第2話 ダンジョン?学校??

「――ヒロさん、すいません、起きてください」


 意識を拾い上げようとする声が、うっすらと聞こえてくる。


「ぅあ……」

だらしない呻きが漏れるも、ぼやけた視界では何が起きているのかさっぱりだ。


「ヒロさん!」


 軽く胸を叩かれ、目の前の景色が鮮明になった。

 目線だけで声の主を見上げると、ヒロとフェテレを助けた天使だった。といっても、今は翼も生えていなければ服装も異なっている。

 深緑のコルセットをつけた灰色のワンピースは先ほどまでとは違った人間味のある印象を受け、肩まで伸びる藍色の髪は女性らしい整った顔立ちを際立たせており、端的に言ってすごく美人だった。

 コルセットは張りのある胸や臀部でんぶを強調するわ、細くくびれた腰は劣情をかき立てるわと朝の男子の股間にはさぞきついだろう。


「お話がありますので、下の方にお願いいたします。勝手ながらお召し物はこちらでご用意させていただきました」

「そうだった。すまない」


 ヒロは体を起こしながらきわめて冷静に礼を言った。


「いえ、お気遣いなくどうぞ。申し遅れましたがシャムシエルと申します。」


 ヒロは迷いながらも、命を助けてくれた恩人に無礼はいけないと名前を告げる。


「端羽弘だ」

「はい、ウリエルさんから伺っております。ヒロさん、今後ともよろしくお願いいたしますね。それではフェテレ様とお待ちしております」


 そう言い残し、シャムシエルはドアから出ていった。


 なんだかんだ流されるままに来てしまった。

 今いる部屋はいつものザ・男の子という感じの散らかった自室とは趣が違う。西洋風の内装と棚に机、ベッドと、全体的に古めかしい印象だ。

それよりもシャムシエルたちのところに行かなければ。

ヒロは大きく背伸びをして気合いを入れ直した。


「行くか……」


 ヒロは学生服を脱ぐと、棚の上に畳んで置いてあったズボンや緑のチュニック、ベルトを身にまとい、ブーツを履いて二人の待つ一階の部屋に向かった。



 一階へ足を踏み入れる。そこは調度品がそこそこに整えられ、生活には十分なこざっぱりとした石造りの部屋だ。中央にある低めのテーブルは二つの鼠色のソファに挟まれ、例の金髪金眼の少女フェテレとシャムシエルがソファに対面して座っていた。


