴り上げる靴の音も遠のいていく。それと同時に心地よさも増していく。短いしもう少しスピードを上げればいいかなと思えばもう七周目。

 あと半周?

 3キロってこんなに短かかったっけ。

 ヒロがさらに精神を研ぎ澄ませていた時、目の前に突然ミリエッタが姿を表した。

 正確に言えばヒロが集中していて気づかなかっただけ。

 とはいえ、いきなりのことのように感じたヒロは驚きを隠せなかった。


「――のわっ……!ど、どうした、ミリエッタ」


 ミリエッタに合わせて緩いスピードで走りながら尋ねるヒロに、彼女は目を泳がせながら恥ずかしそうに

「……恐らく、足の皮が向けてしまって。すごく不快で走りにくい」


 と言う。


「なんとなく思ってたよ」

「……ほんとか?」

「ああ、中古のブーツじゃお前の走りにはついていけないってな」

「……里の時はこんなこと無かったんだが」


 伏せがちの目で、なんでか知らないか? とミリエッタは訴える。


「ここのトラックは山とかみたいに柔らかくないしな。お前の問題ってより、足下の問題だ」

「……そうか、そういうことか」

「タイムは余裕で間に合う。ゆっくり行こうぜ」

「……そうだな…………ありがとう」


 最後の方にはもう消え入りそうなお礼をミリエッタが述べると、二人は肩を並べてゆっくりと走る。 


「それにしてもミリエッタ。こんなに早いとは思わなかったぞ。エルフはみんなこんな感じなのか」

「いや……私だけだ。他のエルフに負けるのが嫌で別の力を磨いていたらこんな風になってしまってな。ダークエルフって馬鹿にされたよ。……よくそんな蔑称べっしょう思いついたもんだ」

「そんなの言わせておけ。少なくとも俺はお前より早く走る奴を知らない。尊敬するよ。なあ、どんな世界が見えてるんだ」

「あまりそういうのは……感じたことないな」

「もったいな」

「……そうなのか?」


 ミリエッタは自分の本当の素質に気づいていない。

 そんな気がする。

 このエルフが本気を出せばすごい力を発揮できるんじゃないか――――ヒロはそう思いながら、不思議と愉快な気分でミリエッタとゴールした。

 タイムは10分18秒。

 貧弱な装備にしては上出来だった。

 しかし、このミリエッタという褐色エルフ。

 足の怪我がなければどれほどのタイムが出ていただろうか。 

 最初は接しにくそうだと思っていたが案外面白い奴かもしれないとヒロは彼女の後ろ姿を眺め、フェテレの元に戻った。

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