「ヒロさん、フェテレ様の隣にどうぞ」


シャムシエルに促され、ヒロはフェテレの腰に降ろそうと……、


「――無礼者!」


 フェテレのとげとげしい叫びと同時にヒロは勢いよく蹴り飛ばされ、床に転がされた。


「痛ってぇ! お前こんな感じじゃなかっただろ」

「人間ごときが神の右席に座るとはふざけてるのか!」


 一度見惚れたフェテレの可憐な顔に、今ははありありと怒りの感情が刻まれていた。もはや詐欺だ。

 シャムシエルは、惨めに床に転がったヒロの姿に見かねたのか間に入って止めようとする。


「フェテレ様、あなたは今、人間です。記憶が戻ったとはいえ、もっと人間らしい振る舞いをなさってください」

「記憶が戻ったって、今までなかったのか?」

「はい。ですが、地上に降りてから徐々に記憶が戻っているんです」


 どうやらフェテレに過去の記憶が戻ったらしい。こんな暴力に訴える少女になってしまうとは。現実はとは無情だ。


「シャムシエル、お前もあんまり調子に乗るなよ。ウリエルならともかくお前くらい――ッ!」


 シャムシエルの顎めがけて殴りかかろうとしたフェテレは時間が止まったように動かなくなっていた。まばゆい光を放つつたに拘束されていたからだ。


「調子に乗っているのはあなたです。フェテレ様。今のあなたは光輪ハイロウなしの私でも簡単に捕縛できます。そのままヒロさんに無様なお姿を晒しますか?」


 シャムシエルは手をフェテレに向かって手を突き出し、空中を掴むかのように右拳を握っていた。


「……今すぐ解け」


 フェテレは自分の命令を聞くことがさも当然のようにきつくシャムシエルを睨む。


「解いたらじっとしていられますか?」

「……」 


 口をつぐんだままのフェテレ。そんな彼女の反省のなさを責め立てるように、シャムシエルは拳をさらに強く握りしめた。


「人間のフェテレ様が私に勝てるとお思いですか?」


 シャムシエルは淀みなく述べる。フェテレはやっと屈したようで、


「……分かった。黙っておいてやる。……だからっ……こいつを外せ!」


 と目の奥は相変わらず物騒なままで拘束の解除を求めだした。


「おわかり頂いて嬉しいです」


 フェテレが要求を吞んだことでシャムシエルが拘束を緩めると、光の蔦は風に吹かれた砂のように無くなっていく。

 解放されたものフェテレは明らかに不機嫌そうだった。眉根を寄せたまま、最初座っていた席にボフン、と大げさに腰を落とすとそっぽを向いてしまう。


「お見苦しいところをお見せいたしました。申し訳ございません」


 軽く頭を下げるシャムシエル。フェテレとはえらい違いだ。今のフェテレが慈悲の塊のようなシャムシエルを生み出したとは到底思えなかった。


「いや、別にいいんだ。それより話はいいのか」

「フェテレ様も納得されたようですし、今からお話いたしましょうか。どうぞお座りください。」

「ああ」


 ヒロがフェテレの横に座ったのを確認すると、シャムシエルは正面に腰を下ろして息を整える。そのまま彼女は口を開いた。


「ウリエルさんから一応のことは聞かれたと思いますが、このプロジェクトの目的はご理解いただけましたでしょうか?」


 シャムシエルの問いかけに大して、ヒロはウリエルから聞いたことを掻い摘まんで話した。


「神様をクビにされてダメダメな無職のこいつのクソひん曲がった性格をあいてててて痛い!痛いっ!!やめてください何でもする、何でもしますから」


 ヒロが指を指してフェテレを馬鹿にすると、人差し指をグーで握り込んで無理矢理降ろされる。指は手の甲側に折り曲げられないのを知らないのだろうか。 


「シャ、シャムシエル……またこいつが――」

「今のはヒロさんが悪いかと……」


 精一杯目を潤ませてシャムシエルに助けを求めるも、呆れたように肩をすくめるだけだった。

 少しの間抵抗を続けていると、


「シャムシエル!折っていいよな。こいつの指一本ぐらい折ってもいいよな!」


 と破壊衝動に駆られたフェテレが本格的に危害を加えようとしだした。

 それを見て良心が痛んだのか、やっとシャムシエルが口添えをする。


「話が進みませんので放してくださいませんか? 汗をかくとまたお風呂に入らないといけませんよ」

「むぅ……次は譲歩しないぞ」


 完全に親と子どもだ。

 フェテレの攻撃から解放されて息を吹き返すと、ヒロは今度こそ話を進める。


「ふぅ……つまりこいつが神として正しい資質を持てるようにヒロがサポートしてやれって事だろ」

「その通りでございます。ちなみに、ヒロさんが具体的に何をすればよろしいのか、ウリエルさんは仰ってませんでしたか?」


 ウリエルからはフェテレをどうにかしろとしか言われていない。


「そういえば聞いてないな」

「ウリエルさん本当に大雑把なんだから……」


 シャムシエルは困ったように嘆息する。


「どうしたんだ」

「いえ、こちらの問題です。そうですねぇ……それではまず目標を設定しておきましょうか。」

「目標?」

「はい。一言で更生すると言っても何したらいいか分かりませんよね。ですのでまず目標を設定します。目標を達成するには様々な努力が必要になりますので、フェテレ様の成長も期待できるでしょう。」

「私は既に完全な存在だ。成長などいらん」


 ソファにふんぞり返っていたフェテレはどこまで本気か分からないがきっぱりとそう言ってのけた。

 が、シャムシエルも退かないようで、


「そこがフェテレ様の未熟な部分です」


 と指摘する。


「そんなことがあるか」

「いいえ、あります。不完全、あるいは不自由を知らないことは管理する立場として問題外です。単に知らないでは済まされません」


 眉尾を歪めてぎりりと歯噛みするフェテレ。この勝負はシャムシエルの勝ちだった。

 というか、どうもフェテレがいると話が進まない。

 さっさと話を済ませたかった。


「それで、目標はどうするんだ?」

「この話の後に街でもご案内いたしますが、天の塔『ジグラット』を攻略していただきます」

「ジグラット?」

「はい、なんと申せばよろしいか……『ダンジョン』と言えばご理解いただけるでしょうか。モンスターと戦いながら塔の上層を目指していただこうと考えています」

「ああ、大丈夫だ……って、俺戦うのか?」


 天使ならともかく、さすがに一般人にモンスターは倒せなさそうだ。仮に倒せたとしても怪我は絶えないだろうし、油断すれば死ぬこともあり得る。


「そうなりますね。ですが、私が見る限りウリエルさんから何かしらの加護を頂いてるようですので問題ないかと思われます。」

「私は何も貰ってないぞ」

「フェテレ様を甘やかすわけには参りませんので……それに、フェテレ様は元々この世界を造られた方ですから魔法の素養もあるはずです」

「そんなのテキトーに造った。知らん!」


 全く誇れないことを堂々と言ってみせるフェテレだった。


「待て、魔法があるのか」

「ええ、正確には違いますが先ほど私が使った力のようなものと捉えていただいて構いません」


 シャムシエルはヒロの質問に答えると、さらに言葉を付け加える。


「魔法のことに関連づけて申し上げておきますと、いきなりモンスターと戦うことは難しいと思われましたので、勝手ですが私がお二人の登塔者クライマー訓練学校への入学を手配させて頂きました」

「なぜ神である私がそんな下らない学校などに行かなければならんのだ。こいつに全部任せておけ」


 傲慢ごうまんにもほどがあるフェテレは、どうやらヒロに丸投げするつもりだったらしい。


「フェテレ様、先ほども言いましたが、あなたはもう神様ではないんです。神の頃のような天使任せの生活は許されません」


 光輪がうっすらと浮かび上がり、静かな迫力を増すシャムシエル。光の加減のせいか彼女の美貌に影が落ち、闇が漏れ出てきたような錯覚に陥る。それを目にしたフェテレはいよいよ危険を察知したようで、すぐに大人しくなった。


「す……すまなかった。考えてやらんでもないぞ」


 フェテレからはヒロが聞いたこともない謝罪の言葉が出てきた。だが、努めて真摯に謝ってこれとは、相当気難しい性格なのだろう。

 と一人で考察をしていると、シャムシエルがさらに情報を付け加える。


「それに、私がお二人を入学させたのにはメリットがあるからなのです。」

「何なんだ」

「お二人には衣服と住居は提供いたしましたが、お金はご用意しておりません。普通ならばここから働いてお金を稼がなければなりません。しかし、訓練学校ならば衣食住を保証してくれ、お金を効率的に稼ぐ手段……つまり、登塔者の技術を学ぶことができます。この都市だと環境が整っているのです。加えて本音を言うならば、他の薄給の単純作業のお仕事ではフェテレ様の心の大きな成長を期待しづらいからです」


 シャムシエルの語る言葉は至って正確に聞こえた。


「おい、フェテレ。これ以上地雷を踏む必要は無い。メリットしかないんだ。学校行くぞ」


 フェテレの脇腹を小突きながらそう言うと同意の返事が返ってくる。


「そ、そうだな。天使の願いを聞き入れてやるのも神の勤めだな」


 小さくうなずき合いながら目を見交わす。シャムシエルを前にして、ヒロとフェテレは初めて意見を一致させたのだった。ただし、冷や汗をかきながら。


「ヒロさん、ご協力ありがとうございます。ここでの話は終わりですので街の案内ついでにご飯でも頂きましょうか。」

「俺もフェテレも金は持ってないけど平気なのか?」

「私が払いますから大丈夫です。」

「いいのか」

「もちろんです。さ、行きましょう」


 ヒロは頷き、シャムシエルに続いて立ち上がった。

 もしかしたら、シャムシエルは勝手に連れてこられたヒロに責任を感じてくれているのかもしれない。

 あまりにも突然のことだったが、腹の底の不安が少しだけ軽くなった気がした。

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